「ねえ、世田介くん、」

「……うるさい」


最初はただの好奇心だった。高校の入学式が終わって分けられたクラスに入る。私と同じ進学クラスで、左隣の席。自己紹介のときににこりともせず「高橋世田介です…」とだけぽそりと言ったその彼に、世田介、素敵な名前だなあって興味がわいただけ。まあ最初のクラスで最初のあいさつ、みんな張り切るのに一人だけそんなだからなんとなく一人が好きなんだろうなあと思っていたけど、後々観察していてやっぱりそれは事実だと知った。私は中学からの友達が奇跡的に同じクラスだったから、お昼ご飯も私の席とその前の席を使って食べていた。左隣の男の子は、いつもひとり。年のわりにかわいらしいお弁当箱をもって、一人黙々と食べている。誰とも会話をせず、けど寂しくはなさそうでまるでそれが当たり前。そんな雰囲気を醸し出す彼に近寄る人はあんまりいなかった。そんな彼をいつも近くで見ていたのが私。ふと、お昼ご飯の様子を観察しているとおもむろに可愛らしいお弁当箱を目の前に置いて細長くて綺麗な指を揃えて、誰にも聞こえないような声でいただきます、と言っていた。たったそれだけ、それだけで、なんて言えばいいかわからないけれど、たぶん私は左隣の男の子高橋世田介くんに恋をしたのだ。そこから私は、なんとか世田介くんの視界に入ろうと懸命に努力した。友達には趣味悪い、絶対やめといたほうがいいって言われたけれど、恋は盲目、そんなの関係ないのが私たちのお年頃。

「高橋くん、世田介くんって呼んでいい?」
「……………なんで」

まずお近づきになるのにはじめたのが名前呼び作戦。いまのところ高橋くんを下の名前で呼ぶ人はいない。だからわたしが一番になってやろうと言うことだ。たっぷり5秒ほど世田介くんは固まって、すごく嫌そうになぜかと聞いた。それにわたしが、「仲良くなりたいなって」と素直にいうと世田介くんはわけがわからないといった顔で「…苗字さん、変わってるっていわれるでしょ」って言ってきた。私の名前、知ってたんだ!軽くディスられたことにも気が付かずにやにやと笑みをこぼす。それを気味悪そうに見つめる世田介くん。拒否はしてないんだからもう仲良しだよね。

「世田介くん、なに読んでるの」
「…別に、なんでもいいだろ」

「ねえ世田介くん、ここ教えて」
「進学クラスなんだから、わかるでしょ」

「ねえ、世田介くん」
「………」


こんな感じのやりとりがもうずっと続いている。それは席が変わっても、学年が変わりクラスが変わっても、私はめげずに続けていた。最初のころに反対していた親友はもはや根負け、といったように私の恋を応援してくれている。自分で言うのもアレだが、もうこの学年で私と世田介くんを知らない人いないんじゃないかってくらい、みんな応援してくれてる。まあ世田介くんは結構有名人だ。ものすごく頭がいいし、ものすごく絵が上手い。あとものすごく変わっているから。最近になって本格的に美術をはじめたらしい世田介くんは放課後になるといつも美術室の奥の奥、誰も使っていないような空き教室で一人静かに絵を描いている。その誰も踏み入れては行けないような神聖な場所に、唯一入れるのが私。これはもうここ2年間とちょっとの努力の結晶といっていい。あのとき左隣になって出会ったときから、もう2年も経つんだ。この長い長い2年の成果が、これ。もうかなり仲良しと言ってもいい。これをいうと、世田介くんは心底嫌そうな顔をするけれど。

今日も今日とて世田介くんを探しに教室をめぐる。私が探す人物は一人しかいないので、他のクラスの人たちがみーんな私に世田介くんの情報をくれる。どうやら授業が終わってすぐにどこかへいったらしいから、いつものあの教室かな。そう思いながら、いるであろう世田介くんの邪魔をしないようにそろりそろりと教室を開ける。中には猫背をさらに丸めて、癖のある握り方で鉛筆を走らせる世田介くん。この頭脳や才能と乖離した幼さの残る仕草が、たまらなく好きなのだ。世田介くんは物音に気がついてじろり、と私を一瞥するけれどなにも言わない。
私はまたそろりそろりと世田介くんの視界のぎりぎりに座り込む。勉強をしているときの世田介くんもかっこいいけれど、絵を描いているときの世田介くんはとくにかっこいい。何の迷いもなく走らせる鉛筆が、さまざまな形をとらえる。あっという間に完成した絵は、息を呑むほど美しかった。


「世田介くん、この絵、すき」
「苗字さん、全部好きって言うじゃん」

そうだっけ?でも仕方ないよね、だって世田介くんが好きなんだもん。と恥ずかしげもなく口に出せば、向こうはまるで無反応。そして決まって「変わってる」と言うのだ。

「俺とこんなに話そうとするの、苗字さんしかいないよ」

「みんな、見る目ないねえ」

「普通そうだろ、飽きないの?」
「世田介くん、絵描くの飽きる?」

「それとは別。絵は飽きるとかじゃないし、それに」

それは世田介くんがよく口にする言葉だった。勉強なんて好きじゃない、絵を描くのなんて、好きと思ったことがない。じゃあどうして勉強したり絵を描くの?と聞くと、「俺にはそれしかないから」と決まっていうのだ。世田介くんにそれしかないなんてこと、ないのに。

「私は世田介くん、好き」

「俺の才能が、だろ」


世田介くんは極端だ。自分には絵の才能しかないと思っていて、それ以外はなんにもできないと思い込んでいる。だから人から褒められても、世田介くん自身のことでなく世田介くんの才能だとしか思えないのだ。ほんと、こんな頭いいのに、なんでそんな頭でっかちなんだろ。だれが世田介くんをこうさせたの?私はもっと、世田介くんの思うがままに生きてほしいよ。

「他の人はそうかもしれないけどさ、私は違うの、わかるでしょ」

「……」

そりゃ美術を始めてからの世田介くんはさらにすごかった。もともと賢くて有名だったのに、美術をやらせればそっちの方が才能開花。もう全生徒が知るような有名人。だけどね、私はとっくの昔から世田介くんが好きなんだよ。もう何年も、君を追ってきたんだよ。世田介くんが出会った人の中でいちばん、私が世田介くんのこと好きなんだから。

「たとえ絵が下手でも、頭よくなかったとしても、私世田介くんのこと好きになったよ」

「そんなの、ありえないだろ」

「ありえるんだよなあ、それが」

暫くの沈黙。あーあ、どうしてわかんないかなあ。もうずっと、私の目には世田介くんのいいところがいっぱい見えてるのに。こんなにしつこくしても、言葉は冷たいけど態度はたまにあったかいこと、実は動物が好きなこと、お弁当はいつも残さないところ、誘いには意外に乗ってくれるところ、絵を描くのが、本当は好きなところ。ただひたすら不器用なだけなんだよね。



「苗字さんは、俺のどこが好きなの」

「そんなの、全部だよ」


多分、あの揃えた綺麗な指先を見なくても好きになっていた。いただきますという小さな呟きを聞かずとも好きになっていた。というかあの自己紹介のときからもうとっくに惹かれていたんだ。世田介、ほんと、綺麗でこの上ないほど素敵な名前。世田介くんにぴったりだ。こんな平凡な私でも、世田介くんの近くにいたいなあ。


「世田介くんは、世田介くんの世界で生きられるような人だよ」


「……うるさい」


ぷいっとそっぽを向かれた世田介くんの頬っぺたは、夕焼けのせいかな、赤く染まっていたように見えた。「私も藝大受けようかなあ」なんて言ってると、「苗字さんは無理だろ、……あの大学にしなよ」と、ちゃっかり藝大からほど近い大学を名指されたの聞いてどうしようもない愛しさが込み上げてきた。


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