あたしはイトノコ刑事と遭遇したあのときのことを、どうしてもなるほどくんに話さねばならないと思った。確定ではない、だけど、もし本格的な捜査がいよいよはじまっていたら、居ても立っても居られなくて、成歩堂法律事務所へ走った。

走ったときの足音で気がついたのか、あたしが事務所のドアを開ける前に勝手にドアが開いた。…なるほどくんだ。あれからなるほどくんはほんと異常なくらい周りに神経質だ。どんな小さな気配でも見逃さないくらい、
10センチほどの隙間からぬっと現れたなるほどくんに、声をかける。

「ね、なるほどくん、ちょっと……」

訪問者があたしだと気づいて少なからず安心したのか、10センチの隙間が20センチほどまで開いた。…あたしですら、信用はないらしい。

「どうかしたかい?いまは名前ちゃんから目を離したくないんだけど」
「うんごめんね、でも…さっきね、」

もうなるほど君がその名前ちゃんというあたしが顔すら知らない女の子にしか興味がないことは、とっくの昔にわかっていた。けれどずきんずきんとあたしの心臓の奥の方で深くて鈍い痛みが突き刺さる。前までは、なるほどくんのこころのなかにちゃんとあたしもいたのにな。
油断すると泣きそうになるのをむりやり押し込んで、さっきあったできごとを話した。イトノコ刑事に遭遇したこと。隣町で女子大生が行方不明になってると話題なこと。…それが、その扉の奥の奥にいる女性のことかはわからないこと。全てを話すと、なるほどくんは伏せ目がちにつぶやいた。

「そうか、イトノコ刑事が」

もっと、驚くかと思っていたけれど。意外にも落ち着いた様子である。なるほどくんのなかではすでに想定内だったようだ。それでも、若干の驚きと不安の色は隠せてはいなかったが。

「ま、まだわかんないよ。わかんないけど……」
「……まあ遅かれ早かれこうなるだろうさ」


ふう、と軽く息をつく。髪をかきあげて、いままであまりみたことがない表情をしていた。それはなにを考えているのか、あたしにはわからなかった。

「なるほどくん、どうするの」
「どうするって…ぼくは名前ちゃんを手放す気はないけど。だって運命の相手だし、せっかく捕まえたんだ」

あっけらかんと答えるなるほど君に、あたしはどういうべきか悩んだ。それこそ遅かれ早かれ、なるほどくんがいつか捕まるんじゃないの。それとも、捕まるなんてことはおもっていないの?なるほどくんがわからなかった。いままでは、わかっていたなんて大層なことは言えないけれど、すくなくともなるほどくんの行動原理は知っていた。悪を正す。真実を導き出す。でもいまは、見る影もないよ。真実を暴いて悪を正すことを生きがいにしていたのに、なるほどくんが悪なら、いったいどうするの?なるほどくんはどこにいってしまったのだろう。

「……でもさ、」
「うるさいなあ、だいたいどうして真宵ちゃんはぼくに協力するんだい」
「それは、………」

その問いに答えることなんてできなかった。そんなの、あたしが一番知りたいのだから。自分のことなのにわからないなんておかしいよね。でもほんとうなんだもん。あたし、ほんとうになんでこんなことしてるかわかんないよ、なるほどくん

「……まあとにかく、いくら真宵ちゃんでもぼくと名前ちゃんの仲を引き裂くマネしたら、ゆるさないよ」
ゆるさない、というなるほどくんには似合わない言葉に動揺した。そしてさっさとあの彼女の元へ行ってしまった。事件の犯人に対してじゃない、あたしに対してそんな言葉を言ったのが何よりもつらかった。ゆるさない、ゆるされたい、ゆるして。

温度のない扉の前で一人取り残されたあたしは、その場にしゃがみ込んで項垂れる。どうしたらいいかわからない。ぽたぽたと足元に水が落ちる。なるほどくんに見捨てられたくない。バカみたいな考えだけど、これは至極真面目なのだ。あの日からこんなのばっかりだ。いっそあたしの罪も、なるほどくんの罪もぜんぶまとめて吐き出しちゃおうか。吐き出すなら…やっぱり御剣検事がいいな。あたしも御剣検事にはたくさんお世話になったし、それになるほどくんの親友だ。いまのなるほどくんを止められるのは御剣検事しかいないとさえ思った。あたしじゃどうしようもできない。あたしはなんにもできない、ただの役立たずだ。…あたしが捕まることは別に良かった。もともと、お姉ちゃんが死んだときなるほどくんがいなければあたしはもはや社会的に死んでいたようなものだったのだから。あのとき助けられてからずっと、あたしはなるほどくんに生かされている。あのときなるほどくんがいなかったら、いまもずっと塀の中だっただろうし、お姉ちゃんも、おかあさんもいないし、はみちゃんのことだけは心残りだったけれどおばさんがいるし、ほんと、ひとりぼっちだったと思う。あのときなるほどくんがいなかったら、今のように御剣検事、イトノコ刑事、ヤッパリさん…いろんな人に出会うことはなかった。そうおもうといまでもぞっとするし、同時になるほど君へのどうしようもない感謝が湧いて出てくるのだ。…やっぱりだめだ。何度考えても結論は同じ。どんな道筋を立てても、結局はあたしのなかのなるほどくんという巨大な存在があたしのなかの正しさを掻き消す。あたしはどうしたって、なるほどくんを裏切れない。深い暗闇の中、ひとり取り残されてしまったようだ。これじゃあ、塀の中にいるのと変わらないじゃないか。弱くてバカなあたしを、どうかだれか救ってほしい。


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