がちゃん、と見知った事務所の扉を開ける。…この法律事務所に訪れるのは、最後にしたいと何回も思っていたはずなのだが。思った通り中に客はいなかったようで、突然開いたドアに唖然とする少女と目があった。

「み、御剣検事!なるほどくん!御剣検事が!」
「なんだよ騒がしいな……あ」

眠そうに頭をかきながら奥から顔を出した男を、思わず睨みつける。全ての合点がいったのか、成歩堂のカオ色があからさまに変わった。

「や、やあ御剣」

「………貴様、私が何を言いたいかがわかるな?」
「…いやあ、なんのことだか」


ふざけるな、と声をあげそうになってごほんと咳払いをする。この男は、よくも余計なことをしてくれたものだ。言葉は出ずとも眉間に深いヒビが入っているのを見たのか、着物の少女、もとい綾里真宵が慌てて私たちの間に入る。

「あの!これは、えーと、いろいろ事情があって…」
「そ、そうなんだよ。イトノコ刑事が困ってたから」

うんうん!と頷く綾里真宵を一瞥して、ハア、と大袈裟にため息をつく。やはり、この男の思いつきであの少女に会いに行ったのであろう。とくにやましい間柄ではないが、30手前の大の大人がまさか女子高校生と住んでるだなんて人聞きが悪すぎる。さらには情報を漏らしたのがあの糸鋸刑事だ。絶対に受け取り方に齟齬があるに違いない。

「…だからといって、私の家に入る許可は出していないが?」
「でもホラ、名前ちゃんが許可してくれたし」
「ムグッ…」

…確かに、あの家の家主は私だが、一緒に生活をしているのだ。彼女も家主と言って差し支えないかもしれない。だがしかし、この男は自分から説明すると言って結局私になんの説明もなかったのだ。そこは怒っていいだろう。だれだってこのようなセンシティブな話題によりにもよってこの疫病神とも言えるような旧友が関わってしまったのだ。なにか間違いが起きても不思議でない。

「ホラ!仲直りできたんですよね?名前ちゃんと!」
「グウゥ……それはそうだが」
「じゃあ良いじゃないですか!」

「そうだぞ御剣、そうかっかするなよ」

また眉間のヒビが増えるぞ、と軽口を叩く旧友をこれでもかと言うほど睨みつける。悔しいが、確かに結果はそうなのだ。良かったことなのだから、無下に怒ることもできない。


「……ひとまず、何があったか聞こう」


息を整えて、成歩堂に向き合う。成歩堂は、首を傾げて話すことは特にないと答えた。

「イトノコ刑事が切羽詰まってお前のことを相談してきたから、名前ちゃんに会いに行ったんだよ」
「そうそう!名前ちゃんと再会できてうれしかったなあ」


そうだ、確か苗字くんがあのイベント限定トノサマンキーホルダーをくれたとき、綾里真宵と友達になったと、やけに嬉しそうにしていた。遅かれ早かれこうなる予感はしていたが、あの成歩堂龍一が苗字名前と繋がることになるとは。本当に一体何が起こるかわからない。できるならば接触させたくはなかった。私は頭を抱えて深くため息をついた。

「貴様、苗字くんに何もしてないだろうな」
「なんだよその言い草。…まあ、助けてあげたことはあるかな」

それを聞いて、私は狼狽した。この男の言い方は、今回のことだけでなくどこかで苗字くんと関わったということだ。どういうことだ、と目で訴えると成歩堂はいとも簡単に口を開いた。どうやらしばらく前に重い買い物袋をもった苗字くんを見かけて助けてあげたと言うのだ。「そういや御剣のマンションだよなって思ってはいたけど、まさかお前の家にいたなんてびっくりだよ」と笑う旧友に嫌気が刺す。だから知られたくはなかったのだ、この男には。邪推するに違いないと思ったが、成歩堂は何も言わない。それを見て、どうやらもう邪推した後で苗字くんに訂正されたのだと察した。…まあ、関わってしまったものは致し方ない。あとはこの男に今後余計なマネさせることなく彼女の平穏を保つことに専念すればいい。


「それで、苗字くんは何か言っていなかったか?」
「何かって、何をだよ」

成歩堂が訝しげに私を見つめる。皆まで説明したくはないのだが、この男は察すると言う言葉を知らない。仕方なく、嫌々口ごもりながらも問いに答える。

「……私のことをだ」

やけに言葉が小さくなったのは目を瞑りたい。私だってこの男にこんなことを聞きたくはないのだ。しかし、自身が保護し、気にかけている少女のことだ。ウラで陰口など叩かれていたら目も当てられない。最も、陰口を言うような人間性でないことはアキラカであるのだが。

「もしかして御剣、名前ちゃんにどう思われてるのか気にしてるのか?」
「グッ!……気にするだろう、一緒に住んでいるのだからな」

もういい、この話はこれで終わりだ、と私が言おうとしたとき、綾里真宵がそれはもうにっこりと笑って大声を上げた。

「大丈夫!名前ちゃん御剣さんのこと大好きだよ!」
"大好き"という私の人生の中ではおおよそかけ離れているような言葉を前に、思わずごほごほと咳き込んだ。

「あー御剣検事、照れてる」
「珍しいな、お前がここまで乱されるなんて」

にやにや、と二人の含みのある笑いを見て、言いようのない気持ちを振り払うかのように「うるさい!」と珍しく声を荒げて成歩堂法律事務所を立ち去った。痛いところを突かれた、というよりは図星であったというべきか。たしかに苗字名前の存在は私の中で徐々に大きなものになっていた。稀有な出会いとはいえ、もう何ヶ月も共に生活しているのだ、当たり前だ。彼女が笑えば私もそれなりに嬉しく思うし、彼女がただ食事を摂るだけで、生活の豊かさをみるだけで心が満たされている自分の気持ちに、戸惑いを隠せなかった。はたと立ち止まって深く考え込む。…そうか、これが慈愛か。年端もいかない少女を大切に思う気持ちなど、私が知る限りでは慈愛という言葉しかなかった。


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