「じゃあ、名前ちゃん気をつけてね」
「ありがとうございます、ご飯もご馳走してもらって、すみません…」
「そんなの気にしなくていいよ、真宵ちゃんのトモダチだしね」
「そうだよ!トモダチなんだから!」

ともだち、その響きにまたきゅっと胸が締め付けられた。再度お礼を言って、手を振って二人と別れる。ぶんぶんと手を振り回してくれる真宵ちゃんが本当にやさしい。あったかいラーメンを食べて、お腹も心もいっぱいで街を歩く。もっと恩返しがしたいな。真宵ちゃんにも成歩堂さんにも、糸鋸刑事さんにも、そして、御剣さんにも。こんなちっぽけな存在のわたしができることはなんだろう。なんにもできないわたしが、なにをできたらみんな喜んでくれるのかな。まだ学生だから、手伝えることなんてないかもしれない。じゃあ、学校をやめる?……いや、そんなことはできない。だってあそこはわたしの大切な人がいる場所だ。わたしが学校に行かなくても怒らず、たまにきたときには今でも歓迎してくれる。そんな人がいるところを辞めることはできない。とはいえ、学校にいってないのは非常にまずい。芸術系の学校だったから課題を提出するだけでぎりぎりなんとかなっていたけれど、ずっとこのままなんてわけにはいかない。普通に勉強することはたくさんあるし、試験もある。この生活を続けると、あとすこしで留年が決まるだろう。退学も決まるかもしれない。…今まで学校のことは考えてなかった。考える余裕が、なかった。けれど、わたしはこれでいいのだろうか。このまま自分のアトリエで描いたものを売って、生活ができるか?絵しかとりえがないわたしだけど、それで生きていけるほど世界は甘くないしきっと御剣さんに迷惑がかかる。どうしたら、御剣さんのためになるようなことができるだろう。すくなくとも、ここで学校を辞めてしまったらそれはまったく叶わないと知っていた。…そうだ、わたしがちゃんと学校に行って、勉強して、もっとあたまがよくなったら、御剣さんたちのためにできることが増えるかもしれない。こんなわたしにだって役に立てることがあるかもしれない。いままで自分のことばっかり考えてたのが恥ずかしい。こんなに優しくしてもらっていたのに、わたしは自分自身のことしか見えていなかった。わたし、一丁前に恩返しがしたいなんて言って、全然だめじゃないか。このままじゃ全然だめだ。わたしがやるべきことはひとつだ、もっと、勉強して賢くなろう。


「ただいま、」


まだ誰もいない自宅へ戻る。自分に与えられた部屋を見て愕然とした。ビニールが張り巡らされた部屋に、たくさんの絵。たくさんの画材、たくさんのがらくた。自分のひとりよがりな人間性が顕著に表れていた。この部屋は自分勝手だったわたしの写しだ。確かに誰かに助けてほしいと願っていたのに、自分の心を閉ざしていたのはわたし自身だ。ばかだなあ、こんなんじゃ勉強できないよ。わたしは意を決して、腕を捲った。




___




「…ム」
夜になり検事局から帰宅し、ドアの鍵を開けた時、奇妙な物音を感じた。まさかまた不審者が?と思い急いで扉を開くと、腕を捲って所々服や体を汚した苗字くんがなにやら作業をしていた。とりあえず、不審な人物でなくて安心したが。

「なにをしている?」
「あっ…お、おかえりなさい。その、片付けを」

片付け?彼女の部屋には、絵の他には特に何もなかったはずだが。廊下を歩き彼女の部屋に目を通すと、思わず狼狽した。あれだけ埋め尽くされていたビニールが、全部外されていた。ビニールの山の上には、これまた絵画の山。イーゼルや画材が全て隅っこの方に追いやられていた。久々に見た白の壁と焦茶の床に、ああそういえばこんな部屋だったなと思い出す。

「苗字くん、これは一体…」
「…あれじゃあ、勉強、できないから」

そういって手元に持っていた本をぎゅっと抱きしめた。数学、日本史、国語…どうやら学校で使う教科書のようだ。いったいどんな風の吹き回しなのだろう。私が聞いていることは、彼女があまり学校に行っていないことだ。勉学の問題は大丈夫なのだろうかと心配したこともあったが、私が踏み込むことではないと放置していた。彼女が勉強している様子はなかったし、絵の方で収入を得ることができるようだったし、そういうものだと思っていたのだ。

「あの、このままじゃだめかなって…その、もっと勉強して、卒業して、御剣さんの役に立ちたいって、思ったの…」

勉強、卒業。もっとも学生らしい言葉のはずなのに、目の前の女学生とはあまり結びつかなかった。思案して固まっていると、彼女が決意した顔で喋りだす。

「これから、ちゃんと学校通うから…もっといろんな勉強します」


……そうか、その言葉でようやく理解した。どういうわけか休みがちだった学校にきちんと通うことにしたらしい。いたって普通のことであるのに、なぜか本当に素晴らしいことだと思った。彼女は、着実に成長している。家に置いているだけあって将来を心配していた私だったが、この少女は少しずつだが道を歩きはじめている。それが何より嬉しかった。それに、たしかに聞いた。私の役に立ちたい、と。柄にもなく、心臓の奥の方が熱くなった。


「そう、か。うム、学生ならば勉強が本分だろう。励みたまえ」

込み上げてきた嬉しさがカオに出てしまうのを恐れて、ぱっと背けた。温かな感情が私を包み込む。
「はい…ありがとう」

珍しく彼女の声も踊っていた。そのあとは汚れた彼女を風呂に入らせて、久々に二人で夕食をとった。相変わらず会話はほとんどないが、私にとって心地よい時間だ。


「…そういえば、あの絵はどうするのだ?」
「あれは、まあ、学校でもどこでも描けるから、捨てようかなって」
「ムグッ…それは駄目だろう」

捨てると聞いて食べたものを詰まらせそうだった。そんなことはさせたくない。

「苗字くんがいらないならば、私が引き取ろう」
「え…あんなの、邪魔じゃない?」
「邪魔になるものか。私がセキニンを持って保管しよう」

口元を拭きながら言うと、彼女は静かに笑った。せっかく前に歩き出したのに、過去の道をわざわざ捨てる道理はない。今まで辿った道を含めて、彼女のすべてなのだ。彼女を私の家に連れてきたあの紳士も喜ぶだろう。あとで、連絡をしなければ。
夕食を終えていそいそとシャーペンとノートを持って部屋に戻る彼女を見て、なんとも言えない、だが決して嫌じゃない気持ちになった。


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