いつものように厚いドアをこんこんと叩いて開ける。ふかふかの白いベッドにも座らず床の隅でうずくまる名前ちゃんを見てずきんと胸に針が刺さる。
ここしばらくはずっとこんな状態だ。どこにも連れ出してやれないのだから、無理もない。でも一緒に住み始めて一週間ほどすると、名前ちゃんはぼくの用意したお風呂に自分から入るようになったし、ご飯も食べてくれるようになった。それに、最近はなんとぼくの手伝いをしてくれるようになった!見えないけれど少しずつ、心を許してくれているのかもしれないとあのときは感極まったのをよく覚えている。

そんなときに突然の来訪者、つまり久々の依頼人が現れた。ぼくの本業は弁護士だ。月に一人依頼人が来たらいいぐらいの経営は順調とは言えないが、それでも訪問者は来る。こればっかりは仕方がないだろう。だからぼくは、できるだけおだやかに名前ちゃんを見つめて「静かに、ね?」と笑った。 ぼくの職業を知った名前ちゃんならこの状況を容易に理解できたと思う。
依頼人の話を聞きながら、ぼくの心のなかはもちろん気が気じゃなかった。もし名前ちゃんが物音を立てたら?助けてと可愛い声をあげたら?ぼくは一発でお縄にかかるし、その後はあの馴染みの裁判所で裁かれる。きっと検事は御剣だ。御剣はぼくを許さないだろうな。…それに矢張も、絶対にぼくのことを許さないだろう。いや、矢張はきっと状況が飲み込めずに泣いて喚くだろうか。小学生の頃ぼくを助けてくれた恩人二人を、こんな形で突き放してしまうなんてとんだ罰当たりだ。地獄の底に落とされてもとても文句は言えない。それでもなお、歩みを止めないのはぼくが異常者だということの証なのかなあ。正直、話の内容なんて覚えていなかった。声を上げてしまわないかの心配と、それと同時に名前ちゃんは突然人がきて怯えていないだろうか、ぼくと離れてさみしがってはいないかなどという心配だ。このふたつは一目でおかしいとわかる。名前ちゃんは突然ぼくに誘拐されて怯えている。だから助けを呼ぶチャンスが巡ってきて嬉しいだろうという気持ち。もうひとつは、それと相反するものだ。理性的なぼくと、盲目的なぼく。最初の頃はは前者が優っていたのに、生活するうちに見えてきた名前からの信頼のようなナニカを感じてしまって、後者が生まれた。普通に考えたら後者なんてありえないのに、心の奥の方でなぜかそういった気持ちがじわじわと蝕んでくる。これは期待に近いだろう。名前ちゃんがぼくを信じてくれて、頼ってくれて、ぼくからの愛を一身に受け取って、ぼくだけの世界で息をする。それはまさに理想の世界だ。その世界のことを考えると罪悪感なんてどこか遠くに消えた。やっぱり名前ちゃんとは運命だと思った。弁護士になることを決意し、いままで培ってきた経験や名誉、信頼をかなぐり捨ててでも閉じ込めておきたい存在なんて、他の誰にいるだろう!世界を探してもぼくだけかもしれない。それほどまでに、ぼくは名前ちゃんを盲目的にあいしている。

「あの、成歩堂さん?」
「…え、ああ、なんでもないですよ」

「そうですか、じゃあまた、よろしくお願いします」

この依頼人の話、なんだったかなあ。名前ちゃんのことを考えていたぼくの脳内では、彼のことなぞもうすでに綺麗さっぱりなくなってしまった。ドアを開けて出て行く男の後ろ姿をにこやかに見送る。…名前ちゃんは、声をあげなかったようだ。
それで確信した。名前ちゃんはぼくを信頼している!ああよかった、ぼくの願いがひとつ叶ったようだ。これでまた、ぼくの理想の世界に一歩前進だ。ほんとうによかった。…と、いうことは、名前ちゃんは今の訪問者に怯えていたはずだ。嬉しさを胸にしまって、キィとドアを開けると床に座り込んで俯いている名前ちゃん。静かにしてくれてありがとう、ああそんなに、言葉も出ないほどこわかったんだね。






しかし、物事はそんなにうまくはいかないものだ。そんな出来事があった束の間、名前ちゃんは今度は部屋に閉じこもってしまった。ごめんね、あのとき依頼人にかまけて突然名前ちゃんをひとりにしちゃったから、寂しかったよね。謝罪の意味をこめて、名前ちゃんの絹のような柔らかな髪の毛に触れようとすると、飛び起きてすみっこのほうにいってしまった。そりゃあそうだ、繊細な気持ちのときにいきなり距離を詰められたら嫌だよな。ぼくは極力優しい声で、ベッドで眠るように促して静かに部屋を出た。あの怯えた目も、震えた口元も、すべてが愛おしい。


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