「事件ッス事件ッス!」

今後の裁判についての資料を頭の中で整理しながら検事局の廊下を歩いていると、うんざりするくらいには聞き慣れた男の大声が耳に入ってきた。

じろり、と先を見ると古ぼけたコートを羽織った大柄な身体を左右に揺らしながら、どたどたと足を荒げて廊下を駆ける男、つまり己の部下である糸鋸刑事がいた。検事局の廊下を走るなど、言語両断である。

「……糸鋸刑事、廊下を走るな」
「は!はいッス!すまねッス!」

ハアとため息をつきながら睨むと糸鋸刑事は冷や汗をかいて謝る。注意されるとわかっていながら、なぜこの男はこうなのだ。

「糸鋸刑事、私のところには新しい事件の情報は入ってきていないが?」
今日の業務はもっぱら既に決まっている次の裁判の情報収集と過去の事件の書類整理である。自分で言うのも変だが、ここに舞い込む刑事事件の大体は私の耳に入ってくるものだ。だがしかし今日はそのような一報は来ていない。たった今、起きたということか?

「そうッス!…あ、いや、正確にいうとまだ事件じゃないッスが……」
大柄な身体をしゅんと丸めて、頬をかく。事件でないのならば、なぜこうも焦る。"まだ"とは一体どういうことか?

「簡潔に説明したまえ」
「り、了解ッス…実は2週間前、この隣町で女子大生が行方不明だと母親と友達が行方不明者届が提出されたッス」

ふむ、隣町というと特に大きな事件はあまりない。否、数年前に大学内で凄惨な殺人事件があったか…。しかし、全体で見ると治安は良い方だ。それに昨今の日本では行方不明者のそのほとんどが一ヶ月内に見つかっている。ここまで聞くと、この男がいうような重要性はあまり見えない。

「相手は女子大生なのだから、失踪でなく家出の可能性も十分あるだろう」
「そうッスけど、なんか変な感じがするッス…」
「ほう…?」

詳しく聞くと、行方不明者は隣町の勇盟大学に通ういたって普通の女子大生。友人からの信頼も厚く、異性との交遊もほとんど見られない真面目で堅実な人物だともっぱらの評判。実際に連絡が取れなくなったのは一ヶ月前。女子大生は友人と買い物に行った帰りから連絡が途絶えたらしい。友人が心配して親御さんに報告しようとしたのだが、彼女は一人暮らしだったためになかなか親御さんの連絡が取れず一週間が過ぎた。そして一週間後、友人とともに警察署に赴き行方不明者届と捜索願を出した。20そこそこの女子大生の失踪ということで、ただの家出だろうと警察署は取り合わなかったが、たまたま居合わせた糸鋸刑事が話を聞いて涙ぐみ、勝手に受理させた。とはいえなんの手かがりもなく二週間が過ぎ、再度相談にきた親御さんを見て糸鋸刑事が事件だと立件しようとしている、ということらしい。

「む…身辺調査もしているのだろうか?」
この男は少々情に熱いところがある。無論悪は全て罰せられるべきであるが、このような捜索願などはただでさえ跡を立たない。その上ただの家出だったということも多い。いちいち立件してては警察が回らないというのが警察局長の意向だと考える。故に、しっかりと立件できるような理由がなければただのいち刑事の戯言になって終わるのだ。

「それが、上にこっぴどく言われてまだできてないッス、でも、あの母親と友達の話を聞いてこれはただごとじゃないって思ったッス!」

どこまでもこの男は。警察は正義感だけで生きていける世界ではないのだ。だがしかし、そういうところを気に入っている私がいるのも事実だ。
御剣検事、助けてほしいッス!とまた涙ぐみながら必死に懇願されては、どうしようもない。そもそも犯人が捕まっていないのだから検事である私の出る幕はまだない。…だが、上にかけ合うことは可能だ。

「……糸鋸刑事、気になることがあるのならば徹底的に調べたまえ」
「! はいッス!すぐ行ってくるッス!」

私の協力が得られたとわかった糸鋸刑事は、捜査ッス捜査ッス!といってまたどたどたと廊下をかけていった。…たったいま注意したばかりではないか。

後ろ姿を見届けてから、踵を返す。まだ私の出番はないが、頭の片隅に置いておくとしよう。有盟大学、不穏な響きに頭痛がして目を細める。その大学はまさにその昔、凶悪な殺人があった舞台だ。そして稀代の悪女とも呼べる犯人のその後。思い出すだけで嫌な汗が出てくる。……ああ、あの男も勇盟大学だったな…。


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