「名前先輩!」

ころりと鈴を転がしたような声で後ろから声をかけられた。もちろん声で誰かはわかる。ゆるむ口元を隠しもせずに振り返ると、わたしの目線より低い位置にあるぴょんと結ばれた茶色い髪、利発そうな眉毛に特徴的な鼻。そう、このところずっとわたしが目にかけている一年は組の皆本金吾くんだ。

「金吾くん、おはよう。朝早いね」
「おはようございます!名前先輩も剣術の特訓ですよね?ご一緒してもいいですか」

ああ、金吾くんのお尻に犬のしっぽが見える。さしずめ柴犬だ。私はこの忍術学園に通う五年生。金吾くんは一年生。私はくのたまで金吾くんは忍たま。一見交わらなそうな私たちだけれど、どこかで武家の娘だと知ったのか剣術という点で共通点があるのだ。私はくのたまだから普段は剣は使わない。きっと卒業してからもそうだろうけど、父の教えを投げ打つつもりは毛頭なかった。一年生から長年の説得もあって今は戸部新左ヱ門先生の元で学ばせていただけることになって早数年。そんなときに新しく入学し、私と同じように武家に生まれ、先生に教えを乞うことになったのがこの皆本金吾くんというわけだ。

「うん、練習に付き合ってくれる?」
「っもちろんです!」

嬉しそうに金吾くんが返事をする。一般的に男の子より女の子の方が身体の発育がいい。金吾くんは忍術学園での剣術もまだ日が浅いから練習に付き合うと言ってもわたしが手加減している状態だ。もちろんこれは致し方ないことなので、そのあたりは金吾くんもちゃんとわかってる。わかっていてなお、わたしに勝とうと必死に練習する姿が愛らしい。

まあつまるところ、わたしのかなりのお気に入りなのだ。もう忍術学園で一番。同級のくのたまはやれ六年生にかっこいい忍たまがいるとか、やれ土井先生がかっこいいだとかそういう話をよくするけれど、わたしのなかで一番はどう考えても金吾くん。
五年生のわたしが一年生を本気で気に入ってるなんて知られたらあらぬ噂がたてられそうだから言わないけれど。


「金吾くん…強くなったねっ」

金吾くんの攻撃を避けながら模擬刀をふるう。この子は剣術に関してとても実直で、わたしのアドバイスや戸部先生の教授をどんどん吸収する。乾いたスポンジのようだ。考えすぎることもしばしばあるようだが、着実に腕を上げていてほんとう尊敬している。

わたしが褒めると金吾くんはまた鈴を転がしたような声でありがとうございますという。ひと休憩しようと模擬刀を下ろすと、金吾くんがじっと足元を見ていた。

「金吾くん、どうしたの?気分が悪い?」
「いえ、違くて…」

ぎゅっと模擬刀を持つ手に力が入るのが見えた。


「ぼく、はやく強くなりたいです」
「なれるよ、金吾くんなら」

「でも!あと一年で名前先輩は卒業してしまうじゃないですか…」

ぎょっとした。はたと見た金吾くんの大きな目にはうっすらと水の膜が張っていたのだ。たしかにあと一年と少しでわたしは卒業を迎える。忍術学園から卒業するということは、おのおのどこかの城に仕えて生涯をくのいちという職に捧げるということだ。つまりそれは、ほとんど永遠の別れとも言える。くのいちは隠密活動が主だし、命がどこで終わるかも分からない。よってここを卒業してしまえば同じ学舎で学んだ友でさえもなかなか再会することは叶わないのだ。

「そうだね、もう会えなくなるかもしれないね」
「そんなの、いやです」

私もいやだよ、と口をついて出そうになった。いけない、こんな少し時間を共にした人間のちょっとした言葉でこの素晴らしいたまごを捕らえてはならない。

このしんとした空気にいたたまれなくて、努めて明るい声で「まだ先だよ、ほら、食堂に行こう」と金吾くんのつめたくなった手を引く。

「っ名前先輩!」

繋いだ右手がくんと引っ張られて、後ろの金吾くんに一歩近づく。

「もっと、もっと強くなります、特訓ももっとするし、戸部先生からすべて学びます」

「だから、名前先輩、」


「名前先輩のこと、ぼくに守らせてください」

そのくもりのない真剣な眼差しに、いままで可愛らしいと思っていた後輩に、ぎゅっと心の臓が掴まれた気がした。実際のところ金吾くんはすぐ私より強くなると思う。まだ10歳だ、5年も6年もしたら考えが変わってしまうかもしれない、そうかもしれないけど、どうしようもなくこの小さな男の子に期待してしまうのだ。


「…うん、まってるよ」

ああ、まだ若い芽を摘むようなことして、父にも母にも先生にも友達にも怒られるかもな。
ちょっとだけ熱くなった頬を隠すように、またぎゅっと金吾くんの手を握って歩き出す。後ろの男の子は、見なくてもわかる、多分とても笑顔だ。


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