時間は無情にも過ぎ去る。あれからわたしはずっと自己嫌悪の毎日だ。あのときの出来事がどうしても忘れられない。どうして声を上げなかった?どうしてドアを叩けなかった?どうして袖を掴んでしまった?そうして自問して、自問して自問して自問して1日が終わる。身体は元気でも、心が擦りきってしまってる。ちょっとした衝撃で破れてしまいそうだ。成歩堂さんとは会話もしていない。否、会話はしていると思うが自分が何を喋ったか、成歩堂さんが何を言ったのか思い出せない、覚えていられないのだ。支離滅裂なことを言ってるに違いない。

あの依頼者はあれ以降ここには訪れていないようだ。わたしの存在を懸念して外で打ち合わせをしているのかもしれない。もしかしたらわたしを一人にさせようとしてる成歩堂さんの気遣いかもしれない。…ああもう、また成歩堂さんのことをいい人かのように表現してしまった。そうじゃないだろ。彼は悪い人。わるいひと。自分の感情がぐちゃぐちゃだ。目を覚ませ、お願いだから、この長い悪夢から目を覚ませて。

冷たい床に横たわる。最近はずっとこうしてる。ベッドに横になるよりも、この冷たいフローリングを肌に感じていた方がまだ自分が冷静になれると思っているのだ。もちろん睡眠はあまりとれていない。目を瞑ると瞼の裏で色々なことが反芻する。成歩堂さんの柔らかい抱擁、笑顔、毎日規則正しく出てくる食事、準備されたお風呂、着替え、……そして、一番最初に感じた暗闇と後頭部の痛み、手足の痛み、冷たい、床。

ハッとなって飛び起きる。寝ていたのかよくわからない、もうずっとこれなのだ。現実と夢のはざまで行ったり来たり、ゆらゆら揺れる蜃気楼のよう。人は2週間も睡眠を取らないと死ぬらしい。どこかで聞いたことがある。わたしもそうやってしんでしまえたらいいのにとおもう。




「名前ちゃん、」
ふと気がつくと外はすっかり暗く、ドアの隙間から照らされたオレンジ色の灯りと大きな黒い影。ああ、帰ってきたのか。
起きても床から顔を上げない私を見て、至極心配そうに腰を折る。膝をつく。わたしの髪の毛に、触れようとする。その僅かな手のぬくもりが、まだ幸せだったころに感じた友人の手のひらと重なった。



バッと、効果音がつきそうなほど勢いよく起き上がって後ずさる。行き場を失ったあの人の手は宙を掻いた。優しげな瞳は大きく見開かれていて、口は薄く開いている。きっとわたしも同じ顔をしている。
かたかたとどこからか音が聞こえた。床についたわたしの指の爪が床と擦れる音。そこで自分の体が震えているのに気がついた。自分の両手を抱きしめて、あの人を見つめる。恐怖だった。初めの恐怖が蘇ったのだ。あの時と同じだ。ぞわりと鳥肌が止まらなくて、喉の奥がつっかえて言葉が出ない。あのときと違うのは、こんなでも頭の中は冷静だということだ。
今までの自分をひどく恥ずかしく思った。これじゃあこの人の思うつぼじゃないか。極限状態にさせて、優しくして、この世界の味方は僕だけだと暗に思わせて、わたしを捕らえる。まんまと乗せられてしまったのだ。なにを馬鹿なことを考えた?わたしの狙いは最初から1つだけ、この人に取り入るためでしょう!


「ごめん…でもせめて、ベッドで寝てね」

がちゃん、とあの人はドアを閉める。彼はわたしのこの行動を、あまり不審に思わなかったようだ。想定内ということか。まだあの人はわたしが心を開き始めてると思っているかもしれない。しずかにお腹の辺りをキツくつねった。わたしはもう、間違えてはいけない。


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