この生活においての転機が訪れた。いや人生の転機と言っても過言ではないのかもしれない。また、この監獄に来客が現れたのだ。事の発端はほんと数十分前。成歩堂さんと朝食をとっていると、いきなり成歩堂さんが鋭い眼差しでドアの方を睨んだのだ。向かい合って座っていた私は嫌でも気づく。有無を言わさず成歩堂さんはわたしの腕をとっていつもの牢屋に閉じ込めた、無論、あの爽やかな笑みと「静かに、ね?」という芯の冷たい言葉を残してである。その数秒後に聞こえるのはがちゃりとドアを開ける音。あのう、と若干不安げに発せられた男性の声。前までの無知なわたしとはちがう。少ない情報をかき集めて導いた答えはそう、依頼者だ。ぶわり、と全身の毛が逆立ったきがした。恐怖ではない。わたしの心のなかにきちんと鎮座していた逃げたいという気持ちに向けられた光。それによってわたしの感情が高ぶったのだ。助けを求める、2回目のチャンス。これを転機と言わずしてなんと言おう?

「…ぁ、」

ふっ、ふっ、と自分の呼吸がいやに短い気がした。ぎゅっと心臓が潰れるようで、苦しい。喉がすっかりカラカラで、やっと絞り出せた音はなんとも頼りないものだった。本来ならば、ここで言葉を発せれば終わることだ。ただ一言、助けてと。しかしどうだろう、絶好のチャンス、一回目のあの時のわたしはどうだっただろう?わたしは声を上げることすら、出来なかったではないか。カーテンが閉まったうす暗い部屋でわたしは俯く。髪の毛が鬱陶しい。伸ばしかけた手を、力なく床に置いた。とうとうわたしは馬鹿になったらしい。どうしようもない、馬鹿に。


成歩堂さんと見知らぬ男性の声がする。時折、笑い声。ああこれはきっと成歩堂さんの笑い声だ。あれから何分たったかなんてわからなかった。この板を挟んで数十メートル先には、わたしを解放してくれるかもしれない光があるのに。どうにも体が動かなかった。喉も、呼吸の仕方を忘れたみたいだ。こうしてわたしは二度もチャンスをドブに捨てようとしている。極限状態というのはこうも人を翻弄させるのか。カラカラになった喉を動かそうとした時、わたしは何を考えた?手を伸ばしかけて、何を恐れた?そんなの自分でも気づいていたのだ。認めたくない。最近は同じことの繰り返しだ。認めたくない。認めたくない。確かにわたしは、考えてしまった。何を?簡単だ。ここで声を出したら、成歩堂さんが捕まる。当たり前である。しかしそうではなかった。わたしの奥底に宿った気持ちは、こうだ。


"ここで声を出してしまったら、成歩堂さんが捕まってしまう"


なんとも馬鹿げた話だった。コトバひとつで、意味が正反対だ。もう嫌だ。嫌なはずなのに、成歩堂さんが近くにいてくれたことがすごく安心した気がするのだ。わたしは悪と正義の区別がわからなくなっていた。いつから、判断が正常にできなくなったのか。いつのまにか来客は去っていた。こつこつと響く靴の音。キイとドアを開ける音と同時に射し込んでくる一筋の灯りが、わたしの助けのように思えてしまったのはいつからだ?べたりと床に座って俯くわたしに、成歩堂さんがしゃがみこんで至極優しい声を出す。


「いい子だね」


その一言に、何かを強く揺さぶられた。強い何かを感じてしまった。何を思ったのか自分でもわからない。無意識かもしれない。本当かもしれない。わたしがついさっきまでドアを叩こうとしていた頼りない指は、確かに成歩堂さんの腕の袖をきゅっと掴んでいた。最初に袖を掴んだ時とは、決定的に何かが違っていた。視界の端っこに、胸元でキラリと光る金色が見えた。


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