もう半月はたった気がする。警察は動いていないのだろうか。この国の警察は、どうなっているのか。大学は春休みだし、母とももともとあまり連絡を取らなかった子どもであることを憎んだ。ほんとうにみんな、わたしがいなくなったことに気づいてないのかな。この半月ほどで変わったことは、拘束がなくなり自由に歩くことが出来ること、共犯者の存在。逆に変わらないことはどうしてもここから出られないことと、成歩堂さんが優しいこと。はあ、と自室でため息をつく。変わらないなあ。重い体を起こして、定位置になりつつある出窓に腰かける。成歩堂さんが来ないときはほとんど、ここに座って遠い地上を歩く人々を眺めるのだ。もしかしたら誰か気づいてくれるかもしれないと、願いながら。しかし、やはり都会を歩く人はせかせかと地面しか見ていない。遠い上にいるわたしに、気づくわけもない。この建物の目の前にはビルの壁があるし、歩行者が見える隙間は僅かしかないのだなら、当然といえば当然である。


「名前ちゃん、昼ごはんだよ」


そうして呼ばれると、わたしは成歩堂さんの後ろを歩く。そうだ、変わったことといえばもうひとつ。それは、わたしがこの男性を怖くないと思ってしまっていることだ。これは本当に不覚で、あってはならないことである。世間から隔離され独りぼっちになってしまったわたしは、そんなわたしに絶えず優しくしてくれる存在に心を許してしまったらしい。たとえこの男がわたしを独りぼっちにした張本人だとしても。これは一種のまやかしなのだ、深い闇の中の、脅威だ。

そして先日この男の職業を知ってから、気づいたことがある。この、わたしはリビングと呼んでいるが妙に洒落た観葉植物で彩られパソコンやらが置いてあるこの場所は、やはり彼の仕事場であるらしい。弁護士の仕事場…その方面の知識が全くないわたしはよく分からないが、きっと弁護士専用の部屋とか、そういう類なのだろう。半月もいて、来客があの女の子だけというのも些か怪しいのであるが。どうやって生計を立てているのかもまた、謎である。


「名前ちゃん、はい、これ」
「えっ、と…」

どうやって生計を立てているのかもわからない、といったそばから彼が手渡してきたのは控えめながらも可愛らしいデザインのネックレス。どこかで見たことあると思ったら、先日テレビで紹介されていたファッションブランドのもので、かわいいなあと思いつつ食い入るように見ていた商品だった。まさかその姿を見ていたのか。わたしがいいなと思っていることに気がついたのか。とんだ観察眼だ、と思いつつそのネックレスをどうしようか考えあぐねていると、ふいに「ああ、」という小さな声が聞こえわたしの眼下に伸ばされた手ともうひとつの手がゆっくりとわたしの首もとまで来た。以前のわたしならばここできっと首を締められるなどと想像して身を固くしていた事だろう。しかし、今のわたしはちがった。彼のやろうとしていることがすぐにわかった。首を締める訳では無いという保証は、どこにもないのだが。

「うん、似合うよ」

器用にわたしの首の後ろでネックレスを付けると、すこしだけわたしの髪を触ってその手がするりと抜かれた。そして笑顔で、褒める。嬉しいという感情は流石になかったけれど、明らかに変わってしまったのはわたしのほうだ。

気がつけば家事を手伝うようになって、朝成歩堂さんがいないことに気がつけば安心より一抹の不安が掻き立てられ、気がつけば、ここでの生活基盤を整えてしまっている。おかしな話だ。このまやかしは、いつになったら解けてくれるのだろうか。先程つけられたネックレスを軽く握り、今現在のわたしを恥じた。だめなんだ、ここから逃げなければ、だめなんだ。そもそも、彼の名前を聞いたあの日からわたしが心に決めたことはなんだ?心苦しくとも彼に取り入って逃げる隙を探す。それだけだった、それだけだったのに。どこかでこの現象を耳にしたことがある。ちょっと一ヶ月ほど前、まだわたしが自由の身であった頃にテレビのニュースでやっていたもの。そう、まさにストックホルム症候群。それであるのかもしれない。否、自覚しているだけ違うのかもしれない。これも彼の戦略のうちなのか。逃げたい。この男が憎いという感情と、この人はいい人なのかもしれない。などという馬鹿げた気持ちが交差する。もうぐちゃぐちゃなのだ。これからどうしたらいいのか。わたしは何がしたいのか。わたしはわたしがわからない。


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