突然だけど、今日はぼくの話をしようと思う。状況は見て分かるとおり、ぼくは遂に憧れの、運命の女の子をこの手に収めたのだ。最初は嬉しかった。いや、今だって十分に嬉しい。近くに名前ちゃんの顔があって、近くに名前ちゃんが感じられて、ここに存在していて、こんなに嬉しいことは無い。幸せな気持ちでいっぱいだ。…この心の奥底にあった気持ちに気づくまでは。
ぼくは弁護士だ。それは事実だ。彼女を手に入れたときは罪悪感なんてほとんど抱いていなかったのも事実だ。しかしやっていることは、明らかなる誘拐。これも絶対的な事実であり、絶対的な悪だった。その罪悪感が、じわりじわりとぼくの心を侵食していることに気がついたのは、割とすぐだった。それでも後悔はしていない。その罪悪感を生み出すのは、彼女のカオだった。彼女が寝静まった夜中。ぼくはひとりリビングの灯りをつけてテーブルに座った。何をするわけでもなく。名前ちゃんはここへ来てからまったく笑顔を見せない。当たり前なのかもしれない。けれど、どうにもぼくには納得がいかなかった。ぼくがあのとき見た笑顔は、ぼくとぶつかった後、マキさんに笑いかけたあの笑顔は?ぼくがぼく自身の目にずっと焼きつけ、フィルムに焼き付けたあの笑顔は、どこへいってしまったのだろう。ぼくが今日まで見てきた彼女のカオはどんなものだったか?泣き顔、怯えた顔、この世の終わりのような、絶望した顔。いつも彼女の意識、五感はぴんと張り詰めていた。無意識…いや、本能的に彼女の中の警鐘が鳴っているのだ。どうしてだ、ぼくがいるのに。ぼくはあのときの笑顔を、そのままぼくのそばに置きたいのに。

名前ちゃんがここから逃げることをいつも考えてることなんてとっくに気づいていた。もしものためにと蝋で固めた窓の淵を見て、彼女は明らかに絶望の色を浮かべるのだ。最初はその姿を見るのが心苦しかった。本当は外へ連れ出して、名前ちゃんを僕のものだとみんなに見せつけてやりたかった。だけどいつだろうか、その絶望に染まった色でさえ愛おしく感じてしまったのは。彼女は気づいていない。この家に隠されたカメラがいくつもいくつもあることに。犯罪とは無縁の彼女だ、きっとこの部屋にはないだろうと思っていたのだろう。…そう、ぼくの部屋には。

ある日は用事で外へ出向かなくてはいけなかった。矢張に呼ばれたのだ。大した用でもなかったけれど、昔の好からかなんとなく断ることは出来なかった。家の外へは真宵ちゃんが見張っている。あの子なら、大丈夫だろうと思った。移動中に普段はつけないイヤホンをつけていることに矢張が突っ込んできた。何聴いてんだ?という問いにはトノサマンのテーマソングだよなんて答えた気がする。本当はそんなものではない。家に置かれたカメラから得られる音だ。ひとり残された囚われの彼女が取ると思われる行動。一番可能性が高いのはぼくの部屋だ。…無論、その予想は当たっている。ごそごそと鳴る音と、微かに聞こえた「法曹関係」という彼女の愛しい声に、あああの本を見つけたのだなと確信する。あれを見たら嫌でもわかる。ぼくの職業が。彼女はぼくの職業を聞いてどう思ったのだろう。そうだ、ぼくは弁護士。犯罪を裁く、までは行かずとも真実を突き止める。いわば正義なのだ。そんな正義が、悪に加担している。絶望的だ。彼女はきっとまたあのこの世の終わりのようなカオをしているのだろう。…なぜか、じわりと心の中で嬉々に似た何かが生まれた。

飲みに行こうという矢張の誘いを適当な理由をつけて断り、早いうちに家路につく。家の前にいた真宵ちゃんにご苦労さま、ありがとうと声をかけた。真宵ちゃんはすごく微妙そうな顔をしてううんと呟くのだった。彼女には間違いなく罪悪感が生まれている。…まあ、ぼくもだけど。がちゃりと開けてなんでもないようなふりをして名前ちゃんに声をかける。名前ちゃんはぼくの顔色を気にしているみたいだから、最善の注意を払って繕う。名前ちゃん、今何を考えているかな。可愛い。愛しい。ぼくの中はいま色んなことでいり混ざっている。少なからずぼくが小さい頃から抱いてきた正義への罪悪感。だけど彼女を手に入れることが出来て嬉しいという感情。そして、絶望した顔を愛しいと思ってしまうこの歪んだこころ。すべてがぐちゃぐちゃで、何を考えるのも億劫になった。だけどぼくが名前ちゃんを愛しいと思う気持ちは揺るがない。揺るぎようがない。いつ迎えたかわからない朝を感じて、今日もぼくはにこやかに、好青年なぼくを演じて彼女に笑いかけるのだ。



「名前ちゃん、おはよう」


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