「…ム、苗字くん、」
ある朝、名前は珍しくぱたぱたと何かの準備をしていた。小さめな身体に似つかわしくない大きいトートバッグを抱えている。

「 あ、御剣さん…その、学校に」

ああ、と御剣は納得した。4月半ば、もしかしたら春休みなのだろうという勝手な推測を立てていたのだが、どうやら違うらしかった

「帰りは遅くなるのか?」

かちゃ、とティーカップを置いてまるで父親のように言う


「いえ…課題提出しにいくだけで、帰りはスーパーに、」
ちょうど食材のストックが危ない、と考え込む。
名前はでは、いってきますと御剣に一礼して外の世界へ向かった。

ちなみに、御剣宅に来てからこれが初めての外出である






御剣の家から高校までは歩いて20分のところだ。
名前は普段の授業にはほとんど出ず、課題やテストのときのみ登校しているので、もはや退学ぎりぎりといっていい

提出する課題と数冊のスケッチブック、ペンケースや画材、様々なものが入ったトートバッグはいい重さをしている。
普段あまり外に出ない分、名前にとってはこの忙しなく動く人々も、喧々と音を立てる工事現場も、燦々と照り続ける太陽の日差しもこの春の匂いだってあまり良いものではなかった


高校の担任からは「なるべくきなさい」と優しく宥められたこと以外は、何事もなく穏便に用事を済ませることができた。ついでに来たスーパーでも難なく買うことができた。そう、この時までは何事もなく。


「…お、重い…」
外に出たくないからといって数週間分の食材を買いだめるんじゃなかった、と名前は後悔した。
両手にははち切れんばかりに食材が詰まったビニール袋、薄いなで肩のそこには大きなトートバッグ。

やばい、これ、無理だ、指の先が紫色だ。
くそう…こんなに買うんじゃなかった。

ぐぐぐ、と奥歯を噛み締めていたちょうどその時、

「えっと、きみ大丈夫?」

真後ろから男性の声がした。
え、と振り返るまもなく後ろにいた男性は名前の手の荷物をひょいと持ち上げたのだ。びっくりした、急に声をかけてくるなんて、そして急に荷物を奪うなんて
みると自分よりだいぶ高い身長、オールバックの黒髪でなぜか後ろがギザギザしている男性だった。
男性はにこにこと人あたりのいい笑みを浮かべていた

「あっ、…ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると男性はわははと笑った

「いいっていいって、これどこまで?」

名前は急いで御剣のマンション付近のコンビニを言うと、その男性はそこまでもつよと快く言ってくれた

「すみません…助かります」
申し訳なさそうにいうと男性はいやいやと首を振る

「謝らないで、俺、困った人を助けるのが仕事なんだ」
聞くと彼は弁護士をしているのだという。彼の胸についている金色のバッジはその証拠なんだろう
その後はあまり会話はなかったが、名前はなんだか嬉しい気持ちでいっぱいだった。

「…あの、ここで。ありがとう、ございました」
深々とお礼をいうと弁護士さんはにこにこと笑った。

「いや、全然いいよ、それじゃあ」
ひらりと軽く手を振る彼に小さく会釈をして名前はマンションへ足を運んだ。

(今どき優しい人もいるものだなあ)
と、しみじみと感じながら。



また、名前がマンションに入っていく姿を見届けた弁護士はふと思い当たる。

「…そういや、あのマンション、御剣もそうだよな」
まさか2人につながりがあるとは思っていない彼は、あのお嬢ちゃん、いいとこ住んでんなあと呑気に考えるだけだった。



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