とてつもなく暗い



いつもとなんら変わらない喧嘩だった。それこそ本当に化け物なんじゃないかと思うくらいに第六感の利くシズちゃんに見つかって、ぽいぽいと飛んでくる公共物をかわしながら池袋を駆けずり回る。シズちゃんの馬鹿力は相変わらず目に余るし非現実的で、しかしこれが俺の日常だ。だからこそ、この目の前の状況にどうしてこうなったと自問自答をせずにはいられなかった。
俺達の物理的な力の差は歴然だ。少し痩せすぎていると自負すらしている俺が正面をきってシズちゃんに向かっても、彼にとって俺をはたき落とすことは造作もないことだろう。しかしどうだ。俺は今現在進行系でシズちゃんの薄い腹に馬乗りになり権勢を握っている。シズちゃんの力なら少し押す程度で俺の体は簡単に吹き飛ぶだろうに、どういう訳か青筋を浮かべることも怒鳴り声をあげることもなくただ俺の下で黙って、俺の手の中でぎらつくナイフを睨み付けていた。俺達が取っ組み合った時点で既に辺りに人気はなかったが、はたから見ればあの平和島静雄が主導権を握られて黙ってるという絵面は珍妙なことだろう。
しかしまあ俺にとっては、あれだけ死ね殺すとくだをまいていたシズちゃんが自分の下敷きになっているというのは実に壮観だった。じわじわと侵食するえげつない感情に口角が上がる。皮肉の一つでも吐きつけてやろうと思うが、何故か言いたい言葉が見つからずフライングしてしまった唇ははくはくと空を切った。それを見てどうした、と問うてくるシズちゃんに、別に、と返すことが出来たので決して声が出ないわけではないのだが、吐くべき言葉がを見つけることが出来ない。うろたえる俺に、今度はシズちゃんがにやりと笑った。
おいどうした、いつもの雄弁はどこ行った。
卑しいにやにやを口元に浮かべてシズちゃんが言う。それでもなお言葉を忘れたように動かない俺の唇と、組み敷かれているにも関わらずまるで余裕そうなシズちゃんが酷く憎たらしくて、珍しく頭に血が上った俺はナイフを振りかぶっていた。しかしシズちゃんは一切の抵抗を見せない。自分の体に刃物も銃弾も通用しないのはシズちゃん自身が一番知っていることだ。

「っこの、化け物が…!」

力いっぱいナイフを下ろした俺が絞り出せたのはそんなちんけな台詞だった。こんなものはヒーローアニメの主人公だって言わないだろう。精一杯喚いた言葉の幼稚さに頭痛を催しながら俺は寸部狂わずシズちゃんの心臓の上に突き立てたナイフを引っこ抜いた。

……………え?

無意識の動作だったが引っこ抜く、という動作はものがそれなりに埋まっていた際にすることである。普段のシズちゃんのアイアンボディーであれば五ミリ刺されば上出来な方なので今まで幾度となく彼の皮膚にナイフを突き立ててきたが引っこ抜くなんてことはただの一度もしたことがなかった。その前にナイフが折れるか跳ね返されるのだから。
しかしどうだ。全く意識の作動していない状況で「引っこ抜いた」ナイフには柄のぎりぎりにまでべったりと血がついている。付着の許容範囲を越えた分が重力に伴ってだらりと垂れ下がって来た。
信じられない状況に手の中のナイフを凝視していると、ふるふると僅かに痙攣するシズちゃんの手が手首を掴んだ。すっかり動揺しきった俺が見遣ったシズちゃんは笑っていた。少しだけ苦しそうに眉を寄せながら、先程のにやにや笑いとは違う笑みを見せている。俺の見たことの無い笑顔だった。

「臨也、もう一回。」

いつからマゾヒズムに走ったんだいシズちゃんは。そんなことを思う間もなく掴まれた手首は傷口の上に持って行かれた。これじゃあ死ねない、もう一回だ。とシズちゃんは刃先を自分に向けてゆっくりと俺の手を下ろした。さっぱり銀色の見えなくなった刃がずるずるとシズちゃんのなかに入っていく。ぶちんだとかばきんだとか嫌な音をたてながら、彼の強靭なまでの力を持ってされた最後のひとつきで俺が握っていた持ち手の、半分までがシズちゃんに呑まれた。無遠慮に神経や骨を壊していく感触に俺は眩暈がした。けれどシズちゃんは満足げにわらっている。掴んでいた俺の手首を離して、信じられないくらい力のない掌が俺の顔を撫でた。終始わけがわからず考えることをすっかり放棄してしまった俺の脳みそは既に使い物にならない。頬からずり下がっていく掌を咄嗟に押さえると、ぬたぬたとシズちゃんの血液が俺の顔についた。
シズちゃんは相変わらずにこにこしながら一昔前の任侠映画みたいにごぶごぶ血を吐いてありがとうと言った。










寝覚の悪い夢だった。
先程俺の頭の中で殺された張本人は、すぐ横で阿保面をぶら下げて寝こけている。
じっとり嫌な汗で湿った体が気持ち悪くてベッドからはい出ると突然手首を掴まれて、夢の中のあれとリークして心臓が跳ねた。振り返れば、どこに行くんだとまだ覚醒仕切っていないまどろみに浸かったシズちゃんと目が合う。俺は特に意味を持たせずにあくまで何となく、聞いた。

「シズちゃんって死にたいと思ったことある。」

とろんとした目を不思議そうに開きながら少し考えてシズちゃんは、見たことの無い笑顔で笑った。






溺れるナイフ
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -