煌く綺羅の夜 | ナノ


▽ 序章 嵐の前の静けさ


山間の小さな村。特別珍しい物があるわけでもなく、ごく普通の片田舎だった。
ただ、山々に囲まれ、ありあまるほどの豊かな自然があるだけの、小さな、小さな村。
村の名前を杜樂−とがく−と言った。
そんな村の一角に、村唯一の宿屋があった。
村にはあまり旅人が来ないので、いつもは客がいないが、たまに立ち寄った旅人たちからは重宝視されていた。 
宿屋は棕絽−しゅろ−家三姉弟により経営されていた。
宿の名は、三人の名前を一文字ずつとり、<煌く綺羅の夜>とつけられていた。


窓から覗く空は、いつものように晴れわたっていた。
窓を開け放つと、初夏のここちよい風が頬をなでた。
棕絽家三姉弟の長女、煌瑚−こうこ−は何をするでもなくカウンターに座っていた。
やはり客はいなく、二人の弟たちも仕事でいないため、煌瑚は時間を持て余していた。
「私への当て付けかしら。嫌味なくらい天気がいいわ。……いつものことだけど……」
煌瑚は窓の外を見ながらため息を吐いた。
いつものこととはいえ、ただ座っているといういのはやはりあきるのだ。
煌瑚は目をつぶり耳を澄ました。
まずはすぐ近くから。
自分の心音。血液の流れる音。
少しずつ遠くへ。
隣の部屋の時計の音。屋根裏のねずみの鳴き声。
鎧綺が帰ってきたら退治してもらおう、煌瑚はそう思いながらも更に意識を遠くへ飛ばす。
隣の家の会話。道端での子供達の笑い声。猫の鳴き声。
もっと、遠くへ。
誰かのため息。鎧綺の声と、子供達の騒がしい声。
何を教えているんだろう。
意識を少しそこでとどめてみる。


「―そこ、静かにしとけよ。静かにしてないと蹴り技見せてやんねぇぞー」


もっと、遠くへ。
鳥のさえずり。小川の流れる音。由騎夜の声。


「―で、こっちの薬は食後に飲んでください」


もっと、もっと遠くへ。
犬が吠えている。困惑したような異国の言葉。おびえたような声。
異国の言葉?
煌瑚は少し気になり、そこに意識をとどめた。


「―ききたい、ことがあるんです。宿屋はどこですか?」


片言の言葉。異国の旅人だろう。
久しぶりのお客だろう、と煌瑚は考えた。


(生きたい!死にたくない!)


突然、強い、強い心の声が煌瑚の頭にひびいた。
人ではない“モノ”の心の叫びが。
意識を飛ばす。
村の外へ。森の奥へと・・・・・・。


小鳥があばれているような羽音。その間をぬって聞こえてくる優しげな女の声。


「あばれないでね、すぐに治してあげるから…」


煌瑚は、ばっと顔を上げ、目を見開いた。
そんなことをしても、見えるわけではなかったが、咄嗟にそうしてしまった。
しかし、音から何が起こったのかは分かった。
ふと煌瑚の顔に笑みが浮かんだ。
「久しぶりにお客が来そうね。それに……楽しいことが起こりそう」
煌瑚の瞳に、ある光が宿った。
弟二人、鎧綺と由騎夜が見たら、恐怖して後ずさっただろう。
「これで、退屈はしないわね」
煌瑚の後ろに悪魔のしっぽがはえていたが、それに気付く者はこの場には誰もいなかった・・・。


山間の小さな村、杜樂。特別珍しい物があるわけでもなく、ごく普通の片田舎だった。
ただ、山々に囲まれ、ありあまるほどの豊かな自然があるだけの小さな、小さな、村だった。
21年前までは・・・。
そして、また、村の静寂はやぶられようとしていた。
それを、まだ、誰も知る者はいなかった。

<序章 終>

移設20171109




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