煌く綺羅の夜 | ナノ


▽ 第六章 小波立ちて大波来たる1 1


蓮花がヨーシュの部屋で起きた日も、鎧綺の不機嫌以外にはいつもとかわらない朝だった。
ただ…その朝の食事の席に長身で体躯の良い青年―ヨーシュ―はいなかったが。
その青年がいないことと、蓮花がその青年の部屋で寝ていたことの関係を疑って鎧綺は不機嫌の絶頂にいたのだった。
そんな兄を横目に弟の由騎夜は、平然と朝食をとっていた。
朝食をとり終え、診療所に行こうとした時、思わぬ人物から声がかかった。
「あの…由騎夜さん…?」
由騎夜はその声の主へと目を向ける。
「もしよかったら、でいいんですけど…また診療所の方へ遊びに行ってもいいですか?」
蓮花である。
一瞬は戸惑ったものの、由騎夜はぎこちなく笑みを――お世辞にもにっこりとは言えない――浮かべて言った。
人によっては口がひきつってるようにしか見えないような笑顔だが。
「ああ。あんな…ところでいいなら」
「わぁ、ありがとうございます!」
蓮花は嬉しそうに微笑んだ。
「由騎夜のとこに行くの?れんちゃん」
静かにそう訊ねてきたのは、煌湖だった。蓮花は小さく、あっと言った。
「お仕事……ありますよね…?」
「いいわよ。いってらっしゃい。大した仕事はないから」
煌瑚は柔らかく笑った。しかし、蓮花はすまなさそうな顔をしていた。
「でもっ……いいんですか?本当…煌瑚さん、一人じゃ」
「平気よ」
蓮花は納得できない気分ではあったが、煌瑚の微笑みの前に何も言えなくなってしまった。
さらに、煌瑚は追いつめるがごとく由騎夜に笑顔を向けた。
「由騎夜」
「・・・はい」
由騎夜はその笑顔から目をそらしたかったが、できずに硬直寸前の喉を動かしていた。
至って静かだが、有無を言わさぬ強い語調で煌湖は言った。
「蓮花になんかしたら、あんたをキズモノにするわよ。いい?」
「……」
「それじゃ、二人共いってらっしゃい」
「…いってきます」
二人はどちらともなく口にして、宿を出ていった。
扉が閉まる前から煌瑚は残りの食器―大皿などを―を片付けにかかっていた。
「…いつになく、強引なんじゃないか…これは独り言だけど」
テーブルに肘をついて、呟くように鎧綺は言った。だが、その声量は独り言にふさわしい大きさではない。
煌瑚は半眼になって弟を見た。
「随分でかい独り言ね。どういう意味?」
「……何か、あったのか?」
言葉は素っ気ないが、その口調は姉を心配しているものだ。
沈黙は短かった。
短い溜め息と共に煌瑚は言った。
「別になんでもないわよ。…少し寝てないだけ」
「……へぇ」
鎧綺は立ち上がった。その物音に、うとうとしていた天紅がびくっとした。
「じゃ、俺は散歩…」
「暇なのね。じゃ、ヨーシュ探してきて」
「なんでえっ、オレッ!?」
「暇人弟、頼んだわよ。早くお行き、暇人弟。散歩だって目標があった方が楽しいでしょ、暇人そう思わない?暇弟」
「あ゛あ゛あ゛!!わかったよ!暇って連パすんなっ…しないで下さい!」
「敬われてるのは知ってるけど、中途半端な敬語やめてよ、暇人馬鹿」
これ以上反論する気はあってもできないので、鎧綺は黙って出ていこうとした。
扉の前まで来て、鎧綺は足を止めた。
何か意図があったわけではない。ただ、何となく。
何となく、鎧綺は振り返った。
見えたのは、彼のたった一人の姉。無表情、というより全く感情のない面持ちでこちらを見返してきている。
「何よ、散歩に行かないの?」
「いや、行くけど……」
「…鎧綺」
煌瑚は静かに告げてきた。
「ヨーシュってなんなのかしら」
「それを俺に聞くのかよ」
「…湖って綺麗よね」
「ヨーシュはどうなったんだよ。話が飛びすぎだし」
「でも、底も同じように綺麗なのかは…それは違うわよね」
「……あいつに関しては、俺は小馬鹿にされてっからムカつくとしか言えないね」
「あんたが馬鹿なだけでしょ」
「・・・・」
「…忘れて。何でもないわ。じゃ、いってらっしゃい」
「…いってきます」
鎧綺が出ていってしばらく煌湖は立ち尽くしていた。
食器を下げようとし、台所に向かった時。
何かが背中にくっついた。肩ごしに振り返ると天紅の大きな目がこちらを見つめている。
「……本当に何でもないのよ」
心配そうな目でこちらを見る天紅に、煌瑚は笑ってそう呟いた。

移設20171115




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