妄想が暴走してしまったときの危険性



 前回のコラムで、まさかもうこのコラム終わったかしらみたいなことを考えた方、いらっしゃいません?
 えへへ。気ままに自分の意見を好きなように書いているコラムですから、これが最終回というわけではありませんですよ。
 ただ、ここのところ、サイト運営に関するコラムが続いていたので、まあ締めくくりみたいな感じで前回のコラムを書いたわけです。すみません。
 ……と、まあどうでもいい言い訳はこのへんにして。
 今回は、一番最初に書いたコラム「BLは乙女のファンタジーなのよ!」とも関連する話題です。
 私のように、小学生のころから腐女子の世界にハマる人は少数派かもしれませんが、たいていは中高生から目覚めたという方が大半かもしれません。中には、30過ぎてから腐っちゃったという人もいるかもしれませんが(そういう方々は、もともと素質があったのかもですよ)。
 10代でBLにハマるのを、否定はしません。商業誌を支えているのは、その10代の読者だったりするからです。
 でも、若いからこそ、妄想パワーも凄まじいものがあります。ともすれば、それが暴走してしまい、挙句の果てにはいらぬ火種を生んでしまうことも多々あるのです。自分が経験というか、10代という時代を過ごしたからこそ、客観的にいえることなのですが、若さゆえというのもあるのか、暴走すると周りに目がいかなくなるのも、この年代だったりします。厳しいことをいいますが、まだまだ視野が狭い年齢でもありますしね。
 でも、視野が狭いからこそ、今のうちに広げてほしいのですよ。広がる可能性が十分にあるのも、若さゆえなんですから。
 狭いまんま大人になると、ホントに痛いですからね。若い時と違って、誰も注意してくれませんし。そういう意味では、大人の腐女子(貴腐人ともいう)の暴走の方が、痛かったり怖かったりします。
 ですから、年代に関係なくBLというジャンルに目覚めたばかりの方々に、読んでほしいわけなのです。
 妄想が暴走したがゆえに起きてしまった悲しい出来事を、これからお話しましょう。
 BLではないのですが、私の大好きな漫画家さんが、壮大なSFファンタジー漫画を連載していたときの話です。
 その連載は、長期にわたって連載されていました。連載当初、私は高校生でしたが、連載終了時はたしか20代を数年過ぎたころでした(有名な漫画なので、ここではあえてタイトルは書きません)。
 その作家さんは、単行本が出た時に雑誌の広告枠として空けてある空白スペースに、挿し絵ではなく当時ハマっているゲームや音楽やちょっとした楽屋話みたいなことを書いてあって、単行本を買うときのひそかな楽しみになっていました。
 それが、ある巻で直筆でこう書かれていました。
『この漫画は、私が考えたまったくのフィクションです』
 なぜ、わかりきっていることを、しかも単行本の横にそのことを作者がわざわざ書かなくてはならなくなったのか。次の余白部分にはその理由が切々と真摯に書かれていました。
 原因は、簡単に述べると、一部の読者による妄想による暴走でした。
 その作品は、近未来SFではあったのですが、その設定年代がほんの数年先で、舞台設定も東京ということから、感受性の強い10代の読者はトリップしやすかったらしく、作者へのファンレターの中には、かなりアブナイ内容のものがあったようです。
 つまり、現実と混同してしまって、実は自分は物語の人物の一人なのではないかとかそういったことをファンレターに書いて寄こしてくる方々がいらっしゃったのです。
 え? そんなことないって? それって、昔の話でしょですって?
 よくよく、考えてください。たしかにこの話があったのは、まだネットが普及していないころの話ではあります。ですが、ファンレター=ブログやサイトに寄せるコメントと置き換えると、現在でもあり得る話だとは思いませんか?
 その作者さんは、こうも書いていました。
『自分の作品に感情移入するのもいい。キャラの一人になりきるのもいい。でも、“あー、おもしろかった!”と言って、きちんと現実に帰ってきてほしい』
 こんなことを書くのが、作り手にとってどれだけ苦しいことなのか、どれだけ悩みに悩んで自分の単行本にあえて書かなければならなかったのか、ネットという場所で素人ではあっても作品を公開している書き手の一人として、痛いほど気持ちがわかります。ですが、悲しいかな、それから10年以上経って、通信手段が郵便からネットに代わっても、似たようなことが大小なりとも起こっているのが現実です。
 妄想が暴走すると、巡り巡って、それを生み出した人たち(それも、大ファンだった作家さん)へ多大なる迷惑が生じます。ともすれば、自分自身を苦しめてしまうことにもなりかねません。
 今一度、特にBLというジャンルに目覚めたばかりで、妄想が楽しくてしょうがないという方たちに問いかけたいのです。
 BLに書かれていることが、現実でもありえると思っていませんか?
 ノンケ(いわゆる同性愛ではない人のこと)が、口説けば本当に同性愛者を好きになってくれると思ってませんか?
 商業誌やネット小説で書かれていたりする性描写が、ゲイの方々の普通の性生活だとか思ってはいませんか?
 私がその問いに答えるならば、「必ずしもそうではない」です。
 あたりまえじゃないですか。
 でなければ、ノンケを好きになってしまって苦しい思いや辛い思いをしている同性愛者の方がかなり減るはずです。心ない腐女子のコメントのせいで、ブログを閉鎖してしまうゲイの方が少なくなるはずです(現実にあるんですよ。筆舌しがたいようなことがね)。
 今のBLの風潮をわかっているのか、ゲイの方の反応も様々です。腐女子となんかまったく交流したくないという方は、絶対にBLランキングサイトには自分のブログを登録しないし、逆にBLが好きで、自分も作品を書いてみようという方もいらっしゃるようです。腐女子と積極的に交流したいという人もいらっしゃいます。でも、これは、かなり少数派というか、お仲間のお友達が少ない方ですけどね。
 実際、ゲイの友人の知り合い(その人もゲイ)で、私がBL好きだということがばれて、ものすごく嫌な顔をされたこともあります。前にも書きましたが、ゲイの方の大半が腐女子が嫌いだと認識した方がいいようです。
 そういう方々は、リアルでカミングアウトしてる人もいれば、そうではなくひたすらに隠している人もいます。ネットでしかゲイであると吐き出せない人もいます。
 忘れてはいけないのは、紙や画面のなかではなく、その方々が現実にきちんと存在する方々なんだということです。
 BLを書いているからこそ、私は彼らの存在をないがしろにしたくありません。理解しようと思っているし、だからこそ興味本位で不必要にお近づきになりたくありません。性の指向や嗜好は、犯罪の範疇でなければ本当にプライベートなことであって、本人の自由なのですから。
 BLではない漫画などを読んで、いわゆる「萌え」ばかりを追求していませんか? そして、萌えが高じてその漫画のパロディー小説を書き、なおかつそれを『自分のオリジナル』だと主張してませんか? それが、法律違反になりそうな危険な行為だということを分かっていますか?
 妄想が暴走すると、忘れがちになりそうですが、絶対に忘れてほしくないんです。
 BLは、あくまでも妄想乙女のためのファンタジーなんです。そして、性描写はBLのメインなどではなく、あくまでもその中の一環でしかありません。
 誤解のないようにいっておきますが、私は前のコラムでも書いてますとおり、エロ重視もストーリー重視も二次創作も否定していません。どっちもバッチコイって人間です。あくまでも、『面白い』といわれるBL作品を手にしたいし、書いていきたい。そして、読んだ後に「あー、おもしろかった!」と言ってきちんと現実に帰ってきたいし、帰ってきてほしいと思っているのです。
 現実は、厳しいし、辛いし、息苦しくなるくらい思うようにならないことが多いものです。10代から20代の前半までは、余計にそれを強く感じるかもしれません。年代に関係なく、そういう方もいるでしょう。でも、その思うようにならないことが楽しいと感じるのも、現実の面白さなのです。そして、自分が返ってこれる場所がきちんとあるからこそ、妄想に時間を費やして、ちょっとの間だけ現実逃避をすることもできるんだということをわかってほしい。
 なんか、説教臭い内容になっていましたが、それというのも、理由があります。
 私には中学生の娘がいます。バリバリのオタクで、しかも発酵してしまうほど腐れきった腐女子でもあります。彼女がたまに妄想を暴走させるのを見てると、その危険性をすごく肌で感じるからです。
 たまにブログのネタにできるくらい、楽しいことをやらかしてくれる娘ではありますが、頭の痛いこともあります。 彼女には、さらに腐った母親である私がいて、暴走したらあれやこれやと軌道修正をすることができますが、ほとんどの子はそうではないでしょう。ひた隠しにしている方が、大半だと思います。
 もし、暴走させてしまった結果、誰かを傷つけたり自身を傷つけたりしないかと、おばちゃんはいらぬ心配をしてしまうものなのですよ。
 だって、BLが大好きですから。それに関わることで、同じように好きだという人が傷ついたりするのは、やっぱり悲しいですからね。

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