サイコラブ | ナノ
彼女の精神が宇宙に慣れはじめた。そしてこの宇宙人や、未確認飛行物体にも。
「おはよう、ハニー」
私が目覚めると彼はいつもこう言ってくれる。そして私の手の甲に、マスクでキスをするそぶりを見せる。
そして彼にご飯を食べさせてもらう。私一人じゃ食べることなんて決してできないから。犬食いしようとすればできるけれど、彼がそれを許してくれるはずがないとなんとなく思うし、そんなことをしなくても彼が食べさせてくれるので万事問題ない。
そして彼に抱きしめてもらう。どれくらいだろう。わからない。周りは宇宙だし、時間はゆっくり揺蕩っている。それだけがぼんやりとわかる。でも具体的な時間はわからない。きっとケイに聞いても答えてくれないだろう。それか彼もわからないかもしれない。
そして体全身に狂うほどのキスをされると、暫く一人の時間をもらえる。食料を調達してきたり、仕事をしてくるらしい。
どこかの惑星に降りるらしいが、私は牢のような場所に、首輪をされ閉じ込められるのでわからない。初めにつけていた鉄の首輪は、重くて辛いと言ったら革製のものに変えてくれた。きっと私は逃げないだろうから、信じてるよとケイは言っていた。
逃げるってどこにだろう。私は、ここで生まれてここで育ったから、ここしか知らないっていうのに。きっと外へ出たら酸素不足で死んでしまうだろう。
そして再び暫くすると帰ってくる。帰ってくるまでに考えていることは……食事のことが中心だ。ケイにはいろいろな料理を食べさせてもらっている。パンにおこめ、お肉や魚……それらは個々に色を持っていた。灰色のこの場所に、唯一絵の具を垂らしたように点在するそれに、私は感動したし興味を持った。
どんな料理があるのかな、こんな生き物がいるかもしれないと創造するのが私の趣味……かもしれない。基本身体の自由は効かないので、脳で考えて遊ぶしか術はないのだ。
◇
「ハニー、あの惑星に行ってみようか」
ケイが言った言葉に耳を疑った。……いいの? 本当に? 体中が震えていたけれど、私はうんとだけ返事した。声も震えていた。
宇宙船がぐんぐんと惑星に迫ってゆく。今まで黒と白い点々ばかりだった目の前が、青や緑、茶色といった様々な色で覆われてゆく。
(どんな食べ物があるんだろう……いや、)
どんな人や、場所があるんだろう。冷たいものじゃなくて、温かいものもあるんだろうか。初めて感じる高揚に戸惑いながらも、首輪を付けられているときにするような妄想を、ケイの腕の中でじっとしていた。
しゅううう、と煙の音と共に扉が開いた音がした。……扉が開く音なんて初めて聞いたはずなのに、なんで知っているんだろう。
「ハニー、起きて」
ケイの優しい声と愛撫でゆっくりと目を覚ましてゆく。微睡みながらも、なんとか起き上がり、ケイの膝から降りる。
「どう? 足、痛くない?」
「え、痛くないよ?」
私は不思議に思いながら、ばたばたと扉に向かって走りだした。
「あ、待って」
そう言ってケイが差し出してきたのは赤い色のパンプスだった。
「ハニーに似合うと思って」
色んな惑星を走り回ったんだ、と嬉しそうに言うケイに、私は嬉しくて堪らなくなった。
「ありがとう!」
ケイに飛びついて抱き合った後、ケイからもらった赤いパンプスを履いた。びっくりするくらい足に馴染んで驚いた。何度も履いてるみたいだ。けれど、高い靴は危ないから、と私はケイと手を繋ぎながら初めの一歩を踏み出した。
「わっ」
土に足が沈んでいく感触にびっくりした。ケイは私の声に驚いたのか、慌てて私を抱き上げる。
「だ、大丈夫だから!」
「でも……」
ケイはそう言いかけて、渋々といった様子で私を下ろした。私はスカートを手で払うと、ここが惑星だということを思い出した。そして、走らずにはいられなくなった。
「ちょ、ま……!」
ケイの制止の声に目もくれず、私は自分でもびっくりするくらいのスピードで走り出した。だって先には人がいっぱいいて、たくさんの食べ物があったから!
「わあ!」
沢山の人……私よりケイに近い人たちばかりだったけれど、本当に色んな服や靴を身に纏った人が沢山いた。赤、黄色、青、緑……全部全部、どこか懐かしくて、新しい! それに、沢山の音! 私のパンプスの音! 鼓笛隊の音! ドラムや太鼓の音! 私は思わず笑いながら人混みの中を駆けまわった。周りの人たちが奇っ怪な目で私を見ていたけれど、それさえ気にならなかった。
「お嬢ちゃん! スイカ割りを見ていくかい?」
白い髭の、狐のお面を被った男の人がそう声をかけてきた。声からして、初老くらいだろうと思う。私が笑顔で頷くと、おじいさんは目の前にある緑に黒の模様がある円形のものを、鋭くて大きいもので勢い良く切り裂いた! ――と同時に、それの辺り一面に赤い汁や物体が飛び散る。私のスカートにも飛び散っちゃったけれど、初めてのものを見た嬉しさで、そんなことは全く気にならなかった。
「すごいすごーい! それはなんて言うの??」
「これはスイカ、スイカを割ったものが斧だよ」
「ありがとう!」
おじいさんからスイカの欠片をもらうと、食べるように促されて、私は少しびくびくしながらもそれを口に入れた。口中にじんわりと甘いものが広がっていった。初めて食べるものだ。ケイから貰ったものじゃない食べ物を初めて食べた!
おじいさんに手を振りながら、前へ前へと走りだす。パンやお米以外にも色々な食べ物もあるし、服もあるし、花もある! なんて素敵なんだろう――! その時、私は不意に誰かとぶつかり合ってしまう。慌てて謝ろうとぶつかった相手の方を見た時、不意にどきりと心臓が何かを掠めた。何故なら、とても素敵な笑顔をしていて、それでいて――とても見た目が私にそっくりだったから。
「す、すみません」
「いえいえ、僕の方も申し訳ありません」
彼の方も私と似ていると思ったのか、とても新鮮なものを見る瞳で私を捉えていた。金色の髪に蒼白の双眸――、彼は一体何者なんだろう?
「あの、貴方ってこの惑星に……」
「はい、このメルダを統治している王子です」
「おう……じ?」
「えーと、単刀直入に言ってしまえば偉い人、ですかね」
「偉い人!? すみません、そんなこと知らずに……!」
「いえいえ、僕の方もちゃんと前を見ていなかったのがいけないんですよ、貴方の青い髪があまりにも美しかったから」
えっ……私がそう思ったのには、二つの意味があった。
一つに、心臓がとても痛かったから。まるで中の血が一瞬沸騰したみたいになって、おかしくなっちゃったのかな、って不安になるくらいに。
そして、二つ。私の中に何か違和感が生まれたから。なんだろう、私、この人にどこかで……。
そう思った時、色んな音が消えていることに気づいた。人々が噂する声、雑踏、鼓笛隊、ドラム、ギター、太鼓、合唱団も。そして私は、何故か冷や汗が止まらなかった。違和感はだんだん私に迫ってくる。
「だめ……だめだ、君が僕以外の奴に話しかけるなんて許せないよ」
頭上からした声に、私は振り向きもせず、こう言った。
「ケイ……何言って……」
「ごめんね」
ひゅん、と目の前を獣のようなものが掠めると同時に、世界は暗転する。
◇
目の前には少女に似た青い瞳を持つ王子がいた。ケイは軽快に王子の後ろに躍り出ると、彼の頭を片手で持ち、ぐにゃりと捻った。ケイにとってはマッチ棒のような首からは穴の空いたホースのように血が吹き出す。ケイは抉り取った頭を軽々と握りつぶした。少女が先ほど見たスイカのショーのように、王子の血だまりと肉魂が辺り一面に散らばった。
横たわる少女以外に、息をしている者はケイだけだ。
ケイが深い溜息をついた直後、彼の目の前にノイズまみれの画面が映し出された。そこには、軟体動物であるタコが地球外で人間的身体に進化してできた、雌の生物がいた。
“キング、困る。君のために作ったバーチャルシチュエーションだというのに、こう殺されては”
「黙れ、殺すぞ、001の分際で」
“焼いてくれても煮てくれても構わない。だが彼女の記憶操作、身体操作は誰がやるんだ?”
大人びた女の声がそう言うと、ケイは黙りこむ。001が深い溜息をつくと、こう切り出した。
“君は彼女と平和的に暮らしたいんだろう? ならば、君の嫌な部分を知っている彼女も、君の嫌なことをしてしまう彼女も認めるべきだと……”
001が全てを言い切る前に、ケイは強制的に通信を切った。少女の方を見る。苦悩に歪んだ表情をしているのは、腕と足が再び短くなりつつあるからだろう。ケイは彼女を抱き上げると、愛の巣へと連れ込んだ。