サイコラブ | ナノ



 無限に増殖する宇宙の端を目指すようにして、その宇宙船は進んでゆく。四肢のない少女の母星から逃げるように。

「ねえ、君は逃げないよね?」

 食事を与えながら、ケイは甘ったるい声で少女に問いかける。少女は汚れた口元も気にしない様子で、そして彼の言葉をよくわかっていないようで首を傾げる。

「……ごめん、何でもないんだ。何でもないよ、ハニー」

 ケイはナプキンで彼女の口元を拭ってやる。ああ、本当に、人形のようだ。僕のものだ。彼女の、髪も胸も首筋も。歯も臓器も心臓も。心さえも。全て。そう考えるとゾクゾクして堪らなかった。何をしてあげよう、お姫様のように扱ってあげよう。僕に逆らわなければ何だってしてあげる。逃げなければ何だって与えてあげる。
 ペストマスクの中に込められたどろどろとしたものに、少女は気づく余地も無かった。

 実際、少女は逃げなかった。四肢を切断され逃げる術を失っていたというのもあるが、まず彼女の思考の中に逃げるという選択欄が存在しなかった。ケイとってに不都合なことは全て彼女の記憶からごっそり抜き取られていたから。
 だが、それだけが彼女の逃げる道では無かった。
 四肢のない状態で、あの冷たい檻の中で少女は呆然としていた。ふかふかのベッドの上で仰向けになり、無機質な天井を見上げている。記憶を何度抜かれたところで、彼女の妄想することに変わりはなかった。
 きぃい、と錆び付いたドアが開く音がした。少女は霞んだ眼でそれを見た。……同志ではない。が。ケイにとても似ている姿をしていた。人間のふりをしている。それに背もとても高くて筋肉質だ。首から上はガスマスクで覆われていて、だから彼女は一瞬ケイと見紛った。

「やあ、こんにちは」

 その男の声を聞くまでは。
 ケイの砂糖の底に落ちてゆくような声とは違い、とても冷たい声だった。が、その中にはケイにはない常識的な安心感があった。彼は狂気に塗れていないようだ。少女はなんとなくそれを見抜くと、何かを思い出しそうになる。

「君の主人は宇宙を壊しまくっている。君はここにいてはいけない」

 よくわからないことを男は言う。檻の鉄棒を両手でいとも軽くぐにっと曲げると、少女を見下げて、彼女に向かって両手を向けた。

「あっ」

 少女は感嘆を洩らす。なんと、そこには一度も見たことのないものがあった。……手足だ。人間とは芋虫のような姿をしていて、這って生きるものだと信じてやまなかった少女に、これは大きな混乱を招いた。

「いたい……いたい……!!」

 手足はまるで今まで当然に存在していたように少女の四肢に取り付いていた。痛いのはそれじゃなかった。心臓が、頭がずきずきと痛む。少女の中に閉じ込められた記憶が無理やり開こうとしているからだ。

「大丈夫、大丈夫だよ。君は君だ。これからは安心して暮らそう。僕と一緒に」

 男の声はとても優しかった。男は少女の手足を優しく擦った。少女ははっきりとその感覚を認識することで、次第に落ち着いていった。結局、記憶が呼び戻されるということは無かった。



「あの化物の技術はそう高くない。四肢の回復能力が古典的なものだったからだ」

 ガスマスク男は黒くうにょうにょした物体にそう語りかけていた。物体は女性の声で「何故?」と問いただした。

「彼女の四肢の傷跡を調べた。少なくとも百回以上は四肢の再生、消失が行われていた。俺が行った時には、彼女は消失された状態だったから治してやったよ。無論最新の再生技術で。手足の根本に火傷みたいにごっそり治療の痕が残っているのは女性としてどうなんだい?」
「あまりよくないわね、けどそれさえもすぐに治せるでしょう?」
「そうだね。あと一週間したら魔法みたいに治してあげるよ。僕はね、あの忌々しい同胞のペットを一から育ててみたいんだよ。俺好みにさ」
「悪趣味ね」
「あいつよりはマシだ。あいつが無理やりとっ捕まえた宇宙人が、あいつのことをキングと呼んでいるらしい。呼ばせていると思う? それとも宇宙人が好き好んで――」
「どっちでもいいじゃない。興味ないわ」

 それに、と物体はガスマスクに言い返す。

「彼の医療技術が低いかどうかは、それだけじゃ断定できないわ。そうするのが性的嗜好だった可能性だって十二分にある」
「ばかだなあ、あいつは。少女は愛でるものなのに」
「多分、愛してるのよ。愛する方向が間違ってるだけじゃないかしら」

 私から見ると貴方も相当気持ち悪いわ、と毒を吐く物体に対し、ガスマスクは誤魔化すように笑った。

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