起床。ちゅんちゅんという鳥のさざめき。そして隣にいる筋肉質なロボットの彼氏。私はそれだけで幸せになれた。寝ぼけながら、彼をじっと見ていると、髪を撫でられた。……寝てるかと思ってた。寝ぼけているのは見分けがつくが、起きているか寝ているかは正直、未だにわからない。

「起きてたんだ」

 えへへ、と笑うと彼が徐ろに私を抱きしめた。きょとんとして、私は再びにへらと笑う。

「どうしたの、赤ちゃんみたいに」
「……」

 いいだろ、たまには。そんな風に言いたげな抱きしめ方だった。因みにこれはほぼ毎日と言っていいほど続いている。

「そろそろ準備しなきゃ、赤ちゃんのお世話するんだから」
「俺のお世話もして」
「してあげたいけど夜ね!」

 冗談を飛ばす彼を軽く擽ってそう言うと、私はたったったっと寝巻きのままキッチンに向かう。



 私と彼が出会ったのは、私が大学生だったときの秋だった。何か羽織りたくなるような寒さで、冬の予感を薄々感じていたときだったな。これがきっかけで、私はあのちょっぴり寒くて霜焼けの痛い秋が大好きになったんだっけ。
 私は保育士になるために短大に通っていた。丁度一年目の秋だった。彼に出会うまでは最悪の日だったんだ。文化祭だったその日、私、財布無くしちゃってて必死に探してたんだもん。
 マフラーがうっとおしくて、でもそれよりも財布を落とした自分が馬鹿らしくて、でも涙は流したくないから必死に堪えて探していた。あの中にはその月に生きていくためのお金が全て入っていたから。このまま見つかりでもしなかったら、または財布の中身が抜き取られていたら、想像するともっと焦ったし、一刻も早く見つけなきゃと思って血眼に探した。
 みつからないみつからないみつからない……もうだめだ、絶望に明け暮れていても風は吹き、周りの木々を揺らす。そこには静寂しかない。文化祭なのに、ここにはびっくりするくらい誰もいなくて。ほんの数メートル先には沢山の人がいるのに、ああ、私のことなんて心配してくれる人誰もいないんだってことに気づいてしまって。そしたらどんどん悲しみの淵に落ちていくだけだった。視界がぐにゃりと歪み、膝をついて泣こうとしていた。その時だった。

 何かが私の前を遮った。それは大きな大きな、影で。でも上を向くと、光でもあった。
 ヘルメットが光で反射して、でも、私はそれが、不思議でしょ、おかしいでしょ。

 宇宙人か、神様の類に見えたんだ。



 彼はこの大学ではなく、別の有名大学の医学部に所属している、一つ上の大学生だった。どうしてそんな人がこんな場所に、と聞く前に、彼はこの大学に友人がいることを教えてくれた。経済部にいるらしい。私は特にサークルに入っておらず、大学では友人が皆無と言ってもいいほどだったので、特別接点のない彼の友人を勿論知るはずもなかった。
 そういえば、財布の話。財布は彼が拾ってくれていた。教授に届けようと歩いていたところ、迷子になってしまったそうだ。そして人気のないところに来てしまい、迷っていると、一人私がいたのでまさか、と思ったらどんぴしゃ。
 私はこれが運命なのかな、なんて酔狂なことを考えた後、すぐにそんなわけはないと諦めた。だって彼は私なんかよりも何十倍も賢いんだ。それに容姿だっていい。白シャツに黒いカーディガン、そしてジーパンというシンプルな格好をしていながら、かなりかっこいいし目につく。それに服の上からでも分かるくらいに、筋肉質であることが伺えた。それでも暑苦しいというわけではなく、むしろ知的で健全な雰囲気ばかりが漂う。
 きっと同じように賢くて愛想のいい彼女がいるんだろうと思いながら、迷子である彼の案内をした。今度はしっかり財布を握って。
 一気に人気の多いところにつき、私は一安心した。彼もそうみたいだった。沢山の売店が見えはじめ、私はふといいことを思いついた。

“あっ、よければ何かおごりますよ”
“えっ、いや、そんな”
“いいんです、財布拾ってくれましたし”

 彼は最後まで遠慮していたけれど、どうしてもそれじゃあ私が納得いかないと、無理やり引っ張っていった気がする。もうこんなイケメンとなんか出会えないだろうし、私とくっつくなんて無理だってわかってるから、いっそ恥ずかしがらずに自然体でいっていいや! と吹っ切れていたんだと思う。
 結局私は彼にメロンソーダを奢った。そのヘルメットじゃあ食べるのはできそうにないから、と考えたんだけれど、後に別に食べることもできることが判明する。結局、アイスがヘルメットについてて飲みにくそうだったけれど。



 電話番号を交換しよう、と言ってきたのは彼の方だった。これは意外だったから私も驚いた。後付で「これも何かの縁ですし」と言われた時には、ああなるほど、やっぱりね。などと妙に納得してしまった。やっぱり恋愛対象外か、なんて思ったから。正直、私は極度のめんどくさがり屋だ。つまり、恋愛なんてめんどくさい、めんどくさい、めんどくさいよ! なだめな女だったりする。だからこの淡い思い出は私の心の中にしまいこんで、たまに覗いて喜ぶくらいにしておこうと思っていた。

 面倒くさい理由を説明するとするならば、まず彼が私に好意を持っていたとする。するとこちらはそれを察さなければいけないということになる。ある日ふと「彼は私のことが好きなんだ」と気付いたときが墓場だ。そこからは相手の言動、仕草一つ一つを丹念に、舐めるように観察しなくてはならない。何より危ないのが、好意を持っているような仕草を見せておいてこちらに全く気がない場合。この場合は気遣いが取り越し苦労になりおまけに恥もかく。そしてこのイケメンの場合だと、そうなる可能性が非常に高い。
 そして私が彼に好意を持った場合。これは単純に面倒くさい。相手の気を引くなんて面倒くさい。そしてそれが報われればいいけれど、相手が彼じゃほぼそれは無理と言っても過言ではない。こんな高スペックな人ならば、彼女の一人や二人いてもおかしくはない。つまり取り越し苦労に終わって淡い恋は終わってしまう。ならばいっそ、私から恋をしない方が楽じゃないか、と思う。
 そんなわけだから、私は正直、もう今日一日が楽しかったからそれでいいや、なんて思っていた。きっと彼は毎日パーティ三昧だろうから、私と一緒に居たこの短い数十分の記憶なんてすぐに霞んでしまうだろう。
 だから、もう会わなくてもいいや、なんて思っていた。別にそれでもいいと思った。結局理想は理想なんだ。それが報われることなんて無い。なぜなら、そんな夢物語はお伽話でしか見たことがなかったから。
 両親が欲しいと願ってやってきたことはあったか? お金が欲しいと願って降ってきたことはあったか? 可愛くなりたいと願ってそうなれたことはあったか?
 私の苦労が足りなかったといえばそれまでかもしれない。でも、疲れてしまった。だからどうにでもなれ、という感情が、過去の私には渦巻いていたのかもしれない。単純に言えば諦めていたんだ。絶望を通り越して、私は何もしなくなっていた。全ての物事に期待を抱くことを忘れて。

 でも、彼は違ったようだった。ただそれだけが私の未来を変え、運命を豹変させていった。……おかしな話だ。まるで、お伽話みたいって今でも思っている。



「せんせー! みて! お手紙書いたの!」

 ありがとう、と笑っている私。だってなんだか自分じゃないみたいなんだもん、働いている私の姿って。
 ツインテールをして、可愛らしい水玉模様のワンピースに身を包んだ女の子が渡してくれたピンクの封筒を受け取ると、そこに入ってあったシールを取り、中の手紙を開けた。
 そこには稚拙な文字で、“せんせいだいすき”とだけ大きく書かれていた。これもまた、ピンクのクレヨンで書かれていた。

「愛ちゃんはピンク好きね」
「うん! だってかわいいんだもん!」
「そうね。先生もピンク大好き」

 そう言うと、女の子はにこっと私に微笑みかけた。私は子供たちの、この豪快な笑顔が大好きだからこの職に就いたんだ、とこの時初めて気がついた。乳歯が抜けているのが、余計彼女たちをやんちゃに見せて愛おしい。
 女の子はすたたっ、と遊び場に走りだし、すぐに輪に溶け込んで遊びだした。あんな可愛い子でも、この歳だと泥団子を作るのに夢中みたいだ。私は遊んでいる彼女の方を見ながら、うっすらと笑みを浮かべた。







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