私は久々に洒落たバーに来ていた。というのも、中学からの旧友である八百爽子(やももそうこ)という女から久しぶりに誘いが来たからである。
 早速変わらぬ彼女を見つけ席に座ると、呆れたことにもう酔っ払っているようだった。

「爽子、アンタ……」
「なぁ〜にぃ〜?」

 甘ったるい口調でそう言いながら、机を愛人の顔だとでも思っているのかすりすりして締りのない顔をしている。そして同じようにだらしない口からはだらしなく体液とアルコールが混ざったものが止めどなく出ていて誠に、汚い。
 どうやらここへ来る前にでも景気付けと称して何件か飲み歩いたに違いない。彼女はそういう女である。

「で、どうしたの? 飲もうなんて」
「ん〜……」

 会話不能だ。こうなることは予想していたけれど、私の唯一不二の友人と言っても過言でない爽子からのお誘いだ。たまになら面倒事だって楽しい。

「彼氏とは、どう?」

 酔いつぶれ、顔をつっぷす彼女が篭った声でそう訊いてきたのを私は確かに訊いた。……私は彼女に彼氏ができたことなんて一言も言っていない。

「……普通、だけども」

 ぐびび、と酒を飲むと脳がヒートする。もしかしたら彼女は冗談で言ったのかもしれない。そういう女だ、八百爽子は。だとしたら私も馬鹿正直に答えて阿呆やろうだと思ったのだが、酒を飲み酔いが早速回り始めた今では、そんなことはどうでも良くなっていた。

「へ〜〜〜〜〜〜、私はァ、最悪ゥ〜〜〜〜」

 そう言う彼女は顔が真っ赤だった。最悪そうな女がする顔ではない。かく言う私も、彼女のような顔をしていると思うと笑えない。他人はいつだって自分を映した鏡だ。

「ど〜〜〜して?」

 私が呂律の回らない調子で訊くと、彼女はしばらくうんうん唸ってニヤニヤと笑っていた。茶髪の長髪は美しく、まるで女神のような綺麗な女なのに、女っ気のなさが全てを壊している。しかし、そんな彼女の女子力を更に削るような出来事が起こった。急に彼女の表情が百八十度回転したかと思うと、ネイルまみれの指で口元を押さえ、できるだけ短く、小さな声で、ボヤくように

「気持ち悪い」

 とだけ言うと、ヒールを鳴らし物凄い勢いでトイレで猛ダッシュしていった。あんなに赤くて高いハイヒールでよく、あんなに走れるものである。ハイヒール選手権なるものがあれば、彼女は間違いなく総合優勝を果たすだろう。
 数十分後に出てきた彼女は物凄くダルそうな顔をしていた。心なしか、髪も乱れ、なんだか老けたような面持ちだ。
 少し酔いながら、注文した枝豆を抓んでいる私をよそに、彼女はこれまたピカピカと光る赤いバッグを持つと、

「じゃ、大切にしてね」

 と些か意味不明な言葉を残し去っていった。八百爽子はあいも変わらず変な女である。そんな彼女の酔いも醒めるはずなく、私はにへらと笑いながら見送り、数十分後、少々不服げに勘定をすべて払う私がいた。彼女がトイレに向かったと勘違いしていた私が甚だしい。八百爽子はそういう女なのに。



 私はふと、例の夜のマンションの一室、つまるところ自室で、思った。私は今まで自分語りをしたことがなかった、と。正直不幸自慢くらいしかすることが無かったけれど、私にも友人がいたことを思い出す。これは八百爽子と呑みに行った翌日の夜のことだった。

「ねえ、友達に八百爽子って子がいるんだけれど」
「ああ」
「凄く変な子なんだよ」
「ああ、知ってる」

 煙草を吸いながらだらける彼の方を、思わず振り返ってしまう。何故、何故が八百爽子を知っている? 私の表情に彼が気づいたのか、訊かずとも彼はこう言ってきた。

「八百爽子とは……うん、まあ、何故か知っているんだ。彼女はなんだろう、いつの間にか記憶の隙間に入ってきたような女だ……。まあ、変な女であることには変わりない」

 そう彼が言った後、少し気まずそうにした。きっと私が先ほど、彼の言う変な女を友人と公言したからであろう。しかし実際八百爽子は変な女であることには変わりない。それに彼が彼女に好意を持っていたほうが、こちらとしては些細だが、不安になる。

「変な女……ね、どんな出会いをしたの?」
「……彼女は医学部にいる」

 少しの躊躇をして彼が言ったその言葉に、嘘だろ、と思った。まさか、まさかあんなおちゃらけた女が、なんて失礼すぎるか。にしても凄い。彼と全く同じ大学で、彼と全く同じ学部で、ただ違うのは学年だけだなんて。

「凄いね」
「ああ、オマケに飛び級してるからな、あいつ」


 ……学年さえも一緒だなんて。

「面識を持ったことはないかもしれない。ただ、今年から本当にひっきりなしに言われていたからな。八百爽子は天才だ、天才だって。嫌でも記憶に残る」

 なるほど、通りで“いつの間にか記憶の隙間に入ってきたような女”なんて不思議なことが言えるわけだ。そんな鬼才、確かに目立つし印象深いだろう。

「オマケに変な女ときた。講義中大声で歌いだすわ、いつの間にか講師の後ろに回りこんで腹を擽り大爆笑させるわ、そのくせ実技もテストも満点に近い点数を取るわで……」

 そこまで彼は言って、頭を抱えた。頭を抱えたいのは講師たちの方だとは思うが、彼にも多少なりの影響を与えているのも事実だった。生徒である彼が、これほど思い悩んでいるなんて異常だ。

「……今度会ったら言っておくよ、八百爽子に」
「……頼む」

 彼の言葉が妙に重かったのは気のせいではないと思う。八百爽子、変な女ではあったけれども、それほど変人であっただろうか。中学から付き合いが続いているのだから、少なくとも私はそんな変人と気が合ったのは間違いないだろうが……。しかし、記憶のページを捲ってみても、特別八百爽子との熱烈な記憶がないのは何故だろう。







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