■ もがれた翼は自由を与えた

 ラファエル、ガブリエル、ミカエル……。
 熱心な信仰をしていなくても、国自体がカトリック教であるこの地で生まれ育てば、自然にその大天使達の名前ぐらいは覚えるものだ。他の天使たちにも名前があるそうだが、それはオレにとってはどうでもよい事であった。
 幹部のポルポから、また厄介な用件を押し付けられたのはほんの数日前。【何処かの教会の地下室で怪しげな実験をしている組織を潰せ】という任務だった。
 それだけ聞くと何故パッショーネが出る必要があるのだと思ったが、その組織の者たちは元々は熱心なカトリック信仰者達だったが、何を拗らせたのかパッショーネが使っている麻薬を横取りして実験の材料にしているらしい。
 正直言って麻薬と聞いていい気分はしなかった。断りたい気持ちもあったが、ポルポからの指示となると断ることはできなかった。

 国にある数えきれない教会から、その怪しい組織の情報を集めることはかなり骨が折れる作業だった。ただ事前に知らされていたのは、熱烈な崇拝者ばかりで裏社会と繋がりがあるという事だけだった。オレは情報を集めるために、わざわざあっちこっちの教会に足を運んでは熱心な信仰者を探した。
 そして、ようやく一つの手がかりを掴んだのだ。ネアポリスから遙か北の州にある寂れた教会で【天使を降臨させる儀式】を行っているらしい。
 ポルポから任務を依頼されて早一週間、まぁだ突き止められないかね?とそろそろ嫌味を言われかねなかった時に、オレにとってありがたい有力情報だった。
 
 かつては我が信仰の為に礼拝し神聖な場であったようだが、ところどころ錆びれ朽ちていて人々に忘れられたかのように、その教会はポツンと町外れに佇んでいた。今宵出ている緋色の月明かりが、寂しそうに教会を照らしていた。
 ギギギッとすっかり錆びれて、力を入れないと開かない扉を押して中に入った。かつては鮮やかな深紅色だったと思われるカーペットも、そこに座り神へと祈る為に作られた椅子も、本来なら繊細なデザインで陽の光を通し幻想的な雰囲気を作り出すステンドグラス等。全ては朽ちて土埃で汚れ、劣化し、ガラスはひび割れ粉々になっていた。そこは『教会』ではなくまさに『廃墟』と呼べるだろう。
「……こんな所に、本当に実験をしている地下室なんてあるのか?」
 誰に対して言うわけでもなく、独り言を呟き周囲を見渡し捜索した。するとどうだろう、主祭壇が置かれている傍の床にまるで引きずったような跡が残っていた。まさか……そう思い主祭壇を横へとずらしてみると、重さとか感じられずにあっけなく動かせたのだ。そして、信じられないことに主祭壇があった場所に地下へと続く階段が現れた。
 これではまるで、何かの映画のようだとそんな呑気な事を考えながら、オレは万が一の事を考えてスタンドを出した。少しずつ地下へと足を運ぶと何か聞こえてくる。最初は強風がまるで音のように聞こえるような物だったが、それが人間の歓声だと気がつくのには時間は掛からなかった。

「我々は成功したのだっ!! 【天使様】の人工的転生にッ! オオオオオオオッ!!!!」
 階段を全て降りきると、出たのは開けた薄暗い場所だった。その場所には、数十人の布を被った者達が興奮したかのように叫んでいる。そしてオレの鼻腔には、麻薬特有の匂いを捉えた。
「……そこにいるのは誰だッ! この神聖な地に、汚らわしいッ!」
「オレはパッショーネの者だ。お前らが、組織の麻薬を使って何かの実験に使っているのは割れているんだッ!」
 オレの存在に気がついた信者達は吠えるように怒声を上げたが、オレの口から組織の名前を聞いた途端に静まり返った。『まさか我々の存在を突き詰められてしまうとは』とか、『この奇跡的瞬間に来るなんてっ!』という声があっちこっちで囁かれた。
「ちょうどいい。【天使様】への慰み者にしよう……一人で乗り込んだのを後悔すればいい」
 開き直ったかのように、信者達は懐から拳銃を取り出した。オレのスタンドが拳を叩き込んだのは同時だった。

 充満した麻薬の匂い、床に散らばる聖書や神の書斎、謎の液体や使用済みの注射器。そして……奥の鉄格子に収監された神々しい翼を生やした傷だらけの少女。髪の毛は白に近い薄い金色、瞳は晴れ晴れとした美しい空を連想させるような青色。震えながらオレを見つめる少女は、まさに天使。
「……私を殺してください。お願い……」
 少女は自ら死を望んだ。痩せっぽちの体が震える度に、繋がれた鎖が嫌な音を立てて鳴る。
 信者から吐かせた真実は、愛する神の使いである天使を現実化するために普通の少女を拉致し【麻薬を使った化学薬品を定期的に打たせて作られた偽りの天使像】であった。実に胸糞が悪い話だ。
「……悪いが、オレは何も罪のない人間は殺せない。むしろ生かせる事ができるなら生かしてあげたい。君は【天使様】なんかじゃない。普通の女の子だ」
 少女はオレの言葉に、驚いたのかショックだったのかはわからないが目を大きく見開いた。私は天使でないと少女は小さく呟くと、眩しいほどに光り輝いた翼は消え去り頭に浮かぶ輪っかは粉々に散った。
「あっ……」
「所詮は人間が勝手に作った紛い物にしかすぎないんだ。……君の名前を教えてくれ」
「私は……私は凜です。私……私、生きたいよっ……」
 ボロボロと大粒の涙を零す凜を見て、オレは一つの決意を持ち繋がれた鎖をスタンドで叩き切ったのだった。

 あの忌々しい任務から数年が経った。幹部ポルポには、あの集団が付けていた記録帳と共に事の真実を報告した。そして、実験台にされていた少女は耐えきれなく死亡した事もだ。ポルポの反応はそれを聞くと、『実に馬鹿馬鹿しい集団だったな。ご苦労だったね、ブチャラティ』とあまり関心がなさそうにあっさりとしたものだった。
 オレは任務を終わらせて、車を自宅の駐車場に止めた。車のドアを締めた音を聞きつけたのか、中からパタパタと軽い足音が耳に入った。オレがポケットから鍵を取り出す前に、玄関の扉は勢いよく開いた。
「お帰りなさいっ! 今日もお仕事お疲れ様です!」
 打たれた薬によって変わってしまった薄い金色の髪を一つに束ねて、可愛いエプロンをつけた凜が出迎えてくれた。家の中からは美味しそうな匂いが漂っていた。
「あぁ、ただいま凜。今日も何もなかったか?」
「うんっ! 今日ね、買い物行ったらお店のおじさんがオマケしてくれて……」
 オレの腕に絡み、楽しそうに一日の事を話す凜を見てつられて自分も笑った。
 信仰心なんて持ってはいない。だけどオレにとって凜は、オレの心の平穏を与えてくれる本当の【天使】なのかも……しれない。
「手を洗ったら、テーブルについてねっ! すぐに夕飯食べられるから」
「わかったよ、凜」
 自宅傍の海辺のように、本日も穏やかな一日は過ぎるのであった。


[ prev / next ]
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -