Shadow Phantom | ナノ
 37:次のリクエスト曲は『Acqua di soda prodotta in Francia』です。

 リビングの照明は夜間にも関わらず薄暗く、チェストの上に並べられたガラス瓶を鈍く光らせる。
 部屋の片隅にある大型の本棚も、中央に置かれた若竹色の合革で作られたソファーや、それに揃えた一人がけのソファーは、狭い空間を更に圧迫させる程の存在感で鎮座していた。
 8畳もあるかどうかわからない部屋に、大の男達は任務に行った仲間が戻ってくるのをダラダラと過ごしながら待機する。
 そんなむさ苦しい空間だが、ソファーの隅に置かれた観葉植物と、どこからか入ってきてた見知らぬ野良猫は、多少はマシにさせてくれる一服の清涼剤かもしれない。
 長ソファーではギアッチョが寝そべりながら雑誌を読み、一人用ソファーにはリーダーが黙々と書類に目を通し、コンクリートを打ち付けられた壁に飾られた大きな鏡には、きっと姿が見えないイルーゾォが居るのだろう。手持ち無沙汰になった僕は、必然的に見知らぬ野良猫と遊んだ。やけに人懐っこいこの黒猫は、もしかしたらホルマジオの新しい友猫(?)かもしれない。
――時計がちょうど午前3時を知らせた。僕が時計を確認したのと同時に、リビングの両面扉が勢いよく開かれる。
「帰ったぜぇ〜」
「……首尾は?」
「もち、Perfectに決まってるだろ?」
 先頭を切って中に入ったのは、メローネと同様に最近髪を染めたホルマジオだった。彼に続くようにぞろぞろと一緒に任務に行ったメンバーが狭いリビングを更に狭くさせた。メローネはギアッチョの傍に腰を掛け、プロシュートとペッシも空いている席にへと座った。急に賑やかになった事に気がついたのか、イルーゾォは鏡からヌッと顔を出し、”やっと帰ってきやがったか”と、どこか待ちくたびれたように呟きながら全身を外に出す。
「此処に来て、全員が揃うのは久々だな……。リゾットのやつに呼び出されたのか?」
「……あぁ、お前らには戻ってきたばっかりで悪いが、これから全員で行く場所がある」
 プロシュートが何気なく呟いた言葉に、リーダーが答えるかのように反応する。
 だが、僕はただ時間を指定されアジトに来るように言われただけで、どういう要件なのかは知らされていなかった。どうやらそれは、さっきまで僕と一緒に居たギアッチョやイルーゾォも同じのようで、まさに寝耳に水と言った様子だ。リーダーの一言に、雑談をしていた声が静まり返る。
「出かけるって……こんな時間に? 全員って事は、組織絡みか?」
「あの二人が置き土産を残していった。しかも……とびっきりの上玉をな」
「へぇ……そいつは嘸かし良い物なんだろうなぁ。だが、全員総出で動いて大丈夫か? アンタ、完全に上の奴らを黙らすことはできたのかよ?」
 ホルマジオとプロシュートの追求に、リーダーは自分の意見を変えることはなかった。
「二人の事についての上への説明は済ませて無理やり納得させた。それに……急がないと、時間がねぇ。全員、今すぐ出れるようにしとけ。……イルーゾォ、途中まではお前の能力を使わせてもらう」
 リーダーにしては珍しく、普段の抑揚のない声調には焦りが混じっていた。二人もそれ以上口を出すこともせず、プロシュートはペッシに顎で知らせ、バタバタと全員が忙しなくリビングから出ていった。

 ――ネアポリスから車を飛ばして約3時間。
 場所はイタリアの国土形状で例えられるブーツ(または靴)の『爪先』にあたるカラブリア州。北にあるバジリカータ州と隣接しており、西にティレニア海、東はイオニア海に面して、西南のメッシーナ海峡の向こう側にはシチリア島がある。
 
 美しい海に囲まれ、複雑で多様な歴史が溢れるこの街の海辺に、その一軒家は隣家とは離れた位置にポツンと寂しそうに建っていた。家は一階建てだが『二人暮らし』をするにはちょうどいい大きさに思えた。
 時刻は朝の6時頃。太陽はすっかり昇り、眩しい日差しが容赦なく寝不足の目を攻撃する。
 起きている人は当然ながらいるし、まだ夢の中で旅をする人もいるこの時間帯だ。その一軒家へ何処をどう見ても、堅気には見えない男達がゾロゾロと入り込む。傍から見ればその光景は異様に感じるだろうが、幸いな事に周囲には歩いている人などいなかった。


『ドナテラ・ウナ(Donatella・Una)』。イタリアでそこそこ名の通った女性歌手。芯の通ったソプラノの歌声が特徴で、いくつかアルバムCDを発売している(余談だが、その2番目に出したアルバムを、僕は所有している)。
 1986年、メディアに公表をせず未婚ながらも『トリッシュ(Trish)』という名の娘を出産。それからずっとあの一軒家に二人暮らしをしていたが、数ヶ月前に病死。……これだけだと、これが何で組織に繋がるか?と疑問に持つだろう。
 ここから重要な事になるが、ドナテラが亡くなる前に一人残してしまう娘を気がかりにしたのか、彼女は『ソリッド・ナーゾ』という名の男の行方を、あらゆる場所へと依頼したらしい。
 そして、ソルベとジェラートがリーダーに託した置き土産というのは、パッショーネのボスが数多く使用していただろう偽名の中に『ソリッド・ナーゾ』という名があるのと、ボスには娘がいるかもしれないという情報だったのだ。

 
 僕たちが家の中に入った時には、すでにもぬけの殻だった。ドナテラの娘であるトリッシュの姿が確認できないどころか、人の気配すらなかった。恐らくすでに誰かに保護されているのかもしれない。
 一応何か手がかりがあるかと、そんなに広くはない家ではあるが、手分けして捜索を始めた。
――プロシュートは本棚に並べた本を一つ一つ取り出し、中をパラパラと捲っては床に放り投げていく。
「『ソリッド・ナーゾ』……。やっぱりボスの偽名だろうな。流石はあの二人の情報ってとこだな」
「でなきゃ、こんなに早く娘を隠す筈はねェわなァ!」
 プロシュートが呟いた言葉に、ギアッチョは苛立ったように書類を散らかしながらも作業の手を進めた。
「せっかく来たのに、無駄足じゃあねぇか。クソがッ!」
 任務から戻ってきて早々、長時間の車移動に疲れたのか、ホルマジオも苛立ちを隠さない様子で、手に持っていた写真立てを後手に放り投げた。
 シンプルなデザインの写真立ては、僕のすぐ近くの板床に落下して、ゴツンと鈍い音を立てる。すでに家の中は荒らされた形跡があるとは言え、あまり物を乱雑に扱うのはどうかと思いながら、投げ捨てられた写真立てを拾った。
 ドナテラの若い頃の写真だろうか?インスタントカメラで撮影してもらったのか、右下には『1985年6月』と表記されている。透き通るような海をバックに、『COSTA SMERALDA』と表記された石台に凭れ、腕を組むようなポーズを撮っていた。一見はただの記念に写真を撮ってもらったように思えるが……何故か、心の何処かで何かが引っ掛かる。
「でも……もし、娘を捕まえられたらボスの正体もわかるかも? ねぇ、兄貴ぃ?」
「あぁ、そうだな……」
 僕はその突っかかりが何なのか、写真をじっと見て考え込んでいたが、ペッシの声で我に返る。
 そこにタイミングよく、別室を探していたメローネが戻ってきた。表情から察するに、大した成果はなかったようだ。
「娘を護衛しているのは誰だろうな? ペリーコロはスタンド使いではないから、ポルポあたりか?」
 あまり思い出したくない人物の名前が出て、僕は思わず眉間に皺を寄せた。ペリーコロという名はなんとなく聞いたことはあるが、実際に会ったことはないのでコメントしようがない。
「んじゃあ、とりあえずネアポリスに戻って、直接聞いてみるか?」
 果たしてイルーゾォは、ポルポと面識があるのだろうか?あの男に『ボスの娘は誰が護衛しているんですか?』だなんて、バカ正直に聞いて素直に答えてくれる人だとは思わない。かつて面接した時のように脅した所でも、ボスが関わる事だったら絶対に口を割らないだろう。なにせくどいように『信頼』という言葉を口にしていたのだから。
「……浮かれるな」
「「……っ!?」」
 僕たちが作業していた様子を、考え込みながらずっと黙って観察していたリーダーが口を開いた。
 やいやいと愚痴を溢していたメンバー達は、リーダーの圧に直様口を噤む。
「こういう攻勢の時こそ、落ち着いて行動しろ。気持ちはわかるが……『失敗=死』だ」
「…………」
 突然舞い降りてきた朗報に、浮足立っていた事に自覚があったのか、皆はそれぞれ罰の悪そうな顔をして俯いた。
 ずっと冷遇され続け、表には出さなかっただけで、皆ボスに対しての不満不平は溜まりに溜まっていたのだろう。反逆の優勢になるだろう情報は、宛もなく彷徨っていた暗闇に、一筋の光が差し込んできたような気持ちになったのかもしれない。
「もう此処に、コレ以上の収穫はない。……撤退するぞ」
 出発する前にリーダーが僅かな焦りを見せたのは、娘の身柄確保を先に越される恐れがあったからなのだろう。”浮かれるな”とは言っていたものの、きっとリーダーも僅かな期待はしていたかもしれない。それ以上の事は何も言わず、静かに家を出ていくリーダーの背中は、どこか落ち込んでいるように感じた。


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