Shadow Phantom | ナノ
 33:幾度と巡り渡った副作用

 それは早朝の事だった。昨晩から任務へ行っていたギアッチョ、メローネ、イルーゾォ、そしてペッシの4人がそれぞれ思い思いのことを喋りながらアジトに戻ってきた時だ。
 2階へと階段を登っている途中、リビングのドア越しから何やら揉めるような声が漏れているのを4人は気がついた。1つはよく知る我らのチームリーダーであるリゾットの声。そしてもう1つは滅多に……いや、もしかしたら初めて聞くかもしれない凜の荒げているがどこか切羽詰まったような声。最後にそれを何とか宥めようとしているホルマジオの声だ。
 それぞれは廊下立ち止まり顔を見合わせた。中の状況を知りたいが、部屋には恐らく関係のない者まで気まずくなるような嫌な雰囲気が漂っているだろう。好奇心旺盛なメローネでさえ、真っ先にドアを開けることを躊躇っている。自然に声を潜めどうするか相談をしていると、いきなりプロシュートとペッシの部屋のドアが勢いよく開かれた。
 部屋から姿を出したプロシュートは綺麗な顔をしかめっ面にさせ、寝起きなのかいつもはきちんとセットされた髪の毛は乱れたままだった。不機嫌なのか殺気を出していたが、ドアの前で立ち往生をしている弟分たちを確認すると、無言のまま顎でドアを開けろと命令する。ギアッチョはそんな彼に偉そうに指示するなと怒り始めそうだったが、必死に抑えて誰がドアを開けるかじゃんけんをしたのだった。
――敗者がドアを開ければ、予想通り重たい空気が自分たちの心へと流れ込む。
 揉めているような会話はしてはいなかったが、その代わりにその場にいた三人は押し黙っていて、リゾットと凜は互いに見つめ合っていた……いや、見つめ合うと言うよりも睨み合っていると例えた方が当てはまる。目には見えないが、まるで互いの視線の間に静かな火花を散らしているかのようだ。傍に居たホルマジオは、疲れたようにうんざりした表情をさせながら中に入ってきた仲間達に『本当にしょうがねぇ奴らだよ。お前らもどうにかしてくれねぇか?』という意味を含ませているかのような無言の視線を向けた。
「テメーらさっきからうるせぇんだよっ! 朝っぱらからギャーギャーと騒ぎやがってよぉ〜発情期の野良猫の喧嘩かッ! 時間を考えろっ!時間をよぉ〜」
 どんよりした空気を薙ぎ払いそうな勢いでリビングに入ってきたのは、ビシッと身なりの支度を終わらせたプロシュートだった。額に青筋を浮かべて、ペッシが真っ青になって震え上がるほどの剣幕で乗り込んだプロシュートの存在に気がついたのか、ようやくリゾットと凜は互いを睨むのを辞めて視線を仲間たちに向けたのだった。





 遠くから波の音が聞こえる。身体に空いた無数の穴からは、ゴポリゴポリと嫌な音を出しながら生暖かい血を流している。美しい青空の下で今にも死にそうになっている『オレ』を、オレはすぐ傍で見守っていた。
 やけに現実味がある夢だと思う。聞こえてくる波音やエンジンをかけたような低音も、目の前に広がっていく血の海から漂う生臭い鉄の匂いも、頬を撫でる風もやけにリアルで、本当は夢ではなく現実では?と疑ってしまいたくなるほどだった。すっかり虫の息になったオレにオレはそっと手を伸ばした。
 ……景色が一変した。水の音が耳に入ったが、それは海が波打つ音ではない。大小バラバラの岩が転がる海岸付近ではなく、しっかりと手入れがされた街中のようで、自分が立つすぐ傍には大きな川が流れていた。
 ここは……ヴェネツィアのサンタルチア駅前だ。翼が生えたあのライオン像を見て思い出す。観光地でもあるのにも関わらず、周りには人の気配など1つもない。破壊されているライオン像、ひっくり返されたゴミ箱、歪にひしゃげた街灯は異様な存在感があった。オレは周りを調べるためにも一歩を踏み出した……はずだった。
 ヴェネツィアの光景を最後に、周囲の背景はとめどめなく変化していった。人がごった返した駅、辺りはなにもない野っ原に停車している特急列車、カラスの死骸が散らばるポンペイ遺跡に、火の海が広がる街中。そして最後に辿り着いたのは、薄暗く小汚い我らのアジトだった。座るオレの前にはたった1つの単語が書かれた紙と、無数に並べられたホルマリン漬けになった標本。その中身は……。
 認識する間もなく、視界は暗転する。そして永遠と繰り返される同じ光景に、オレは気が狂いそうで身悶えていたが、こうも幾度と同じ事を見せられると逆に頭は冷静さを取り戻していた。
 この世には『夢占い』というその日見た夢が何を暗示しているか、という一種の占いがある。人によってはそれを信じる者もいるし、占いなど馬鹿らしいと見向きもしない者もいる。
 ……ちなみにオレは前者だったりする。信憑性のないものだと思われる事でもあるが、夢というのは己の深層心理が反映されている所があるから馬鹿にはできないからだ。
 そうなると、現実味のあるこの夢はオレに一体何を伝えたいのだろう。まるで心を切り刻んでくるように流れていくこれは、もしかしたらただの夢ではなく『予知夢』なのかもしれない。いや、もしくは……。答えが見つけられていないのにも関わらず、まるでタイムアウトだと知らせるように映像は朧げ、周囲は白くなっていく。
 もう少しなんだ。もう少しで自分が忘れていた大切な何かを思い出せそうなんだ。オレの必死な願いも虚しく、夢の中にも関わらずまた意識を失った。

「――っ! はっ!」
「!!」
 沈み込んでいた意識を引きずり出されたかのように、オレは飛び上がるように起き上がった。いつの間にか傍にいたらしい凜は、急に起きたオレに驚いたかのように息を飲んだ。
「だっ、大丈夫ですか……? なんだか……魘されていましたよ?」
「……あぁ」
 どうやら本当に魘されていたらしい。額だけではなく、全身から嫌な汗が吹き出て服が肌に張り付いていた。心配そうな顔をしている凜は、風呂上がりなのか髪が濡れている。両腕にはブランケットを抱きしめていて、どうやら寝ていたオレに掛けてくれようとしていたようだ。
 本来なら凜の気遣いに感謝するべきなのだが、何故だが妙な違和感が沸々と湧き上がる。
 …………居なかったのだ。押し付けられるように幾度も見せつけられた『夢』に、凜は一度さえも登場しなかった。
 凜を除き、<オレを含めた9名の暗殺チームは存在していた。そして一度も間違えることなく順番ずつ死んでいった。>まずその事実がカチリとオレの脳内に嵌った。だが、疑問というのはまた出てくるものだ。もしあれが予知夢でも知らぬ過去の事だったとしても、どうしてそこに凜は存在していなかったのだろう。ザワザワと体内のメタリカがざわついている気がした。この前のソルベとジェラートを見送った時と似たような感覚。これはまた何かの警鐘なのか?……そして、凜は一体何者なのだろう。敵……なのだろうか?上からのスパイで、本当はあの二人が誘拐され処刑される事も知っていて、オレたちを油断させるために偶然を装って命からがら救出したように見せかけたのでは。
「リーダー……? 本当に大丈夫ですか? お水持ってきましょうか?」
「…………やめてくれ」
「えっ?」
「やめろって言ってるんだっ! そうやって良い奴ヅラして、油断させて何を企んでやがるっ!」
 膨らみ始めた疑心暗鬼は止まらない。こういう悪い考えというのは、本当に決着をつけてから口を開かないと何を発言してしまうかと恐れていた。しかし、最悪な事に口を開いてしまったのだ。
 まだそうだと決まっているわけでもない、一度は『敵ではない』と考えを改めたのにまた疑ってしまう罪悪感が一気に込み上がる。だが、時すでに遅し。オレの罵声に凜は目を大きく開かせて、悲しそうに顔を歪ませた。口をハクハクさせて、小さく狼狽えるような声を出して何を喋ったら良いか迷っているようだ。
――そこからはもう最悪だ。凜は最初、狼狽えつつも冷静を保ちながらオレに何故そう思うか疑問をぶつけた。だが、話を続けるたびにどんどん凜の口調は柔らかいが声調は強くなった。オレも辞めればいいのに、数時間前の事や疑心暗鬼が止まらずに歯止めが効かなくなっていた。最終的にはもう怒鳴り合いだ。敵だと決めつけてるオレと、自分は敵ではないと身の潔白を訴える言い争い。初めて聞く凜の張った声や騒ぎを聞きつけたホルマジオが宥める声などお構いなし。
 そんな不毛なやり取りを繰り返してようやく頭に登った血が戻った時、オレは凜の睨みつけてくる黒い瞳をじっと見つめていた。光のないその目は、怒り満ちていたが泣きそうにオレを映している。そこでやっと、自分がした失言に気がついた。プロシュートが怒鳴り込んでこの空気を壊してくれなかったら、上手く収集がつかなかっただろう。
「…………凜」
「………………なんでしょう?」
「すまなかった。許してくれなんて言わない。……酷い言葉を投げてしまった事と疑ってすまない」
 深々と頭を下げれば、周りにいた奴らが息を飲む音が聞こえた。言い争いで吐いた暴言は戻らない。言葉のナイフはきっと凜を深く傷つけてしまっただろう。
「いいですよ。わかってもらえて良かったです。それに……みんな揃ったので、晩の事を話しましょ?」
 顔を上げれば凜はいつもと変わらない口調だった。さっきまでの荒々しい雰囲気も元に戻っていたが、顔に貼り付けていた笑顔は心苦しそうに見えた。
 そんな顔をさせたかったわけではなかったし、それをさせたのはオレだ。いくら後悔しても時間は巻き戻せなかった。

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