Shadow Phantom | ナノ
 32:空(から)の袋は立たない

 一定のリズムを刻む時計の秒針だけが部屋に響く。
 ソルベとジェラートの話を聞いたオレたちは、ただ言葉を失い押し黙ることしかできなかった。いつもはお喋りなホルマジオやプロシュートでさえ、額に冷や汗をかいて話す言葉を探しているようだ。
 ――グゥ。
 部屋に響いてるのは時計の秒針だけではなかった。数分に一度は聞こえてくるこの音は、凜のお腹から鳴っている。普段はお腹が鳴る度に恥ずかしそうにしているが、今の凜はそんな素振りをせずに相変わらず俯いたままだ。
『ボスの正体を探っていたのがバレて、処刑される寸前だったのを凜に助けられた』ソルベから聞かされた言葉に、全身の血がざわつくのを感じた。最後にこの二人を見送った後に感じた体内のメタリカ達が騒ぎ、肌を突かれたような感覚はこの前兆だったのだろうか。
――グゥ〜。
 引っかかった思考回路を必死に動かすが、重苦しい空気の中で聞こえてくるこの音は、実に間抜けで真面目に考えている方が馬鹿馬鹿しいと思えてくる。
「……おいっ。その音をいい加減に……」
 プロシュートも同じ事を考えていたのか、たまりかねて凜に声を掛けたのと同時に、ずっと人間椅子に座り込んでいた凜はいきなり立ち上がった。オレたちの疑問を持った視線など目もくれず、凜はテーブルの上に置かれた料理が乗った皿を手にした。
「『Sacco vuoto non sta in piedi.』って諺は知っている?」
「あっ?」
 ようやく口を開いたか思いきや、突然の問いかけにプロシュートは怪訝そうな顔をする。凜は、その皿を持ったままキッチンへと消えた。まさかだと思うが、この状況の中で夕飯を取るつもりなのだろか? ……いや、問いかけた諺の意味を思い出せば、きっとその意味通りに凜は食事をするつもりなのだろう。メンバー達に目をやれば、凜の行動が信じられないとでも言いたげな表情を浮かべいてる。ずっと椅子にされていた同じ組織の男でさえ、わけがわからないという様子だ。やがて数分後に電子音が聞こえると、凜は温め直した料理を手にダイニングテーブルの席についた。
『いただきます』と、いつも凜がやっている不思議な儀式をしてナイフとフォークを手にすると、いろんな事に堪りかねたのかプロシュートが凜を詰め寄った。
「おいおいおいおい。凜、凜、凜、凜よぉ〜。一体どういうつもりだぁ? お前、今こんな状況と雰囲気の中で飯を食うつもりかぁ〜? どんな神経持っているんだッ!」
「落ち着けってプロシュート」
「……さっき聞いたじゃあないか『Sacco vuoto non sta in piedi.』って諺を知っているかって。日本でこいつと同じ意味の諺は『腹が減っては戦はできぬ』って言うんだよ」
 声を荒げるプロシュートに、それを宥めるホルマジオ。そして何食わぬ顔をして、優雅な手付きで仔牛のカツレツをナイフで切り取り口に運ぶ凜。はっきり言って異様な光景だと思う。これがTVで流れる滑稽なドラマだったら、どれだけ救われてよかった事だろう。
「僕はこの組織のボスの正体だなんて別に興味ない。そして地位や名声という欲はこれっぽっちもない。……でも僕は組織を裏切った二人を助けた事で、『間接的な裏切り者』だ。拉致された理由を知らなかったとはいえ、それでも僕も裏切り者だという事は変わらないね」
 ゆっくりとだが、どこか淡々と語る凜から出てきた『裏切り者』という単語にまた空気が張り詰めた気がした。言った本人は特に気にせずに、『このカツレツ、マジ美味い』と呑気に感想を述べている。
「……もしも、オレらが『組織の裏切り者』としてお前ら三人を殺すってなったらどうするつもりだ?」
「”降りかかる火の粉は薙ぎ払う”までだよ。だからこそ、こうやって沢山食べて力を蓄えるんだ。……でもさ、例えそんな命令出されても困るだけじゃないの? だって彼らはあくまで私欲での行動じゃなかったみたいだし?」
 凜はホルマジオの軽い脅しにも臆することなく、食事を取る手を止めるとナイフの先をソルベとジェラートに向けて微笑む。

 ソルベとジェラートがボスの正体を探る事を決めた一番の理由は、この暗殺チームへの組織からの冷遇によるものだった。人を殺すという一番汚い仕事を押し付け、自分も殺されるかもしれない可能性が高いというリスクがあるのにも関わらず、渡される報酬は少なくシマも与えられない。例え薄汚くても、それぞれが持つ自分たちの『誇り』を侮辱され続けられている事に我慢ができなくなったからという事だ。
 凜が言った事に間違いはない。二人は私利私欲ではなく、オレたちチーム全員の為にやった事。……本来ならば、一番前に立つリーダーのオレがやるべきだった事。二人が情報収集に強いという認識はしていたはずなのに、一番の禁忌の情報を探ってしまうという考えを持たなかったオレに二人を責める権利はない。
「まぁーね。あぁ、でもボスを含めた上層部のクソッタレ共に一泡吹かせてやりたいっ! ってのは、オレらの私欲だったかも?」
「そうだな。まぁ、また殺される状況になったら凜も一緒に巻き込まれるだけだな」
「君たちと一緒に殺されるつもりは、ちぃっともないけれどね。あの世は仲良く二人で行けばいいよ」
 三人の軽口のやり取りには、また新たな驚きを与えられた。この三人はいつの間に、そんな事を言い合う仲になったのだろうかと。
「……で、これからどうするよ? 裏切りの件を知ってしまった以上、聞き流すわけにはいかない。アジトの場所も知られちまっているようだし」
「このおっさんもどう処分するかねぇ」
 カッカと熱くなるのが阿呆らしいと思ったのか、プロシュートは吸いそびれた煙草を咥えた。ホルマジオは敵に囲まれ縮こまっている男を見下ろした。
「あぁ、そうそう。正体を探っている時に、ついでに麻薬ルートを乗っといてやろーっと思ったんだけどさぁ、それがちょっと一筋縄ではいかなさそうなんだよねぇ」
「……どういう事だ?」
 組織の大元の金になっているのは、数年前からジワジワと蔓延る麻薬である。ボスを引きずり下ろして、大金を手に入れるのに手っ取り早いのは『麻薬ルート』なのは理解できる。だが、それが難しいとは一体何故だとオレはジェラートに聞いた。
「その麻薬に賞味期限があるとしたら……?」
「麻薬に期限なんてあるのか?」
「『パッショーネの麻薬は新鮮だから賞味期限がある。だから早く使わないといけない』……っていう噂があるんだってよ」
 ジェラートからの情報にオレは、頭を捻らした。治療用の薬に数年ほどの期限を設けられているのは、何となく知っているが麻薬にもあるのは聞いたことはない。しかも麻薬に新鮮なんてあるのだろうか?
「たださえ、うちのチーム全員はスタンド使いだ。パッショーネで他のチームに、麻薬関係のスタンド使いがいても不思議ではないんじゃないか?」
「『麻薬チーム』」
 ホルマジオの推測に口を挟んだのは凜だった。聞き覚えのないチーム名にオレたちは凜に耳目を集めた。
「前のチームリーダーが言っていた。『この組織には、オレたちのように公にされていないチームはある。その1つに麻薬チームが最近できたんだと幹部が言っていた』ってね」
 それに付け足すように、それ以上の事は聞いてないんだけれどねと残念そうに凜は肩をすくめた。
「チームの名前からして、あまり関わりたくない連中だろうなぁ。どっちにしろそれらを乗っ取るのも、ボスを引きずり降ろしてからだろうしなぁ〜」
「……ホルマジオッ!」
 ホルマジオの口振りを聞けば、その意味合いはホルマジオも……。
「おい、リゾットリゾットリゾットよぉ〜。まさかお前、まぁだ怖気づいているのかぁ? これは今まで溜まってきた物を晴らすトリガーにすぎない。こいつらは命からがらここまで逃げ延びてきたが、これから上の奴らはオレら全員をマークしてくるだろうなぁ。……だったらよぉ、丁度いい機会だ。そろそろ反旗を起こしてもいいんじゃないか?」
「プロシュートまで……」
 腹に決めたのはホルマジオだけでなく、プロシュートもらしい。
――組織の底辺、目に見える冷遇、使い捨ての駒。
 取り戻したい。失われていく『栄光』も『誇り』も。だが……
「二人の意志はわかった。……だが、少しばかり時間をくれ。今任務に行っている全員が、アジトに戻ってきたら今回の事とオレが考えた結果を伝える」
 曲がりなりにもオレはこいつらのリーダーだ。自分の感情を優先で勝手に今後の重要な事を決めてはいけない。この場にいる奴らとは別で、残りのメンバー達はまだ若い方だ。あと数時間後までに、オレの考えをまとめなくてはいけない。それからまた全員で話し合わなくてはいけないんだ。
「…………ったく、しょぉ〜がねぇ〜なぁ。お前は相変わらず、頑固というべきか真面目すぎると言うべきか、融通がきかないと言うべきか……。とりあえず、このおっさんはオレが預かっておくぜ。だから、悩んで悩んで悩みまくれよぉ〜。それこそ白髪になるまで」
「ハンっ。すでに白髪みたいなものじゃねーか、それならハゲになるまで悩め」
 オレの考えを察してくれたらしいホルマジオは、わざとおちゃらけるような振りをすると、自身のスタンドを出し素早く男を切りつけた。プロシュートも、それに同調するように言う。なんだかんだで付き合いは長いが、二人のこういう所はよく助けられている気がする。
「さぁ、とりあえず一旦解散だ。あいつらが帰ってきたら呼んでくれ。……それと、テメーら三人は埃クセェから、シャワー浴びてから寝ろよ」
 プロシュートの一言によって、それぞれオレに声を掛けるとリビングから出ていった。
 誰もいなくなった部屋で、オレはただ1人残された。さっきまでの緊迫した雰囲気だったのが嘘のように思えるほど静寂で、止まっているように思えていた時間が流れているを感じた。緊張していた全身の筋肉が緩んだのか、急に眠気がやってきた。これからの事をよく考えなくてはいけないのに、オレは誘われるかのように近くのソファーに寝そべった。それから完全に意識をなくすのには数秒も掛からなかった。
 

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