Shadow Phantom | ナノ
 31:メインディッシュは仔牛のカツレツ

――その日は珍しく山のように積もった書類を全て片付け終わることができた日だった。任務も入らず慌ただしい事もなく、昼からゆっくりとした時間の流れを楽しむ事を数年ぶりにできたと思う。
 習慣にしている筋トレをこなし、部下達がリビングでくだらない話をしているのを聞きながら珈琲を飲み、食事当番であるプロシュートが作った夕食に舌鼓を打ち、久々の平和な一日で締めくくるはずだった。

「……なぁ、凜のやつはまだ帰ってこないのかよ? もう日付跨いじまうぜ?」
「まだ戻って来てねぇよ。ってか、凜も一応いい歳なんだから大丈夫だろーよ。お前はあいつのマンマじゃないだろ」
「でもよぉ、いつもは腹を鳴らしながら夕飯前には帰ってくるじゃねぇか。今日はオレが飯当番なのも知ってるし、出かける前に食べるから人数に入れといてって言ってたしよぉ」
 夕食後、任務が入っていなかったオレとホルマジオとプロシュートで酒を並べて飲んでいた。軽いつまみを食べながら、仕事の愚痴やら世間話やらしょうもない話をしていると、プロシュートは時計を見て思い出したかのように口を開いた。
 テーブルの上には数時間前までは温かった料理が、凜がいつ帰ってきてもすぐに温められるようにとラップを掛けられて置かれている。
 プロシュートの発言を聞いて、オレはよくよく考えてみれば確かにと一人で納得する。凜はこのアジトに来てからの夕飯は、ほぼ毎日しっかりとここで食べている。いらない時はいらないと担当の奴にちゃんと言うし、帰りが遅くなって夕飯までに間に合わない時は事前に伝えたりと、他の奴らに比べれば非常にマメだ。
 だが、プロシュートの発言で気がついたが、今日はその連絡がないのだ。それにこんなに帰りが遅くなることも初めてかもしれない。
「ん……? どうしたリゾット? まさかお前まで心配してるのかぁ? しょ〜がねぇ〜なぁ、心配性のむさ苦しいマンマが二人もいるってのはよぉ。過保護共が煩いからオレがちょっと電話でも掛けてやるよ」
 ホルマジオはすっかり酔いが回っているのか、ゲラゲラと笑いながらズボンのポケットを探る。それはプロシュートも同じなのか、『さっさと掛けろハゲっ』と言いながらホルマジオの頭をペシペシと叩く。
「おっ、あったあった。えーと、凜の番号は……」
 猫に引っかかれたのか、所々に引っ掻き傷がついたボロボロの携帯電話をホルマジオが取り出し、ダイヤルボタンに指を当てた時だった。一発の乾いた音がアジトのすぐ近くで響いた。
 時計はちょうど0時を知らせた。

 長年の経験からして、その乾いた音は爆竹などではなく拳銃の音だ。
 それは一発だけですぐに静寂は戻ったが、オレたち三人は万が一の事を備えて戦闘態勢を取る。ここの建物にアジトを移転しから、アジトの外で銃声が鳴る事はなかったのだ。呼吸を潜め、五感を研ぎ澄まし状況を知るために耳を潜める。
 アジトのガレージのシャッターを開ける派手な音がした。凜が帰ってきたのだろうか?それとも……。
 3人ぐらいのバタバタとした隠さない足音と、何かを引きずるような音がリビングに近づいてくる。緊迫した空気が張り詰め、いつでもスタンドを出せる準備をした。
 そしていよいよリビングの扉は勢いよく開けられた。
「…………」
「………………」
 薄っすらと漂っていた紫煙はやがて消えた。スタンドを出す必要はなかったのだ。
「……っ、驚かせやがってっ! おい、どうしたんだよその酷い格好はっ!」
 長い沈黙の後、真っ先に声を出したのはホルマジオだった。リビングの扉を開けたのは凜だったが、その姿は思わず訪ねてしまうのも納得する姿だった。
 丁寧にアイロン掛けされた皺のなかったはずのシャツは、所々破けたり薄汚れている。頬には泥のような黒ずみをつけ、真っ黒な髪の毛には白い蜘蛛の巣が目立たせている。どこかの暖炉の中にでも顔を突っ込んできたのかと言うぐらい埃臭い姿をしていた。
「よっ、よぉ……久しぶりだなお前ら」
「ジェラート。…………それにソルベも」
 偶然近くで居合わせたのかと最初は思ったが、この二人の姿は凜以上に酷い有様を見てその予測は打ち消された。
 ジェラートのクリーム色のツナギは本来の綺麗な色を失い、ドブのような色合いになっていたし、二人の顔には誰かに殴られたかのように赤や青黒い痣ができていて、口端を切ったのか乾いた血がこびりついていた。
「お前等、一体どうしたっていうんだ。……それに、それは?」 
 気まずそうな顔をする二人の足元には、猿轡を噛まされ足から血を流した男が転がっていた。どうやら引きずっていた音の正体ってのは、この見たこともない男を引きずっていた音らしい。
 凜は男の後ろ襟ぐりを掴み、ズリズリと重そうにしながらも部屋の角へと移動させると、どっかりと男の上に腰を掛けた。カエルが潰れるようなくぐもった声と突然の行動にオレ達は驚いたが、凜はそんな事も気にせず疲れたように息を吐いた。
「……詳しい事は、その二人から聞いてください」
 凜は抑揚のない淡々とした口調で言い切ると、それ以上言うつもりはないのか俯いて口を閉ざした。
「状況が飲み込めねぇよ」
「…………そうだな。二人とも説明してくれ」
 すっかり酔いが冷めていたプロシュートは、煙草を口に咥え紫煙を作った。
 一発の銃声、凜達の酷い姿、今まで姿を見せていなかったソルベとジェラート。そして椅子にされている怪しい男。謎だらけの事に情報が纏まらないが、なぜだか嫌な予感がしてならない。聞かなくてはいけないのに、聞きたくないと本能が拒絶しているような感覚だ。
 注目を浴びた二人は、隠し事をしているかのように視線を泳がせてなかなか説明をしようとしない。
「さっさと、話せよっ! いつものテメー等らしくねぇじゃあねーかよ」
 せっかちなプロシュートは、重い沈黙に痺れを切らしたように二人にけしかける。横にいるホルマジオはそんな奴を落ち着かせながらも、やはりプロシュートと同様に話を促せた。
「……悪いリゾット。オレたち組織を裏切った」
 アジトに来てから一度も喋らなかったソルベが口を開いた。その発言にまた再び沈黙が訪れる。今聞いた言葉は聞き間違いなのであろうか?
「あぁっ!? ソルベっ! なんて言ったぁっ!? もういっぺん言っ……」
「オレたちはボスの正体を探っていた」
 プロシュートに被せて、ソルベはさっきよりも大きな声で淡々と告げた。
 短く息を飲む音と火のついた煙草が床に落ちる音がやけに耳に入ったのだった。

prev / next


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -