距離はヒールよりも近かった
『今週末に休みが入った。だいぶ久々になっちまったが、どっかに行かねぇか?』
一昨日届いたメール文は絵文字の1つもなく素っ気ないものだが、彼らしさがギュッと凝縮されている。私はこのメール文を寝る前に必ず5分ぐらい眺めてから眠る事で、会えない寂しさを埋めていた。
いきなり約束の前日にキャンセルになる場合もあるから、あまり期待をしすぎるのはいけないと心に留めてはいるが、やはり楽しみな予定に胸をときめかせてしまう。ハンガーに掛けているお気に入りのワンピースと、箱に収めた買ったばかりのハイヒールにチラチラと視線を送りながら私は約束の日まで指折り数えた。
デート当日。朝までハラハラしていたデートキャンセルもなく、私は早速準備に取り掛かる。メイクは服に合わせて大人っぽい感じにしてみて、ヘアスタイルも少し凝ってみた。
そして、ここが一番大事。普段は可愛い服装に歩きやすいスニーカーを履くのが定番だが、今日は違う。今まで生きてきた中で、本当に数えるぐらいしか履いたことのないハイヒールだ。こういうのを履いた姿をまだアバッキオには見せたことはない。
ちょっと驚かせたかったのと、背の高い彼に少しでも近づくことができたらなという下心、そしてこのデザインがどことなく彼っぽいという3つの理由だった。
外に出る前にもう一度鏡でチェックすると、鞄を持って浮足を立てながら家を出た。アバッキオが褒めてくれると嬉しいなと期待で胸で一杯だった。
待ち合わせ場所に到着すると、まだアバッキオの姿は見えない。いつも待ち合わせ時間の少し前からいる彼にしては珍しいものだと思いながら、柱に少し寄りかかり来るのを待った。
そういえばいつも遅れてしまうのは私の方だ。ごめーんと謝りながら登場しても、怒らずに手を差し伸べてくれる事を思い出してはフフッと笑みが出た。
待ち合わせ時間に迫りくると、遠くからアバッキオが来るのが見えた。黒と紺色を基調にした彼の服装は相変わらず格好良かった。
真っ直ぐ私の方に向かって来たかと思いきや、アバッキオは何も言わずに私から少し離れた場所に立った。……?私がここに居るのにも関わらず、アバッキオは無表情で壁によりかかり腕を組んでいる。
「……アバッキオ?」
「……? ……っ!?」
何か怒らせるような事でもしてしまったのかと、恐る恐る声を掛けると最初は怪訝そうな顔をしていたアバッキオは何故かビックリしたような表情に変わった。
「なっ、名前。オメーずっとそこに居たのか?」
「うっ、うん。今日はいつもより早く着いたんだ。……それよりもどうかしたの?」
「いっ、いやっ! 何でも無い。……それより待たせちまって悪かったな」
どこか歯切れの悪いアバッキオが不思議で首を傾げた。アバッキオはチラッと私を見ると、そのままそっぽを向いて行こうぜと大きな手を差し伸べてくれる。
今日の服装とかの感想は特にないんだなぁってちょっと悲しかったが、私は黙ってアバッキオの手を取った。
私達の普段のデートは基本的にノープランだ。例えば連休だからちょっと遠出しようかという時は、メールなり電話なりと計画を立てるが、急に仕事が入ってしまったという事もあるので予定は組まないようにしている。
二人で手を繋いでブラブラと街を歩き、ちょっと疲れたら近くのバルに入るかジェラートを摘んだり、気になる雑貨屋さんを見つけたら買い物をしたりと結構緩い。
デートの定番であろう映画館や美術館とかは行ったことはない。映画ならビデオを借りて家でゆっくり観たいし、芸術に関しては二人ともさっぱりだ。
刺激があるかって聞かれたら、刺激はほとんどないのかもしれない。だけど、ちょうどよい緑陰の下にある散歩道を二人でお喋りしながらのんびり歩くのは、かけがえのない時間だ。
昼食を取った後、私達はどこに行こうかと歩きながら相談していると、何かの拍子でガクッと足の重心がブレて立てなくなってしまった。
「おっ、おい。大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。ごめんね急に……あっ」
急にコケてしまった私に、アバッキオは驚きつつも手を差し出してくれる。私はその手を取ろうと思ったが、転んでしまった原因に気が付き落胆の声を漏らしてしまった。
ハイヒールのトップリフトの部分が上手く石畳の隙間に挟まってしまったせいなのか、右側のヒールはポッキリとキレイに折れてしまったのだ。
この後のデートどうしようとか、せっかく気に入った物だったのにな……とか色んな考えが巡って、途方に暮れてしまった。
「……名前」
「あっ……アバッキオごめんね。ドジしてヒール折っちゃったみたいで……って、アバッキオ!?」
黙り込んでしまったせいで、心配してくれるアバッキオに慌てて謝罪をすると、いきなり私の身体は宙に浮かんだ。
一瞬何事だと思ったが、所謂世間で言う『お姫様抱っこ』というのをアバッキオにされている事にすぐ気がついた。
「だっ、駄目だよ? 私重たいし、それにちょっと恥ずかしいし……」
周囲の人の視線が刺さるどころか、囃し立てるような口笛も聞こえる。アバッキオは私の抗議に耳を貸さず、何も喋らずにズンズンと歩き始めてしまった。
驚きとあまりの羞恥心で私は顔を手で覆った。すぐ近くで感じる彼の体温や香水の匂いに、私の胸は早鐘を打っていた。
――何分ぐらい運ばれたのだろう。アバッキオが立ち止まったかと思ったら、自動ドアが開いたような音が私の耳に入る。
「いらっしゃい…………どうぞどうぞ、こちらのソファーをお使いください」
「悪いな……」
何かのお店に入ったのだろうか?迎え入れた男性の声は最初戸惑っていたが、何かを察したようにアバッキオを誘導している。私は恐る恐る手をどけて、視界を開けた。
目に入ったのは、棚や壁に展示されている数々の靴だった。"降ろすぞ"と、頭上から声を掛けられると、私はまるで壊れ物を扱うような手付きでソファーに降ろされた。
「名前の足のサイズを教えてくれ」
まだ状況を飲み込めてはいなかったが、あたふたしながらサイズをアバッキオに教える。
「ちょっと座って待ってろ」
そう一言だけ残すと、アバッキオはフラッと傍から離れていってしまった。
……怒らせてしまっただろうか?慣れていないハイヒールなんて履いているからだと、きっと内心呆れているのかもしれない。せっかくのデートに水を差してしまったなと、しょんぼりしてしまう。
「待たせたな」
戻ってきた彼は、何足もの靴を腕の中に抱え込んでいた。そしてしゃがみ込むと、一足一足と丁寧な手付きで私の前に並べていく。どれもヒールのないスニーカーやパンプスばかりだった。
それを見て、あぁやっぱりヒールの物なんて履くなって思ったんだなと、更に落ち込んでしまう。だが、そんな私の心中なんてお見通しと言わんばかりにアバッキオは、ポンッと私の頭を撫でた。
「今度、お前に似合いそうなハイヒールを買ってやる。足にちゃんと馴染んで簡単に折れちまわないのをプレゼントするから、とりあえず今日はどれか選べ。……どれも今のコーディネートに似合う物だと思うからよ」
どこかぶっきらぼうにアバッキオは言っていたが、白い頬が赤くなっていることに気がついた。
「ありがとうアバッキオ」
「あぁ。足に怪我してねぇか?」
「うんっ! それは大丈夫みたい」
捻挫や怪我をしていなかったのは、不幸中の幸いだった。少し元気を取り戻した私は、改めてアバッキオが持ってきてくれた靴を見た。眼の前に置かれた何足の靴は、可愛いけれど大人っぽいデザインでパンプスでも可愛いものばかりだった。
「ありがとうございました。どうぞお気をつけて……」
店員さんの挨拶を背に、私達は靴屋を後にした。足元にはアバッキオに選んでもらった新品の靴。そして、アバッキオの手には折れてしまったハイヒールが入った紙袋。
外を出る頃には、すっかり空は夕焼け色に染まっていた。だいぶ時間を食ってしまったようだ。アバッキオと過ごす時間も残り少ないと思うと、今度は寂しさが襲った。
「行きたい所があるんだ。付き合ってくれるか?」
アバッキオからの提案に2つ返事で返すと、私はアバッキオの足向きに合わせて歩を進める。買ってもらった靴は新品にも関わらず私の足に馴染み、苦痛や不安定もなく私をサポートしてくれる。
彼の行きたい場所とは一体何処だろうと、楽しみでワクワクとしていた。
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街の中央から少し外れた所にある緩く長い坂道を進むと、辿り着いたのは一軒のバーのような場所だった。
だが、目の前にあるバーは私の知っているバーとはちょっと違っていた。……そう。本来お店にはある壁というものが一切ないのだ。お店に上がる為に一段足を伸ばせば、高台から街を一望できるのと同じ様にお店から街の景色を眺められるようになっていた。
私の乏しい表現能力のせいで上手く説明ができないが、とりあえずあまりの絶景さにポカンとしてしまった。
「ルーフトップバーって言うんだとよ」
「えっ?」
「こうやって開放的で、綺麗な景色を見ながら酒飲んだり、飯を食えるバーの事を『ルーフトップバー』って呼ぶんだと。と言っても、オレも最近知ったんだけどな……」
夜の帳が下りかけ、空は赤紫と紺色のグラデーションになっていた。次第に暗くなっていく空に合わせるように、街は明かりを灯していく。
「……綺麗」
「気に入ってもらえて何よりだ」
徐々に広がるこの街で有名な夜景を目の辺りにして、私はポツリと感嘆の声を漏らした。耳障りのない静かな音楽、眼の前に広がる絶景、頬に当たる心地よい風、非日常的な幻想空間。そして目の前に座る愛しい人。アバッキオは私に気に入ってもらえるか気がかりにしていたようだが、気に入る以外の答えなど出るわけ無いだろう。
だけどそれと同時に、たった数年しか歳が違わないのに、ここまで大人っぽいだなんてズルいなぁと思ってしまう。
「凄いなぁアバッキオ。私こんな場所知らなかったよ」
「……オレも知らなかった」
何が?って聞き返す私に、彼が少しばかり黙ると恥ずかしくなるぐらい私をじっと見つめてくる。
「どうしたの? そんなに見つめられると、ちょっと照れちゃうかも?」
「女ってのは、化粧や服装を変えるとここまで……その、綺麗になるもんだなって。いつもより大人びて、最初誰だかわからなかった」
「じゃあ、待ち合わせ場所で気が付かなかったのも?」
「あぁ、そうだ。ずいぶんなベッラがいるもんだと思ったが……名前以外の女に声掛けるつもりはなかったからな。言いそびれちまったが、今日の服装凄く似合っている。靴は……残念だったが、それでも綺麗すぎて焦ったぐらいだ」
「アバッキオも焦ることあるんだね」
当たり前だろと恥ずかしそうに答えてくれるアバッキオに、私の心中は喜びでしかなかった。最初は今日のコーディネートとかの感想はないんだなって肩を落としてはしまったが、ちゃんとアバッキオは気がついてくれていたし、珍しい一面も知る事もできた。
頬どころか顔全面を赤らめている私達の元に、注文した物が運ばれた。ライムが添えられたお酒に、美味しそうな匂いをさせる料理に私のお腹は空腹を訴えた。
「仕事続きであまり相手できなくて悪い。だけど、こんなオレでもまだ傍にいてくれ」
「……何言ってるの。『まだ』じゃなくてもこれからもでしょ?」
グラスを持つアバッキオに続いて、私もグラスを持った。これもまた珍しく弱音を吐く彼に、私は茶化すように言えば釣られるようにアバッキオも笑った。
「そうだな……これかもよろしく名前」
「こちらこそ。これからも傍にいてね」
グラスを当てる音が心地よく耳に響いた。
終
あとがき
きぃ様から頂いた『アバッキオとの甘夢』というリクエストから書かせていただきました。シチュエーション等は全てお任せという事で、色々考えた結果シンプルにデートをする話になりました。
今回この話で『ヒールが折れてしまったけど、アバッキオにお姫様抱っこされる』のと『ルーフトップバー』っていうのを入れたくて、話を組み立てました。ここで書くと長くなってしまうので、また設定の詳細的なのはネタ帳にでも載せたいと思います。
大人っぽいけれどちょっと不器用な部分があるアバッキオと、少しだけ歳下で感情豊かな夢主の組み合わせです。なるべく砂糖を多めにって思いながら書きましたが、いかがでしたでしょうか?
きぃ様リクエストありがとうございました。今回もお楽しみいただけたら光栄です。
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