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その両手は添えるだけ

 日課であるランニングを終わらせると、アジトに戻らずその足でたまに本屋に行くのがギアッチョの楽しみである。比喩や諺に納得ができなくて癇癪を起こすことはあっても、なんだかんだで本を読むのが好きだった。
 いつも特に何の本を買うとかは決めてなく、フラッと立ち寄って目に止まり気に入った本を買うのが定番だ。
 その日もギアッチョはいつものように馴染みの本屋に足を運んだ。すると最近来ていなかった為か新しい本の紹介コーナーを発見する。何気なくそれを眺めると、置かれていた本は全て日本に関係する物ばかりだった。
 ギアッチョは知らなかったが、ここ最近イタリアでは日本ブームが来ていたらしく、日本への旅行ガイドブックやら文化が紹介された本やら沢山置かれていた。
 ……日本。その単語を見た瞬間、ギアッチョの脳内は愛しい彼女の顔が思い浮かんだ。恋人である名前は、イタリア語が上手いせいで忘れがちになってしまうが、れっきとた純日本人だ。ギアッチョは頭で考える間でもなく、日本への旅行ガイドブックを手に取った。買おうと思ったならッ!という、どこかのムカつく先輩のようで癪ではあるが、ギアッチョは迷うことなくレジで会計を済ましていた。
 本だけなんて本当にかじり程度にしかならないと思うが、少しでも名前の故郷を知ることができたらいいなと、ギアッチョは雑誌を大事に抱え込んでアジトに戻った。

 シャワーを浴びてスッキリしたギアッチョは、リビングで買ってきた雑誌を眺めていた。
 日本ていう国はここと違って、建物のデザインがゴチャゴチャしてやがるが、なかなか面白いと思いながら、関心深く1ページ1ページ隅々と見ている。
 ガチャリとドアが開くと、ベイビーの育成が順調でご機嫌なメローネがリビングに入ってきた。一つ鼻歌でも奏でたいとメローネは思っていると、自分が入ってきたのにも関わらずこっちに目もくれないギアッチョを見つけた。
 珍しく黙り込んで何をしているんだ?と、静かに後ろから覗き込む。メローネの目に入ってきたのは、日本の事が書かれている雑誌だった。
 恋人の故郷を調べているなんて、こいつって結構律儀な所あるんだよなとメローネは改めて認識する。いつもなら、そんな惚気物なんて反吐が出そうで付き合ってられないが、今の自分は良好だ。一つ教えでも授けようじゃあないかと、メローネは企むようにそろそろと両手を伸ばした。
「だ〜れだ?」
「…………」
 ギアッチョの両目を隠すように手で覆い、メローネは裏声を使って本人なりに茶目っ気たっぷりに声を掛けた。……だが、そんなメローネとは反対に、ギアッチョは突然邪魔をしてきたメローネに静かな怒りを示している。
 その証拠にギアッチョは何も言わないが、メローネの両手を徐々に凍らせていた。だんだん感覚がなくなってくる両手に気がついたのか、メローネは慌ててギアッチョを止めた。
「そんなに怒るなってッ! オレは勉強熱心なギアッチョに、一つ情報を教えてやろうと思っただけなんだからさ」
「テメェーがそんな事を言ってくる時は、決まって碌な事にならねぇ。今オレは忙しんだ、邪魔するんじゃあねぇ」
 まるで猛獣のようなガンつけた顔とドスの利いた声を見ても聞いても、メローネは慣れているようにヘラヘラしている。それどころか、まだ怒りを沈めていないギアッチョの隣にどっかりと座ると、普段から持ち歩いているPCを開く。氷が溶けてかじかんだ手を温めながら操作をすると、表示された画面をギアッチョに見せた。
 乗り気もなくなかなか見ようとしないギアッチョにメローネは宥め謝り通すと、ようやくギアッチョはPCの方に嫌々ながらも目を向けた。
 まず『Kabedon』とローマ字で書かれた見慣れない単語に、ギアッチョはこめかみに筋を立てる。まだ怒りだす所ではないと、ギアッチョは平常心を保ちながら文章の方に目を進めた。そして怪訝そうな顔が徐々に険しくなっているのを、メローネはニヤニヤしながら横で眺めている。
「…………」
「どうギアッチョ? こいつを名前にやってみないか? 好感を持っている相手にされたら、それはもう効果抜群だぜ?」
 ギアッチョはメローネがメローネなりに、自分に日本の豆知識とやらを教えてくれようとしたのを理解した。そこはギアッチョも納得したし、その気遣いはそこそこ感謝した。
「だけどよぉ〜…………納得できねぇぜ。こんなのか本当にキュンとくる仕草なのかぁッ!? 全然理解もできないぜ、オレはよぉッ!」
 疑問は少しずつ膨れ上がり、ギアッチョはまた怒りが膨れ上がる。記事に書かれた文と写真を見る限り、これじゃあ恐喝にしか見えなかったからだ。それに、ネーミングセンスがイマイチな所も気に食わなかった。
「あぁ、ごめんよギアッチョ。奥手なギアッチョ君には難しい事だったようだ。そんなギアッチョには、もっとランクを下げた奴を……」
「誰ができねぇって言ったかぁッ!? ふざけた事ばっか言いやがってよぉ〜……見てろよ、完璧な壁ドンっていう奴をオレが見せてやる」
 まだ疑っているギアッチョの様子を見たメローネは、煽るようにからかうと見事に下半身を氷漬けにされた。寒さで顔を青ざめながらも、焚き付けられたように立ち上がったギアッチョをニマニマと見上げている。
「あっ、ギアッチョと……メローネ。またギアッチョを怒らせたの?」
 物凄い良いタイミングに、名前がリビングに入ってきた。何も知らぬ名前は、恋人の顔を見て顔を輝かせたが、身体半分凍らせられてもヘラヘラと笑うメローネを見て呆れた顔をする。
 突然の恋人の登場に、ギアッチョの気持ちは焦る。メローネに啖呵を切った手前で、やらないのは格好悪い。壁もある。名前も丁度やって来た。頭の中で何度もシュミレーションをしていると、名前はキッチンの方へと足を運んでいた。
「おっ、おい名前」
「んっ? どうしたのギアっ……」 
 ギアッチョは名前を壁際まで追い込み……そこまでは問題なく順調だった。だがしかし、名前の進路を塞ぐために壁についた両手は、焦りと勢いが尽きすぎたせいで叩きつけるような大きい音を鳴らした。
「ひぇっ……」
 その音に驚き、一体何事だと顔を見上げギアッチョの顔を見た名前は、彼のその形相に怯えた声を漏らした。睨みつけるように自分を見下ろす彼が、やってやったぜ!と内心は達成感に満ち溢れていることなんて、勿論名前は知らない。
 私は何かしでかしてしまったか?まさかギアッチョのアイスを勝手に食べちゃったのがバレてしまったのか?と名前の心境はとても穏やかなものではなかった。暑くもないのに変な汗が頬を伝い、とうとう名前は膝から崩れるようにズルズルとしゃがみ込む。
 ギアッチョの凄みからの恐怖と逃げ出したいという気持ちになった名前は、できた抜け道からへっぴり腰になりながらもギアッチョの傍から離れた。
「……ごめんなさい。本当に……ごめんなさい」
 謝る必要などない名前は、へっぴり腰と震えた足のままリビングから出ていってしまった。
「………………」
 残されたのは重たい沈黙だった。脳内で繰り返していたシチュエーションは完璧だったはずだった。だが怯えきった名前を見れば、己の行動は大失敗で終わったのはギアッチョも嫌というほど思い知らされる。
 目に涙を浮かべ、まるで生まれたての子鹿のような足取りで自分から逃げられた事が、ギアッチョにとってショックだった。呆然としながらも、ちらりとメローネの方に視線を向けると顔を俯かせているが、縮こまっている肩は大きく震えている。
「メローネ…………」
 明らかに笑いを堪えている姿に、ギアッチョはとうとう怒りのスイッチを入れる。地を這うような低い声で呼びかけると、ギアッチョの心境などお構いなしにメローネはとうとう大笑いを始めた。
「てめぇッ!」
「いや〜あれは完全にギアッチョのやり方が間違えていたよ。あーんな人殺す時の勢いと形相で迫ったら、どんな女だって恐怖で震え上がるもんだ」
「なッ!? オレはそんなつもりじゃあ……」
「名前はどう感じたか、見ただけで丸わかりだろ? まぁ……教えたオレもアレだから、なるべくフォローするさ」
 突きつけられた事実にギアッチョは、メローネの言葉なんて何一つ聞いていない。こんな事になるなら、慣れないことなんてするんじゃなかったと後悔ばかりしていた。

 ――あれから数日。運悪く任務続きでギアッチョは、名前と接する時間が取るに取れなかった。アジト内でタイミングよく顔を合わせられても、名前は笑顔で挨拶はしてくれるものの、ギアッチョに目を合わせようともしなかった。一言二言会話をすると、名前はまた逃げるようにギアッチョの元から走り去ってしまう。
 そんな事を何度も繰り返される度に、ギアッチョの苛立ちと焦りは掻き出される。同じ建物で暮らしているのに、どうしてこうも会えないのか。名前は自分のことを嫌ってしまったのだろうか。焦燥が胸の中で膨れ上がり、ギアッチョは感情で息苦しくなると、この距離感ではいけないと落ち込んでいた自身を奮い立たせた。
 :
 ギアッチョは連続で入っていた任務がようやく終わり、疲れた身体でアジト戻った。疲労は凄かったが、怪我をしなかっただけマシだと思った。
「あっ……」
 会いたいとずっと願っていた名前とギアッチョは目があった。久しぶりに恋人と顔を合わせた名前も最初は目を輝かせていたが、ギアッチョが自分に対してまだ怒っているのではという恐怖心から思わず目を背けてしまった。
 名前だって本当は、ギアッチョと会えなかった時間はとても寂しかったし、いつまでも逃げてないでキチンと謝罪をしなくてはと思っても、あの時自分を見た目が忘れられなかった。
 "おかえり"と言いたいはずなのに、名前は条件反射のように足を動かしていた。
「まっ、待ってくれッ……!」
 ギアッチョの手が名前の手首を掴んで制止すると、自然的に名前はすぐ傍にあった壁に追い詰められていた。そして顔の横には進路を防ぐように手が置かれ、身体の距離がぐっと近くなった。
 名前が我に返れば、どこか泣きそうな顔をして自分を見下ろすギアッチョと目が合った。前と同じような状況でも、今は全く恐怖感はなかった。むしろもうちょっと顔が近づけば、簡単にキスできそうで名前の心臓はバクバクと脈打っていた。
「ギアッチョ……」
「頼む、逃げないでくれ」
 ギアッチョの絞り出すような声に、名前は小さく頷いた。今度こそ自分から逃げないでくれる事にギアッチョは安堵し、ギアッチョが怒っていない事に名前は逆に心配した。
「……怒っていないの?」
 名前が勇気を振り絞って尋ねると、ギアッチョは一体何のことだと目を瞬かせる。そして"オレは何も怒っていないぜ"という言葉に、今度は名前が状況が飲み込めなさそうな顔をした。
「オレは……あの時、怖がらせたのを謝りたくて……」
「私はてっきりギアッチョのアイスを食べたことで、かなり怒らせたのかと思って……」
 両者がそれぞれ勘違いしていた意見に、二人は暫し言葉を出すことは出来なかった。だが、互いの間抜けた顔を見合わせているうちに、段々とおかしくなって同時に吹き出した。
「なんだっ! 私の勘違いだったんだね。ずっとビクビクして損したなぁ」
「……ってか、オレのアイス食べたのお前だったのかよッ! まぁ、いい。許す」
「ギアッチョ〜!」
 口喧嘩にもならない戯れをするように、ギアッチョに笑いながら許してもらった名前は、嬉しそうに目の前のギアッチョに抱きついた。まさに今までの距離感を埋めるかのように、二人は完全に自分たちの世界に入っていた。
「………………」
 ギアッチョはともかく、名前は完全に忘れていただろう。その場には、自分たち二人だけでなくメローネが居たことを。
 メローネにとってはギアッチョが戻ってきたかと思いきや、急に安っぽいドラマのような事をやり始めて、部屋を出るにも出れない状況に心底ウンザリしていた。
 恋人同士のイチャつきを見るのは、全くの趣味ではないどころか寒気がするぐらいである。だが、ギアッチョが綺麗な壁ドンをできた事と無事二人が仲直りできた事を考えると、メローネは二人が部屋から出ていってくれるまで、目を閉じて静かに空気になる事に徹底したのであった。

 終


あとがき

 熟ネコ様の『メローネから日本では、壁ドンというものが流行っていると教えてもらったギアッチョが、日本人夢主に壁ドンをする話』というリクエストから書かせていただきました。
 私の勝手な思い込みで、ギアッチョは少し不器用な所あるから、壁ドンするにも一度は失敗してしまいそうだという所から話ができました。最終的には、ギアッチョ本人とされた夢主は無自覚ですがお手本のような壁ドンをやって仲直りエンドって感じです。
 またネタの方で設定的なの書きます。
 熟ネコ様リクエストありがとうございました。今回もお楽しみいただけたら光栄です。
 



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