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六番区の料亭『花くれなゐ』。私はこの店で、本日何度目かのため息を吐く。隊長職である身としては、丸一日の非番となると取る事すら難しく、本日はそんな貴重な一日を潰して私はこの店に足を運んだ。私は広い個室の下座に座り、部屋の襖が開く瞬間を憂鬱な気持ちで待っていた。

この歳になると、見合い話は毎日のように持ち込まれる。妻である緋真を亡くし、その五年後に養子として迎えた義妹のルキアも嫁に行き、朽木家の者たちの無言の圧力をより強く感じるようになってから早五年。次はお前の番だ、と言わんばかりに舞い込んでくる見合い話は九割方跳ね除けてはいるが、稀にどうしても断ることのできない案件も存在する。ぞんざいに扱えば朽木家に不利に働く相手の場合は嫌々その縁談を受けることもあるが、どの道断りを入れる相手である。勿論、こじれることもある。

今日の私の縁談の相手は、下流貴族の桜倉家の娘、桜倉唄だった。桜倉家は然程朽木家と繋がりの強い家ではない為、そのような意味で言えば断ることも可能だった。それでも私がこの者との縁談を受けたことには、勿論理由がある。

廊下から、足音が聞こえる。普段のそれと変わりない彼女の足音に、私の背筋がぴんと張り詰めるのを感じる。私らしくもない。彼女とこうして顔を突き合わせることに、少し緊張している自分が情けない。緊張度合いで言えば、恐らく彼女の方が数倍上だろう。

「桜倉唄と申します。本日は、宜しくお願い致します。」

襖が開く。入口で首を垂れるその女性は、桜倉家の次女、桜倉唄。私が率いる六番隊の七席に十年間身を置く女性である。

彼女は、六番隊の風潮を体現したような厳格な女性だ。己に厳しく、他者にも厳しい。彼女が笑っているところを目撃した者はおらず、皆に晒している顔の無表情の割合は恐らく私と良い勝負である。書類を捌く速度で言えば右に出る者はおらず、斬鬼走拳の才に長け、己の腕一本で大男を捻じ伏せる。男性死神から妙な絡まれ方をしていた彼女が、霊圧の上昇だけで相手を威嚇して土下座させている現場を目撃したこともある。そんな彼女は男性の比率の高い我が隊でも、遜色なく実動任務をこなしている。愛想の無さはともかく、私は常に理性的で優秀な彼女を一人の部下として重宝しており、死神としてはとても良い印象を抱いていた。因みに恋次からは「隊長を女にしたらあんな感じですね」と言われた。私は、皆からあのように見られているのか。改めて己を客観視し、不愛想な男だと感じた。

しかし私は彼女とのこの縁談が、憂鬱で仕方がなかった。彼女の家での面目を保つため、同じ隊の者としても断りづらく引き受けてしまった話ではあったが、自分と同じ程か、それ以上に無口な彼女と数時間も何を話せば良いのか、全くわからなかった。普段であれば仕事の話や趣味の話で場を繋ぐが、彼女とは同じ職場のため改めて訊くような仕事の話はなく、上官である私が彼女の私的な話を訊くことも気が引けた。恐らく彼女は、同じ職場の者に自身の身の上話をすることは好まないタイプだろう。

だからこそ私は、今目の前で頭を上げて私を見ている女性の姿を見て、度肝を抜かれた。まるで仕事を熟すためだけに生まれてきたような機械のような女性が、私を見てにこりと笑ったのだ。あまりの衝撃に私は、彼女の挨拶に言葉を返すことができなかった。

任務中は常にきっちり結わわれている胸下まで伸びた黒髪が、今は全て解かれている。肩からはらりと落ちる束が、大層女性的だ。全ての者を遠ざけんとする鋭く冷たい眼を柔らかく緩め、頬を春めいた淡い桃色で染め、常に真一文字の唇にはうっすらと紅が塗られ、僅かに弧を描いている。

「朽木隊長……あ、今は、朽木様、とお呼びした方が宜しいでしょうか?」

「だ……」

「……だ?」

「誰だ……?」

仮にも縁談相手に、とても失礼なことを口走ってしまった。私はしまった、と慌てて取り繕おうと咳払いをする。彼女はそんな私を見て、手を口元に当てて楽し気に笑みを零した。その彼女の姿を見た私はまた重ねて、本当に誰だ?と言いたくなった。


* * *


彼女を一先ず上座に案内し、私たちは向かい合う。桜倉は高そうなお店ですね、と言って、出された茶に口を付ける。熱っ、と言って目をきつく閉じて火傷したと思しき舌を僅かに出す。そんな彼女を見て、私はまた目を丸くする。彼女は、猫舌であったか。私が初めて知った、業務とは無関係の彼女に関する超個人的な情報である。私の目は、始終忙しない動きを見せる彼女に釘付けとなっていた。このたったの五分間で、彼女は見たこともないような表情を沢山見せてくれた。店の内装に目を輝かせ、茶の熱さに若干目を吊り上げ、舌を火傷したことを嘆いた。私の熱い視線に気づいた桜倉は湯呑を置き、その手を膝の上に乗せ、ぴんと背筋を張って私を見た。

「朽木様は、私の顔をお忘れですか?私は貴方の部下、六番隊七席の、桜倉唄です。」

「あ、ああ……それは、理解している。理解は、しているのだが……。」

だからこそ、今目の前に座る女性と、任務中の彼女の姿が結びつかない。私の知る桜倉はこのような顔で笑わないし、無口で、動きも落ち着いている。彼女が私の知る桜倉である可能性よりも、実は良く似た顔の姉妹が替え玉で来ている、という可能性の方が濃厚である。そう思ってしまう程だった。

私の動揺が収まらないところを見た彼女は、呆れたとでも言いたげな表情でふぅとため息を吐いた。

「今日は私、桜倉家の娘としてこの場にいます。六番隊七席としての桜倉唄のことは、一旦忘れていただければと思います。」

「……これが普段の、兄の姿ということか。」

「はい。任務中とプライベートでは、全く心持も違いますから。朽木様は、普段と全然お変わりないのですね。少しびっくりです。」

まるで自分の変わりようが基準とでも言いたげである。どうやら任務中の彼女の姿は始業から定時に限った仮初の姿で、こちらの表情をころころと変える姿が本当の彼女の姿だったらしい。

私が目の前の現実を受け止めきれない内に、食事が運ばれてきた。彼女は店主の料理説明に一々目を輝かせ、椎茸のお吸い物の香りに顔を綻ばせ、店主が立ち去った後は私の顔を見て「素敵なお店をありがとうございます」と言って微笑んだ。部下であるはずの彼女の一挙一動に翻弄されている気分で、どうも釈然としない。

私は今日、彼女と深い会話をするつもりは全くなかった。桜倉がどのような想いでこの縁談に臨んだかはわからないが、恐らく家の為のためである。上官である私と、私的な会話などしたくはないだろう。私がこの縁談を受けたのも、頭ごなしに拒絶して気まずい思いで彼女と接することを避けるためである。彼女とは今後も、六番隊の上官と部下として円滑な関係を築いていきたいと、そう思っている。そして彼女もきっと、私と同じことを考えているはずだ。ここは穏便に、平和的に、断りを入れよう。

そう構えていたはずだというのに、桜倉はご丁寧にも自分の趣味の話を始めた。彼女の趣味は、現世の洋菓子を作ること。最近はマカロン、なるものを作り、失敗作を含め食べ過ぎて体重がりんご三個分程増えたらしい。特技は泳ぐこと。霊王護神大戦により公共の水泳施設が軒並み破壊されてしまったせいでここ数年は泳ぐことが出来ず、先日耐えきれず屋敷の風呂場で泳ぎ、熱中し過ぎてのぼせて倒れたらしい。これらの話は全て縁談でするような話ではないだろう、と思うが、これまで受けたどの縁談よりも、私は彼女との会話を楽しいと感じていた。

彼女は自分の話をしながらも、私にも話を振った。私は同じく趣味の話や特技の話、好む食べ物の話をした。何故か私がリードされているように感じて、非常に情けない気持ちになった。

「私今日は、朽木様にフラれに来たんです。」

時間はあっという間に過ぎ去った。広い机の上に置かれた皿は食後の甘味のみとなり、閉ざされた雪見障子の向こう側が僅かに色を落とす頃。桜倉は出された甘味に手を付けず、本日一番の真面目な表情で外を見遣る。私は彼女の言わんとしていることが理解できず、言葉を返さずに彼女を見た。

「朽木様、私との縁談を断るつもりでしょう?」

「……それは、桜倉も同じであろう。」

桜倉がこうして私と会話をするのも、桜倉家の名に泥を塗らないためだろう。きっと、貴族としての義務感が彼女をそうさせている。そう、思っていたはずなのだが。彼女は少し、寂しそうな顔で私を見た。

「私、貴方のことをお慕いしております。もう、十年も前から。だから、両親にお願いしてこの場を設けていただいたのです。」

少しも臆することなく告げられた目の前の女性の秘められた想いに、私は言葉を失った。私が勝手に同じ気持ちだと思い込んで断ることを前提に受けた話だったが、桜倉としてはそうではなかったようだ。彼女にとって今日というこの日は、一世一代の勝負の日だったのだろう。普段私に見せないありのままの姿で、勝負に踏み切ったのだろう。きっと彼女は今日この日を迎えるまでに、第一印象を左右するであろう着物から誰に気付いて貰えるかもわからないような爪に乗せる色まで、寝る間も惜しんで頭を悩ませていたに違いない。そして今日この場所に来るまでの間、恐らく私がため息を吐くのと同じ回数分、緊張による己の胸の締め付けと戦っていたのだろう。私は、酷く申し訳ない気持ちになった。

私にとっては初めから受ける気のない縁談であることは、彼女に見透かされていたということだ。それでも彼女は、私を楽しませようと話を振ってくれた。私の目を真っ直ぐに見つめる桜倉に、私は少し決まりが悪くなって目を逸らす。

「……済まない、私は……」

私は、彼女の想いに応えることはできない。それもその筈、彼女を一人の女性として見たことが、今の今までなかったのだから。私は桜倉のことを、恋愛感情とは最も遠い場所にいる女性だと思っていた。恋愛感情を持たない、機械のような女だと思っていたから。だからこそ今日の彼女の姿を見ていて惹かれるものがなかったかと問われれば、まあ、少しは、あるのだが。しかし、そのような適当な気持ちで首を縦に振ることが出来るものか。彼女は我が隊の七席である。気軽に関係を結んで良いような者ではない。

しかし私の謝罪を受けても、彼女が声色を変えることはなかった。それがわかっていた答えだとでも言うように、会話を続ける。

「わかっています。今日の縁談で、朽木様に気に入っていただけるだなんて、そんな大それたことは思っておりません。」

「……兄のことは、優秀な部下として、大切に思っている。」

「はい、それで十分です。私、六番隊の七席ですもの。こうして今日振られてしまっても、今後も朽木様の近くに……いえ、朽木隊長の近くに、身を置くことが出来ます。」

桜倉の言葉が、少しだけ楽し気に弾む。私がふっと彼女の方に視線を戻すと、彼女の目は私をしっかりと捉えていて。もう逃がさない、とでも言いたげな表情だ。

「今日一日で、朽木隊長を意識させることはできたでしょう?ひとまず今日は、それで充分です。」

そう言って彼女が見せた悪戯な表情に、不覚にも胸を疼かせてしまった。私はその日の夜、明日どのような顔で桜倉と顔を合わせれば良いのかをずっと考えていた。


* * *


次の日。私が一日の非番を挟んで出勤すると、隊舎内が僅かにざわついているのがわかった。私はそれに気を留めることもせず、執務室を抜け、隊主室へ向かおうとした。私に気付いた何人かの隊士が、ピンと背筋を張ってこちらを振り向く。それに釣られるようにして、執務室内の隊士達がこちらを向いて挨拶をした。その中に、一際私の目を引いてやまない女性がいた。桜倉である。私は彼女の姿を見て、言葉を失う。

「あ、隊長、おはようございます。」

「ああ……」

私の背後から姿を現したのは恋次は、私にいつも通りの挨拶をする。しかし彼の視線は直ぐに私から外され、桜倉の方へ向いた。

「おー桜倉、髪切ったんだな。似合ってんぞ。」

恋次はこの六番隊で唯一、桜倉に対して仕事以外の会話を紡ぐことのできる存在だ。恐らくこの執務室のざわめきの原因は、彼女の断髪にあったのだろう。恋次の突っ込んだ声掛けにより、隊士たちの目線が一斉に桜倉に注がれる。

桜倉は胸下まで伸びた長い髪をばっさりと切っていた。長さで言えば、ルキアと同じ程の短髪である。昨日の夕刻、私が彼女と別れる前までは長髪だったはずだ。私との縁談の後、髪を切ったのだろうか。この十年で髪の長い彼女の姿しか見ていなかったため、今日のこの姿は眩しいと感じてしまう程に新鮮に見えた。

恋次の言葉に、桜倉は暫く思案するような表情を見せる。数秒の後、彼女はいつも通りの無表情で、はっきりと言った。

「はい。実は昨日、失恋してしまいまして。」

「は、はあ!?」

彼女の一言に、執務室がざわつく。私的なことは一切話さない筈の彼女の口から飛び出した「失恋」の二文字に、隊士たちは動揺した。失恋?今失恋って言った?とどよめいているのが聞こえてくる。……一昨日までの私であれば、私も聞き間違いかと思うだろう。しかし私は、彼女が髪を切るに至った経緯を知る唯一の男である。

「その……なんか、スマン。」

「大丈夫ですよ、気にしていません。それに私、諦めるつもりはありません。ここがスタート地点ですもの。」

恋次の謝罪を受けた彼女は、私に対して静かに宣戦布告した。彼女のその言葉を受けて、周りの隊士たちは小声で何かを言い合っている。相手の男の正体を推理しているのだろう。私は居心地が悪くなり、その人混みの中に分け入った。

「……始業時間だ。席に着け。」

私の一声で、桜倉を遠巻きに囲む男たちは弾かれるようにして席に着き、各々の作業の準備を始めた。私はこめかみを押さえ、その場に立ったままの彼女にちらっと目を向ける。丁度私の方を見ていたと思しき彼女の目が悪戯に細められ、口角が僅かに上がった。私は心臓が締め付けられる感覚に、慌てて彼女から目を逸らす。そこにいたのは、昨日から私の心を翻弄してやまない女性だった。

「朽木隊長。」

桜倉は短くなって跳ねた毛先を指先で弄り、私にしか聞こえない程の小さな声で言った。

「私の髪が胸下まで伸びたら、改めて貴方に大切なお話があります。」



私が桜倉を意識してからは、早かった。彼女の髪が伸びる速度の遅いこと、遅いこと。あれ以降女性らしさと話しやすさが格段に増してしまった桜倉を放っておかない男も少なくなく、私は年中肝を冷やす羽目になった。結局桜倉の髪が胸下まで伸び切るのを待たずして、私の方から彼女に大切な話を持ち掛けることとなってしまった。



(公開)20200830