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目を覚ますと、私は何か固いものに頬を押し付けていた。首が変な方向にひん曲がっている。口元から垂れ下がっている涎を拭おうとするが、手が動かなかった。どうやら横に寝かされている訳ではなく、何かに凭れ掛かっているようだ。なんだろうこれ、良い匂いがする。私ははっとして顔を上げると、目の前に幼馴染の顔があった。

「……ええ……何ですかこれは。」

「唄、起きたか。」

白哉は私の目覚めの一発のドン引きを物ともせず、私の肩越しに何かを見ている。多分私の後ろ……というか白哉の目の前には机があって、彼はその机の上で何かしらをしているのだろう。手の動きからして、多分何かを書いている。私は振りかえってそれを確認しようとしたが、体が動かなかった。

状況を整理しよう。私は今白哉の部屋にいて、彼の腕の中にいる。腕の中……と言っても、彼が胡坐をかいて座っていて、私はそれに跨るようにして向かい合って座り、彼の逞しい胸板に顔を預けて涎をべっとりと垂らしながら眠り呆けていた。涎を拭おうとして引き寄せようとした自分の手は彼の背中に回された状態から動かなくて、どうやら白哉の背中の後ろで縛られているということがわかった。感覚からして、これは紐とかではなくて縛道によるもの。私の力で無理矢理解こうとして解けるものではないだろう。対面座位で拘束プレイとか、どういう生き方をしてきたらこんなマニアックな思考になるのだろう。当主がこれとか、朽木家の今後が心配だ。

「色々と訊きたいことがあるんだけど。」

「何だ。」

「なんで私は、白哉に抱き着いた状態で縛られているの?」

「こうでもしないと、お前は逃げるだろう。」

「なんで、私は寝ていたの?」

「お前が私から逃げて足を滑らせて転んで気絶したから、であろう。覚えていないのか。」

「じゃあなんで、私は白哉から逃げてたの?」

目の前の白哉は面倒臭そうなため息を吐き、恨めし気な表情で私を見た。

「……私の求婚に対する返事を先延ばしにした挙句、逃げ出したであろう。本当に覚えていないのか。医者を呼ぶか。」

「……ああ、思い出した!」

思い出した、思い出してきた。転んで頭打った拍子に忘れていたことが、脳内に流れ込んでくる。

私と白哉は、幼馴染だ。よく男女の友情は成立しないと言うけれど、私は成立すると思っていた。だって、私と白哉が正にそれだから。……と、一週間前までは思っていた。

私たちは昔から一緒に稽古をしたり字を書いたり、夜一さん含めた三人で鬼ごっこをしたり、本当に仲が良かった。夜一さんにからかわれて地団太を踏む彼を宥めるのも、大体私の役目だった。彼が流魂街の女性と恋に落ちたと知った時も、私は数少ない彼の味方だった。彼が結婚してからは少し距離を置くようになったが、それでも白哉と緋真と私の三人で食事をする程には仲良しだった。白哉が緋真に先立たれた後、私は彼を立ち上がらせるために奮闘した。その場で立ち止まろうとする彼の尻に蹴りを入れ、しっかりしなさいと喝を入れた。この六十年間で、私が彼の尻を蹴った回数は数えきれない程だ。恐らく、五百回は超えるだろう。私よりも少しだけ年上なはずの彼の尻を蹴り続けたお陰で、私の中には彼に対する庇護欲のようなものが芽生えていた。気分はまるで、母親か姉だった。そして時は過ぎ、彼が妻に先立たれてから約六十年。緋真の妹のルキアも彼の元を離れ、私は白哉のやってのけた偉業を見届けて、とても誇らしい気持ちになった。

その頃になると、当主である白哉自身にも結婚を望む声が多い中、桜倉家の次女である私にも縁談の話が持ち込まれることが多くなってきていた。独身故、自由気ままに書道に専念できるのが楽しすぎて数々の見合いを断ってきたが、私もそろそろ身を固めるべきか。そう思い始めたのは、自分より遥かに年下だと思っていたルキアが嫁に行ったことがきっかけだった。私はもしかしたら、ぼやぼやしているうちに結婚適齢期を逃してしまったのではなかろうか。そんなこんなで、私は適当に顔が良くてご身分も良い殿方との縁談を受けることになった。この貴族社会において持ち込まれた縁談を受けるということは、向こうからの内定はほぼ確実ということである。婚活開始、である。

今から一週間前。私はふらりと白哉の元を訪れた。理由はほんの些細なことだった。護廷十三隊の死神として現世に行っていた桜倉家の使用人が持ち帰った現世のお茶がとても美味しくて、白哉にお裾分けをしようと思い、私は彼の部屋に訪れた。玉露と言われたそのお茶を、彼の部屋に面する庭を眺めながらのんびりと啜っていた。

「そう言えば私、来週お見合いするんだ。」

私が彼にそんな報告をしたのも、友人とする恋バナの一つ、といった感覚だった。縁談イコール結婚ではないし、嫌なら断るし、良かったらお付き合いをしてみようと思っていた。私のそんな一言に、白哉は大層酷く動揺した。手に持っていた湯呑を落とし、半分ほど残っていたお茶が彼の着物を汚した。私は慌てて手元にあった手拭きでそれを拭おうとしたが、その手は白哉に乱暴に掴まれた。

「何故だ。」

「え……」

「お前は結婚を望まぬ女性だと思っていたが。」

「いや、そろそろ頃合いかなって……」

「そうであれば、私にしろ。」

「は?」

「好きだ。」

「え?」

「私と結婚しろ。」

私は白哉にプロポーズされた。プロポーズというか、命令形だった。強制イベントだった。私は保護者の目線で尻を蹴り続けていた幼馴染の突然の豹変に驚き、瞬歩でその場から逃亡した。血の繋がった弟に突然押し倒されたような気分だった。その日は道端の植え込みの中に飛び込んで彼を撒くことに成功したが、次の日から毎日、彼は私の家を訪れた。私はその度に客間の押し入れや浴槽の中や畳の下の収納スペースに逃げ込んで彼を避け続けた。

あろうことか縁談を翌日に控えた今日の昼、私は彼を撒くことに失敗した。丁度緑色の着物を着ていた私は、カメレオンの如く庭の木と同化して彼をやり過ごそうとしていたが、見事に見つかってしまった。私は数十年ぶりに白哉と瞬歩で鬼ごっこをする羽目になってしまった。これでも私は一応、自称瞬神唄である。しかしあくまでも自称なため、白哉には直ぐに追い付かれてしまった。彼の手が私の背中を捕まえようとした瞬間、私は屋根から足を滑らせて十メートルほど落下して気絶した。

それを白哉に助けられ、今に至るのだろう。確かにこうでもしないと私は逃げるかもしれないが、こんな白哉しか得をしないような体勢を思いつけるのは悪い意味で凄いなと思う。嫁入り前の女性に対面座位を仕掛けた張本人である白哉は自分の作業が終わったらしく、筆を置いて私を見る。良くこの体勢で作業ができたな、と思う。

「白哉、とりあえず、さ。」

「なんだ。」

「腕の縛道、解いてくれない?」

「断る。」

「なんでさ!」

「私の顔を見ただけで逃げるお前を、漸く捕まえたのだ。みすみす逃がすと思うか。」

白哉が真剣な眼差しで私の目を見る。私は負けじと見つめ返す。彼の顔を久しぶりに間近で見て、やっぱりありえんほど顔が良いな、と感じる。それでもやはり、仲の良い幼馴染期間が長すぎたせいだろう。彼とお付き合いしている自分の姿を、いまいち想像できなかった。彼は私のことを好きだと言ったが、一人の女性として、手を繋ぎたいとか、キスがしたいとか、その……抱きたい、とか、思うのだろうか。私は急に、目の前の男が恐ろしくなった。

「そもそも、さ。」

私はふっと、彼から目を逸らす。自分から目を逸らすのは癪だったが、これ以上彼の目を見続けることに耐えられなかった。私は痺れる足を崩したくて仕方がなかったが、この密着した状態で下半身を動かすことは、彼にとっても私にとっても、良くないことが起こりそうだったので我慢した。

「私のことが好きなら、さっさと言えば良かったじゃん。」

「それは、お前がまだ結婚を望んでいないと思っていたからだ。」

まあ、確かにそれは言えている。私は結婚したら自由じゃなくなるからまだまだ独り身でいたいと、度々白哉に愚痴を零していた。世間から世継ぎを求められる白哉ぐらいの立場になってくると、女性と付き合うということイコール結婚を見据えたお付き合いである。結婚願望のない私に告白など、できる訳がない。

「望んでいると知っていれば、真っ先に私が縁談を申し込んだ。何故私に報告をしなかった。」

「ええ……だって私、白哉が私のこと好きだなんて、知らなかったし……なんかごめん。」

彼としては、私に結婚願望が芽生えるまで待つつもりでいたのだろう。でも、そんなの言ってくれないとわからないし。私は自分に非があるとは一ミリも思えなかったが、とりあえず謝っておいた。この状況、私が圧倒的不利である。彼の逆鱗に触れてしまえば、私は彼に食われてバッドエンドである。私はこの状況から抜け出す方法を考えながら、慎重に言葉を選び、白哉に問いかける。

「で、白哉は私にこんなことまでしておいて、何をお望みなの?」

「一先ず、明日の縁談には断りを入れろ。」

「ええ、そんな勝手なことできないよ!ドタキャンじゃん!」

「……その男と、結婚するのか。」

「いやいや別に結婚決まった訳じゃないから、お試しだから!それに明日の縁談断ったところで、私が白哉のこと好きになる訳じゃないから!」

言ってしまってから、はっとして口を噤む。目の前の白哉が、凄く悲しそうな顔をした。ちょっと酷い振り方をしてしまったか。

そもそも私は、恋愛結婚をするつもりはあまりない。それよりも、自分のやりたいこと……私の場合は書道の道を究めることだが、その点に理解があって、両家の間で良好な関係を築いていけそうな相手であれば、選り好みをする気はなかった。そりゃ、生理的に無理な人は子供を作る際の弊害になってしまうので、ある程度男性として見ることのできる人であれば良いとは思っているけれども。

そう言った点では白哉と結婚をしても問題はないのだが、如何せん、私が彼を男性として見ることができるのかという一点に限っては不安だった。私にとっての彼は、年上のくせに弟のような幼馴染、だった。この認識を改めることができるかどうかは、時間をかけて考えるしかないだろう。

言葉を返してこない白哉を宥めるように、私は慌てて言葉を続ける。何故、私がここまで彼のご機嫌取りをしないといけないのだろうか。これだから、私に弟って思われるんだぞ。

「わかった、わかったよ白哉。私白哉のことちゃんと考えるから。でも、流石に明日の縁談は行くよ。ドタキャンは良くないから。ね?」

「許さぬ。万が一唄がその男を気に入ったらどう責任を取るつもりだ。」

「ええ……」

この男、思っていたよりも面倒臭いかもしれない。私はどうしたものかと頭を悩ませる。私なりに折衷案を提示したつもりだったが、彼のお気には召さなかったらしい。当主として、隊長として、表向きは冷静沈着で大人びて見えるくせに、こういうところが変に子供なんだよな、と思う。

「お前の縁談相手を調べさせてもらったが、条件は全て朽木家の方が良いはずだ。朽木家の当主から内定が出ている状況で、他の家の者と縁談をする利点がわからぬ。」

「引く程凄い自信だ……。」

「私であれば、お前の目指したい夢のための手助けができる。私とて、師範の身だ。」

「あー、書道の?確かにそれはとても魅力的だけれども。」

「朽木家と桜倉家は懇意の仲だ。家同士の付き合いにも、問題はなかろう。」

「うーん、確かに魅力的な条件ですねえ。」

「私は何かと忙しい身だが……寂しい思いをさせぬ様、出来る限り時間を作ろう。毎晩可愛がってやる。」

「内定辞退!内定辞退だ!」

白哉が何かとんでもないことを言い出してぐいっと私に顔を近付けてきたので、私は慌てて背中を仰け反らせた。冗談じゃない、私が彼の申し出を受け入れられないのは、正にその一件である。この私が、白哉に抱かれるというのか。ちょっと、想像できない。というか、この状況で想像したら変な気分になりそうだから絶対にしたくない。ていうかこの男、今私にキスしようとしなかったか?とんでもない男だ。私が後ろに避けていなかったら、私のファーストキスは白哉に奪われていただろう。彼は、本気だ。本気で私を落としにきている。私は白哉の真一文字に結ばれた唇を見る。ケチのつけようがないぐらい、見とれる程に美しい形の唇。その色は女性のそれよりも白く、男の人の唇だった。心臓が爆発しそうにうるさい。なんだこれ、バグか?

「私を、男性として見れないと申すか。」

「え、ええ……まあ、白哉は幼馴染であり弟と言いますか……」

「……弟?兄ではなく、弟?」

「だって白哉、子供じゃん。」

「どこが、だ。」

「そういうところが、だよ!」

子供であることを指摘されて、イラっときたらしい。私の腰を抱いて再び体を前に倒してくる白哉の猛攻を躱すように、私は更に体を反らす。人の体ってこんなに曲がるんだ、ってぐらい反らす。やがてごつん、と後頭部に何かが当たり、それが机であることがわかった。しまった、逃げ場がない。私が慌てて顔を横に向けると、先ほどまで白哉が書いていたと思しき書類が目に入る。私の目には真っ先に「貴族婚姻届」という文字が飛び込んできた。貴族同士が結婚する際、貴族会議に提出する書類である。私の顔が真っ青になる。この男、ガチガチの本気だ。もしやこの男、私が寝てる間に指でこっそり指印とか押させる気だったんじゃ。

「ひええええ怖!本気度怖!」

「男として見ることが出来ないのであれば……」

「白哉一回頭冷やそう、ね?」

「口付けても良いか。」

「は!?なんで!?バリバリに良くないでしょ!?」

「私を、意識してくれ。」

何の脈絡もなくキスをせがむ目の前の男は、真剣な表情をしていた。白哉の目が、優し気に細められる。あ、だめだ、これ、本当にキスされる。私は何か免れる方法がないかと思考を巡らせる。何か隙はないか。逃げられる状況になれば。瞬歩でイチかバチか彼を撒けるかもしれない。それには、両手の縛道を解かせる必要がある。……そうだ、いいこと思いついた。

「ね、ね、白哉……」

「なんだ。」

「あの、手……」

「手?」

「こんな無理矢理みたいなの、やだよ。私、ちゃんと白哉に触れたい。」

うるるんと目を潤ませてそう言えば、白哉の動きが止まった。ふ、チョロいな。純粋な男心を弄んだことに若干の罪悪感はあるものの、自業自得である。純粋な女心を弄んだ罪は重い。

白哉は少し思案した後、私の縛道を解いた。両手が自由になり、私は白哉の背中から手を離した。その手で白哉の頬に触れる……フリをして、思い切り彼の肩を押し退けて彼の膝の上から転がり落ちた。そのまま勢い良くローリングした私は、白哉の後方に転がって動きを止めた。よし、この距離なら行ける。私は勢いよく立ち上がり、逃げ……ようとした、のだが。

「うあっ……あ、足、が……」

立ち上がろうとして力を入れた足に、感覚がなかった。しまった、足が動かない。ずっと同じ体勢で足に体重を掛けていたのだ、そりゃ、こうもなるだろう。私は畳に放り出された足を必死に摩る。足の痺れが強くなり、私は必死でそれに耐える。やばい。やばいことが多すぎる。だって私が転がり着いた場所が、偶然にも白哉の布団の上だった。こんな偶然ってあるのか。もしやこれも白哉の策略なのでは。私は自分の元に近寄る男の気配を感じ、足を庇いながら必死に匍匐前進を始める。私の抵抗も虚しく、白哉の手が私の足を掴む。

「やめてやめてやめて今そこ触らないで痺れてるからうわあああやめて、ひゃっ!?」

「ふっ……私を出し抜くとは、良い度胸ではないか。」

白哉は私の反応を楽しむように、私の痺れた足をつんつんと指で突く。私は布団に顔を押し付け、声を押し殺して痺れに耐えた。くそっ、やることが一々せこい男だ。許さん。私の必死の懇願が届いたのか、白哉は私の足を苛めるのをやめた。助かった。よし、今のうちに。腕だけで持ち上げた自分の体は、何かにぶつかって止まった。恐る恐る背後を確認しようとしたら、完全に欲情した表情の白哉が私に覆い被さっていたところだった。……布団の上で喘ぐ姿に興奮したってか、悪趣味な奴め。

「……抱いても良いか。」

「バリバリに良くない!!」

私は全身全霊で白哉を押し退け、痺れの残った足を無理矢理立たせ、部屋の外に飛び出した。その日の鬼ごっこは、白哉が追いかけてこなかったことで私の勝利で終わった。だけど私はもう、あと一週間は誰と会っても白哉のことしか考えられないだろう。試合に勝って勝負に負けた感じだ。なんか癪だけど、とりあえず明日の縁談は断ろうと思った。



(執筆)20210103
(公開)20200107