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唄が泣いていた。隊舎の隅にうずくまるようにして泣いている彼女の姿を見つけたのは、もうすでに日も暮れた頃だった。小さな肩を震わせ、自分を押し込めるようにして泣いていた。彼女の手に握り込められた、くしゃくしゃになった小さくて可愛らしい紙袋を見た私は、その一瞬で彼女の涙の理由を悟った。

先日ルキアから受けた報告は、私にとってとても衝撃的なものであった。唄がバレンタインデーに向けてチョコレートを作っている、と。相手は誰なのかと問えば、どうやら彼女に好きな男性ができたということらしい。一緒にチョコレートを作るから、朽木邸の広い厨房を使っても良いか、と。
私はその報告に対し、特に感想を残すことはなかった。唄に好きな男ができた。その事実は、案外すんなりと自分の中に入ってきた。彼女は私の幼馴染だ。同じ志を持つ者同士切磋琢磨し合い、同じ時を共に積み重ね、私にとって最も心を許せる存在となっていた。唄は容姿端麗で、その強さも申し分ない。彼女ならば、きっとその恋を成就させることができる。私は、彼女の恋がうまくいって欲しいと、そう願った。その恋が実って彼女が笑顔になるのならば、彼女が喜ぶのなら、この上なく嬉しいと。そう思った。

その報告を受けた私は今日、唄の動向をこっそりと見守っていた。あわよくば、彼女がチョコレートを渡す相手を特定しようと思った。彼女は出来た女だ。間違っても変な男に恋をすることなどないだろう。自分を幸せにしてくれるような、出来た男を選ぶに違いない。私の目は、自然と唄を追っていた。三席ということもあり忙しそうにしている彼女だったが、時折自分の足元に置いてある桃色の紙袋に目を向けては溜息をついていた。あの紙袋の中に、チョコレートが入っているのだろう。私は自隊の仕事に追われつつも、その行く末を気にしていた。

日も沈みかけ、本日の仕事はあらかた終えることができた。今日はバレンタインデーということもあり、女性隊士が数多く私の元を訪れた。無駄な期待をさせてしまうのは申し訳ないという理由で受け取ることを断り続けていたせいか、私の元には松本乱菊が無理矢理置いて行ったチョコレートしか残らなかった。おそらくホワイトデーの見返りを求めているのだろう。
そう言えば、唄は。先ほどから唄の姿が見当たらない。私は書類を届ける足で、彼女を探すことにした。隊舎を抜け、ふと視界の隅に目をやる。そこで、泣いている彼女を見つけた。

「唄。」

私の声に、彼女の肩がピクリと反応した。振り返るより先に、自分の死覇装の袖でゴシゴシと自分の目を擦る。私に泣いているところを見られたくないのだろう。私は彼女が振り向くのをじっと待った。

「……白哉、私、渡せなかった……」

「……そうか。」

やはり、と思った。振り向いた彼女は、涙を隠すように無理矢理笑顔を作った。手の中にある袋は、涙と握った跡でしわしわによれていた。
これはおそらく、彼女の初恋であろう。今まで色恋沙汰に現を抜かすことのなかった彼女のことだ。どのようにして渡せばよいのかわからなかったのだろう。渡す寸前で怖くなり、逃げ出した。そのようなところだろう。

「……がんばって、作ったの……。」

「ああ、知っている。」

「初めてだから、色々失敗も沢山して、だけど、それでもがんばって……」

「……ああ。」

「だけど、渡せなかっ、た……」

私は全て知っている。彼女はとても料理が下手なことも、恋をしたことがなかったことも、強気に見えて妙に臆病なことも、意外と可愛らしい色を好むことも、今日の髪型はいつもよりも気合が入っているということも、頑張る割には器量が悪くてよく失敗するということも。それでも彼女は彼女なりに一生懸命に生きていて、一生懸命恋をしているのだ。私は姿の見えないその男を嫌悪した。彼女をここまでして泣かせた男は、彼女の気も知らずに今、どんな顔をして息を吸って吐いているのだろうか。考えただけでも吐き気がする。

「……せっかく、応援してくれてたのに、厨房貸してくれたのに、ごめんね。無駄足になっちゃって……。」

「……ああ。」

「渡せなかったけど、白哉には感謝してるから!」

そう言って笑った彼女の顔を見た私は、とてもいたたまれなくなってしまった。私が見たかったのは、このような貼りつけたような笑顔ではない。私は彼女の、心のそこから滲みだすような、正直な笑顔が好きだった。彼女のその幸せそうな笑顔が、大好きだった。

「……そのチョコレートは、どうするのだ?」

「あ、うん……。もう溶けちゃってるし、捨てちゃおうかな……。」

「ならぬ。」

「え?」

「ならぬ。私がいただこう。」

自分でも、何故そのようなことを言ってしまったのかわからなかった。ただ純粋に、彼女のそのチョコレートが欲しいと、そう思ったのだ。彼女が自分の気持ちを丁寧に詰め込んだそのいびつな形のチョコレートが、たまらなく欲しいと思った。私は彼女が抱えていた袋を取り上げ、中身を取り出した。案の定、そのチョコレートは見るも無残な形へと変化していた。

「なんで……?」

なんで、と問いかけられれば。何故、だろうか。私は彼女の幸せを祈っていたし、今でも祈っている。彼女が喜ぶならば、彼女の恋も実ってほしいと。そう思っている。
しかし今、私は何故か少し安心しているのだ。この感情は、彼女に幸せになってほしいと祈っている自分の気持ちと矛盾している。彼女の恋がうまくいかなかったことを喜ぶ気持ちと、彼女の幸せを願う気持ち。その心は、一体。

「何故……か。」

「え?」

「何故、だろうな。」

私は嘲笑した。何故私は、こんなにも単純なことに気付くことができなかったのだろうか。私はただ単に、彼女のチョコレートを、愛を、欲しているのだ。私は彼女に幸せになってほしいと思っていたのではない。自分の手で彼女を幸せにしてやりたいと、そう思っていたのだ。

彼女と共に長い時間を過ごす中で、私が彼女に抱く感情は、計り知れないものとなっていた。恋愛感情などという軟弱なものではない。自分を犠牲にしても、自分の気持ちを押し殺してでも、ただ純粋に一片の曇りもなく、彼女の幸せを願っていた。たとえそれが私にとっての悲劇であったとしても、彼女が幸せならばそれで良い。そう思っていた。そのあまりにも大きすぎる愛故に、彼女に抱いている本当の気持ちに気付くことすらできずにいた自分を恥じた。

私では、駄目か。私では、お前を幸せにすることはできないだろうか。喉元まで出かかった言葉を慌てて呑み込み、私は自分の心に鍵を掛けた。答えはわかりきっている。彼女を幸せにできるのは、恐らく彼女の想い人一人しかいないのだから。

無理矢理口にチョコレートを押し込めば、ほろ苦い味が広がった。





渡せなかった。私は自分の手の中の小奇麗な紙袋をくしゃりと握りつぶし、人気の少ない隊舎の隅で、ひっそりと泣いた。

好きな人が出来た。初恋だった。周囲が無駄に色めき立つ今日と言う日が去年まで苦手だったというのに、今年は妙に気になって仕方がなかった。可愛いものに囲まれるのがなんとなくこっぱずかしく、店頭に並ぶ可愛らしいラッピングや手作りキットを見るだけで、背中が痒くなった。一人じゃとても無理だと思った私は、可愛いものに精通していると思しきルキアに頼み、協力してもらった。一人ではとても作れないだろうと思い、家の厨房まで貸してもらった。テンパリングに何度も失敗し、沼のように膜の張ったチョコレートがいくつもできた。試行錯誤を繰り替えし、五回目で漸くまともに仕上がったチョコレートを丁寧にラッピングし、自分ではとても選ぶことのできないようなピンク色の紙袋に入れた。仕上がりをルキアと共に喜びつつ、失敗した数々の沼のようなチョコレートの処分に追われていた。初めての本命チョコを作ることができたということもあり、まずいチョコレートを平らげている間も、始終楽しかった。そう、渡そうとする、その時までは。

あれだけ頑張って、他人の力まで借りて作ったチョコレートだった。その袋と見つめ合い、何度もシュミレーションを繰り返し、時には顔を赤らめながらもバレンタイン当日を迎えた。渡そう渡そうと思いつつも、私は結局、彼にそれを渡すことができなかった。自分の意気地なさと臆病さに嫌気が差し、チョコレートの入った紙袋をくしゃくしゃに握り潰して泣いた。

「唄。」

私の後の上の方から、声が降ってきた。私はこの声の持ち主を知っている。今、一番会いたくなかった人。自分の隊の隊長でもあり、幼馴染でもあり、私の例の初恋の人でもある、朽木白哉。私は慌てて死覇装の袖で涙を拭いた。泣いていることを悟られたくなかった。まあ、ばればれなんだろうけど。

彼は、どこまで知っているのだろうか。ルキアが厨房の使用許可を白哉に取りに行った時、ついうっかり私に好きな人がいるということをばらしてしまったらしい。それが当の本人、白哉であるということは明かしていないらしいが、私が今日チョコレートを誰かに渡そうとしていたことは知られているだろう。しかし、その渡すはずだったチョコレートが私の手の中にあり、なおかつ私は号泣している。ああ、渡せなかったのか、という他人事のような感想は抱いているだろう。

「……白哉、私、渡せなかった……」

「……そうか。」

私は出来る限りの笑顔でそう言った。そんな私を見た白哉は、複雑そうな顔をした。なんと声を掛けるべきか、と思っているのだろう。紛れもなく、彼自身のことだというのに。

「……がんばって、作ったの……。」

「ああ、知っている。」

「初めてだから、色々失敗も沢山して、だけど、それでもがんばって……」

「……ああ。」

「だけど、渡せなかっ、た……」

私は、自分の今までの行動一つ一つを振り返る様に、小さく小さく区切りながら、言葉を紡いだ。それを口にしているうちに、ますます悲しくなった。今までの私の努力は、なんだったのだろう。白哉は甘い物が苦手だから、ビターチョコを選んだ。少しでも可愛く見せたくて、ピンク色のラッピングを選んだ。私の努力は、踏み出せない第一歩のせいで、全て台無しになってしまう。

彼に渡そう、そう決心して彼の執務室に足を運んだ。扉の向こうから聞こえてくる声に耳を立てれば、今まさに女性隊士が彼にチョコレートを渡そうとしている瞬間だった。彼は確かに言っていた。悪いが想いに応えることはできない、チョコレートを受け取る気はない、と。はっきりと向けられた拒絶の言葉。それが私に向けられたら。私の足は、自然と執務室から遠のいて行った。私が本命チョコを作っているということは彼にはばれている。今更義理を装って渡すわけにもいかない。私の手の中の特別が沢山詰まったチョコレートは、酷く無意味なものと化していた。

彼はきっとまだ、亡き奥様のことを引き摺っている。そんな当たり前のことに、私は何故気付かなかったのだろう。彼が緋真に抱いている大きな愛と比べれば、私が彼に抱く恋心なんてガラクタのようなものなのだろう。私は急に自分が恥ずかしくなった。色恋沙汰など、彼が一番嫌いそうなものではないか。彼に恋心を抱くということ自体、間違ったことなのだろう。私は彼を、諦めなければならない。諦めて、幼馴染に戻らなければならない。私は大きく息を吸い込んだ。

「……せっかく、応援してくれてたのに、厨房貸してくれたのに、ごめんね。無駄足になっちゃって……。」

「……ああ。」

「渡せなかったけど、白哉には感謝してるから!」

ああ、何故私は彼を好きになってしまったのだろう。よりにもよって、彼を。自分の笑顔が、ひどく歪んでいるのが手に取る様にわかる。私の偽物の笑顔を見ているのが辛いのだろう、目の前の白哉が、辛そうに顔を歪める。私をこんな顔で笑わせているのは、自分のせいだとも知らずに。
短い言葉で私の言葉を流していた白哉が、口を開いた。

「……そのチョコレートは、どうするのだ?」

「あ、うん……。もう溶けちゃってるし、捨てちゃおうかな……。」

「ならぬ。」

「え?」

「ならぬ。私がいただこう。」

彼の指がすっと伸び、私の腕の中のピンク色の袋を指差したかと思うと、そのまま腕の中から抜き取られた。取り出されたチョコレートは、強く握り潰した衝撃で、いびつな形に変化していた。
やめて、私は心の中で叫んだ。彼のこのようないらない同情が、私を酷く傷付けるのだ。本当はこんな形で彼にチョコレートを渡したい訳じゃない。同情の気持ちで受け取ってもらうぐらいなら、私の目の前で、私の想いごと否定して、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てて欲しい。私の想いに気付けば、彼はきっと離れて行ってしまう。それなのに、何故。

「なんで……?」

なんでいつも、そんなに優しくするの?
私の気持ちに気付こうともせずに、私の心に入り込んでくる。そんな彼の中途半端な優しさが私は大好きで、だけどそれは同時に私を駄目にしてしまう。私はこれまでに何度も彼の優しさに甘えてきた。優しくするなら、徹底的に優しくしてほしい。それか、徹底的に突き放してほしい。できたら私を、好きになってほしい。私を徹底的に、駄目にしてほしい。だけど言いたいことはいつだって、私の心の中に留まったままなんだ。だって、言える訳がない。彼が本当の優しさを向けるのは、恐らく後にも先にも緋真以外にいないのだから。

何故だろうな。そう呟いた彼の瞳が、少しだけ愛おしげに私を見た。私はその目を、確か遠い昔に一度だけ、遠巻きに見たことがあったような気がした。



その愛に気付こうともしないで



130214