「千景…?」
「名前なのか?」
もしかすると夢なのではと思わずにはいられなかった。長年逢いたいと願ってはいたがまさかこんな風にあっさりと再開出来てしまうとは。あまりにも唐突だったので俄かに信じ難いが目の前にいる人物が自分の追い求めていた存在であるのは間違いない。
そっと手を伸ばせばそのまま腕ごと引かれ胸元に引き込まれる。
感じる温もりが夢でないことを教えてくれる。
「ずっと逢いたいと思ってた」
「俺もだ、よくぞ生きていてくれた」
見た目はすっかり大人びているが纏う雰囲気にはどこか懐かしい。
思わず頬が緩み背中に腕を回せば強い力で抱き返してくれる、そのことが嬉しく幸せに浸っていた為すっかり今の自分の状況を失念していた。
「名前!!」
息を切らせた新倉が此方へ向かってくる。
今までの穏やかな顔は何処へやら、恐ろしい形相に名前の身体が自然と堅くなる。それに気付いた千景が視線を新倉にやれば向こうも睨み返してくる。
「何だ貴様は」
「それは此方の台詞だ。僕というものがありながら…名前早くその男から離れろ!!」
「あれはお前の男か?」
「違うの、新倉様が勝手に」
「僕は名前の育ての親に了承を貰っている、彼女はもう僕のものだ」
「あんなの認めてません」
「大丈夫、心配しなくても良いようにしかならないよ」
「嫌!!」
手を広げて近付いてくる新倉の姿にさっと背筋が寒くなる。まるで狂ってしまったかの様子には嫌悪感しか湧いてこない。
「下衆が…」
それまで触れていた温もりが急に離れたかと思えば、視界を遮るように立ち塞がる千景の背中が目の前にあった。
「先程から好き勝手ほざいているが、名前は貴様のような下賤な輩が触れていい存在ではない」
「何だと?お前、この僕を愚弄する気か!?」
「あのような欲に塗れた塵など名前が目に入れるべきものではない。それにいつまでも馬鹿げた茶番に付き合っていられる程俺も暇ではないのだ、行くぞ名前」
激怒する新倉を無視して話を進めるあたりは流石と言うか。
「あ、でも行くって?」
「決まっているだろう、我が里へだ」
ずっと帰りたいと願っていた場所だけどいざとなると怖い。人間の中で暮らしてきた自分を今更受け入れてくれるだろうか、もしかすると今までと同じままなのでは。
その不安を打ち砕いてくれたのはやはり千景だった。
「何を不安に思う事がある。お前は鬼なのだから在るべき場所へ戻るだけだ。それに漸く見付けたのだから帰りたくないと言っても力づくで連れていくがな」
そう言えばおもむろに抱き上げ、言葉通り逃げられないようがっちりと捕らえられる。
強引なところが昔と全く変わっておらず何だか嬉しく笑ってしまうと、気に障ったのか少しむっとした千景に頬をつねられた。
「いひゃいよ」
「何が可笑しい?」
「別に、深い意味は無いんだけど。つい…」
「ふん」
すっかり和やかな雰囲気になった頃、漸く蚊帳の外だった新倉が声を上げた。
「お前達、僕を無視するな!!」
「何だ貴様、まだいたのか」
「こ、のっ…!!」
いかにも欝陶し気に吐かれた言葉に我慢の限界だったらしく顔を真っ赤にして刀を抜き斬りかかってきた。
が、次の瞬間刀は真っ二つに折れ地面に突き刺さり、代わりに千景の刀が喉元に充てられていた。
「人間風情が鬼に向かってくるとは…。死ぬ覚悟は出来ているのだろう」
振りかざした刄が白く光りたまらず目を瞑る。
「ああああああ!!!!」
しかし叫び声と共に飛び散る筈の赤は何処にも見当たらない。
腰を抜かした新倉が崩れ落ちる
「名前…」
別にこの男を助けたいわけでも、恩を売るつもりでもない。
ただ咄嗟に刀を振り下ろす腕を止めてしまった。
「もう見たくないの、だから…」
目の前で人が死ぬのを見たらきっと抑えが利かなくなってしまう。一度鬼の姿に戻り、未だ力が有り余っている今なら尚更、自制を忘れ暴れてしまうかもしれない。そんな醜い姿を千景の前に曝したくはない。
殺気の籠もった紅い瞳が向けられ身が竦む。
何か言いたそうだったが無言のまま、暫くするとふっと気を弛め、途端に優しげな表情に変わった。
「そうだな」
深く追及してこないあたり何となく察してくれたようだった。
刀を納めると気絶してしまった新倉を一瞥し、名前を抱えたまま静かにその場を後にした。