あれから数週間、外に出る度新倉様に会うようになった。どうにも彼は私を自分の元に置きたいらしい、断ろうとするのだがその度に上手く誤魔化され何もなかったかのように勧誘される。

これはもう怪しいの丸出しね。

待ち伏せて気を見計らいしつこく話し掛けてくる。これは自惚れではなく完全に下心があるのだと思う。それに日に日に隠れていた本性が表になってきているのが手に取るように分かる。上手く笑顔を貼り付けていても裏に潜むものは滲み出ている。
どんなに素晴らしいと言われている人間でも結局は愚かしい欲には逆らえないということか。

分かっていたことのはずがどこかがっかり思う自分がいた。
人間に少し期待していたなんてやっぱり馬鹿だったのかもしれない。




そしてついに最悪の形で予想が的中してしまった。
奥さんに呼ばれた時から嫌な予感はしていた。

部屋に入ればにやけた顔の旦那さんが待っていて何だか胃が痛くなった。


「あの、何の御用でしょうか?」
「そう固くなるな、実はな新倉様がお前を妾に欲しいと言ってきた」
「え…」

全身が凍りつき血の気が引くのを感じた。


「お前みたいな化物を欲しがるなんて物好きな御方だわ。うちの娘に目を掛けて下されば良かったのに」
「どうせ化物だから妖術で新倉様を誑かしたのだろう、まぁ本性を知れば直ぐに捨てられるに決まってる」
「それもそうね、こっちは厄介払いが出来るし」
「わざわざこんなやつの為に金まで払ってくれたしな。お前も一応ここまで育ててやったのだ、うちの娘として新倉様のところで上手くやってうちと良い関係が築けるよう取り計らってこい。くれぐれも泥を塗ってくれるようなことはするなよ」


嫌な夢を見ている感覚だった。まるで他人事のように会話が次々と流れていくのを見ていた。

どういうつもりなんだ、あの人私が良ければって言ってたじゃない、それをこんな強引に金に物を言わせるなんて。しかも薄々気付いてはいたけれど私には直接妾になれなんて言っていない。これでは新倉様は私を騙そうとしていたことになる。私は千景以外の男の人の元に行く気なんてさらさらないのに、如何して人の意志を聞かずに勝手に話を進められなければいけないの。今までは我慢出来たけどこれだけは譲れない。
それに都合のいい時だけ利用しようなんて、醜く浅ましい。
これだから人間なんて生き物は!!

腸が煮えくりかえる思いで目の前に座る二人を睨み付ければ、それまで呑気に笑っていたのが一変して恐怖に染まっていた。



「お、おまえ…!!」


人前でこの姿を曝す日が来るなんて思ってもみなかった。

怒りに任せて抑えが利かなくなった身体は本来の姿へと形を変えている。


「やっぱり化物だったのか」

やっとの思いで絞り出した声は掠れていてとても小さいのにはっきりと聞き取れてしまうのはこんな私にも鬼としての誇りが残っているからか。やけに血が騒ぐ。


「化物じゃない!!」
「し、しかし…その姿、人間のはずないだろうが」
「確かに人間ではないけれど、だからと言って侮辱されていい筈ない。鬼にだって、私にだって貴方達と同じ様に感情があるのに勝手なことを言わないで!!」


冷静であるよう努めてみるも激しく高ぶる感情に思わず目の前の存在を破壊してしまいそうになる。だがそんなことをすれば里を襲った人間と同じところまで堕ちてしまう気がして必死に思い留まろうとした。その際叩き付けた拳が床に穴を開けてしまったのを見て夫婦は更に顔を青くする。


「ま、待ってくれ!!今までのことは謝る、お前を化物呼ばわりしたのも謝るから命だけは助けてくれ!!」
「そ、そうよ。新倉様から戴いたお金も全部貴女に渡すから!!」


勝ち目がないと判断すれば咄嗟に手のひらを返す、その変わり身の早さには最早呆れるしかない。このような人間に大人しく従っていたなんて、お爺さんお婆さんに恩があるからと思い離れることが出来なかったが考えればなんと馬鹿だったんだか。


「別に殺したりしません、もう二度と会うこともないでしょうし。良かったですね、厄介払いが出来て」

飛び出して行くことにもう不安や迷いはなかった。自分で動かなければ、こんなところ馬鹿馬鹿しくて居られない。



人の形に戻ったがまだ心臓が煩い。久しぶりに、それも衝動的に元の形に戻ったからか何だか身体が熱くてふわふわしている。このまま一気に遠くへ行くのは厳しそう、少し落ち着いて今後のことを考えなければ。勢いで飛び出して来た為何も持っていない。これは少し無謀過ぎたかもしれない、でももう戻るのは嫌だ。




路地裏をふらふらと覚束無い足取りで歩きながらあれこれ考えていると急に背後から声を掛けられた。


「やあ、また買い物かい?」


全ての元凶となった男。


「新倉、さま」


その笑顔が今となっては憎たらしい。結局はこの人も己の欲で動く人間だった。


「聞いたかな?君に家に来てもらえるよう話はつけたんだ」
「貴方から直接聞いてなかったけど、私のことを妾にしたいと仰ったそうですね。そして金で釣った」
「釣っただなんて、あれはほんの気持ちだよ。育ててくれた人達から君を貰い受けるのにタダという訳にもいかないだろう?」
「そんなの!!」
「大体君も君だよ。さっさと僕のところへ来れば簡単に済むのに。他の女は喜んで着いてきたよ、僕の傍で好き勝手な生活が送れるんだ、実に魅力的だろ?それなのにこんな手間を掛けさせてくれて、この分は楽しませてもらわないとね」


これがこの人間の本性か。表では人格者とみせていて裏では女遊び。自分の思う様に動かせると思っているなんて、勘違いも甚だしい。
愚かしくて思わず吹き出してしまえば顔が歪む。

「何が可笑しい!!」
「だって私もうあの家と関係ありませんから。お金なら取り返しに行けばいいですよ、まだ使ってませんから」


呆気に取られた隙をついて逃げ出せば、一拍遅れて我に返った新倉が喚きながら追いかけてくる。







「しつこいなぁ…」


追い付かれる心配はないがなんせまだ身体が若干ふわふわしていて追い駆けっこが長引けば少し危ない。なんとか撒かなければ、そう思い入り組んだ路地の突き当りを曲がったところで不意に足が縺れて身体が傾いた。



「あっ!!」



次に来るであろう痛みに思わず目を瞑れば、どさっと誰かにぶつかったのが分かった。





「ご、ごめんな、さ…い」


咄嗟に謝ろうと顔を上げた瞬間、時間が止まった気がした。






今日一番血が騒ぎ、言い表すことの出来ない感情が次から次へとあふれ出てくる。

ずっと夢の中で逢いたいと願い恋い焦がれ続けた存在、金糸の髪に紅玉の瞳
その姿は記憶のものよりずっと大きくて逞しくなっていたが面影や纏う雰囲気は変わらない。
自然と零れた言葉に自分自身でも理解しきれないままただ目の前の人物を見つめた。



「──── 千景」



 

  




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -