シンジは今日もぼんやりと空を見上げていた。細い顎がつんと上を向き、いつもとは違って猫のように尖った雰囲気を纏っている。夏の明るい風が、肘をついた腕に燐光を降らして白く輝かす。
ケンスケは斜め後ろの席、飽くまでつまらなそうな顔をしてシンジを見ていた。開いた窓はカーテンとシンジの髪を揺らす。短い前髪の下、むき出しにされたすべらかな額。心地よさそうに細まる瞳。
ケンスケは拗ねたように、でもたしかに見とれる。
気まぐれな恋の天使がなにかのはずみでケンスケにキスをした。気付いたときにはシンジから目が離せなくなっていた。色づいた唇に触れたいと思うのに、今だ健在な友情と常識がケンスケのシャツを引っ張る。
どうしようもならなくて、ケンスケはノートに顔をうずめた。引き出しの中のゼロ戦は最近魅力を失っている。
カメラのファインダーをのぞいても追うのは友人の表情ばかりだった。
第一中の暗室には売れない在庫が溜まっていく。



チャイムが響いて学校に残る生徒たちに今は四時だと知らせた。まだ太陽は高く、日差しは少し赤みを帯びかけている。
廊下の窓には並木が揺れていた。乾いた風に葉の繁る音を聞きながら、ケンスケは上履きの爪先をゆっくりと引っ張っていった。だらだらした歩幅で2のAの教室へたどり着く。
ドアの前で立ち止まり、眼鏡を押さえて少し考えるそぶりをした。結局引き戸に手を掛ける。
広い教室には、窓際の席にシンジが居た。居ることをケンスケは知っていた。
「よっ」
「ああ」
顔を上げ、シンジはシャツの襟を引っ張って笑う。胸元にささやかな風を送る、その前の席にケンスケは後ろ向きに座る。
「ど?」
「ん?」
「べんきょ」
「進まない」
「あついから?」
「あついから」
笑いあう。空には入道雲がたちのぼっていた。グラウンドの土は乾き、雲の影を映して金色にけぶっている。
「ケンスケ」
「んー?」
「写真部?」
「だなあ」
「コンテスト?」
「かもな」
「部員は……」
「一人な」
「そっか」
「あー、あっつい」
「あついねえ」
地面を覗き込むシンジの横顔から雫がしたたった。ノートの上に、カラフルな記号の横行。そこに乗った腕が日差しを受け、白く輝く。
そしてやってきた風に、シンジは目を細めた。風になびく前髪。やわらかく下げられた眉。清潔なシャツの胸元が開く。
一枚の絵のようだ。後ろの席で見るよりも、ずっといい。
「なあ」
「なに?」
「お前の写真、とってもいいか?」
横顔が目を瞬かせる。正面を向いたシンジは、ケンスケに向かって小さく唇を緩ませた。
「いいよ」
それから、視線をまた窓の外に落とす。
ケンスケの見るシンジは、いつもどこかを見詰めている。その視線の遠さ。シンジがエヴァパイロットだからというだけでなく、存在の隔たりを感じさせる。こんな表情ができる人間がいったい世界にどのくらいいるのか。
自分とは違う。入ることのできない領域に居る。触れてはいけないとわかっている。
それでも、魔が差すということがあるのだろう。
ケンスケが我に返ったのは、シンジの頬に手を伸ばした後だった。
「ケンスケ?」
シンジは、驚いた顔をしてケンスケを見た。その視線の先でケンスケも驚いていた。手を引っ込めようと思うのに動かない。
手のひらに添わせるように、シンジが首をかしげる。
「……ケン、スケ?」
あの黒い瞳には今はケンスケが映っていた。瞳の中の自分は酷く真剣な、何かを怖れるような表情をしている。真っ暗な闇の中、形のない、おそろしい怪物に挑む勇者。
シンジが再び口を開いた。沈黙のままのケンスケに視線を揺らがせ、何か言おうとして止める。かすかに吐いた呼気が指に触れた。それが甘く、しびれるほど。
こんなもの写真に残せない。
おれって、バカなことしてるなあ。

苦しくて、目を伏せた。


真剣な顔でシンジの頬に触れていたケンスケは、突然すっと手を引いた。視線を落とし、せつなそうに笑う。それが見たことのないもので、シンジは息を忘れた。
「何でもない。悪いな、碇」
「う、うん」
椅子を引いて立ち上がり、背中をみせる。それを見送りつつシンジはあっけにとられた。なんだったんだ。
一息ついて、グラウンドを見る。野球部が練習をしている。監督が不在なのか、そのやり方は変な遊びを交えていて面白かった。それを眺めていたら頬を掬われた。顔をあげるとあんな表情で、
「なんなんだよ、もう」
まだ残っている感触を拭うように、シンジは自分の指で頬に触れる。肩がびくりとした。
熱い。
「あれ?」
首をかしげた。反対の手で心臓に触れる。熱い。
「あれ?」
第三新東京は真夏の都市だ。そこを飛び交う天使は熱中症で、いつも調子外れの弓で誰かを射る。
「あれ、え、ええっ?」
あわてて疑問符を繰り返すシンジの横、かすかな羽ばたきが通ってグラウンドへ抜けていく。


2012 7 23


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