「なあ、コックリさんやろうぜ」
「こっくりさん?」

突然のケンスケの誘いにシンジはもぞもぞと動かしていた手を止めた。トウジが、その指の間にはりめぐらされた紐を慎重に救い取る。
「おりゃあ! 見てみいシンジ、東京タワーじゃああああ!」
「トウジ、薬指抜けてる」
「……うお、ほんまやん」
がくりと肩を落とすトウジ。ケンスケは顔をひきつらせた。
「昼休みにあやとりって、お前らジジババかよ」
「なんで? 結構面白いよ。ほら四段ばしごー」
器用に複雑な模様を編みあげるシンジから紐を取り上げ(二人から猛烈なブーイングが出たが無視した)、ケンスケは紙と十円玉を取り出す。
「あやとりなんていつだって出来るだろ! それより今のトレンドはこれだ」
「トレンドって」
「時代感じるわあ」
「うっさいな! とにかく、コックリさんや・ろ・う・ぜ!」
ケンスケは机をバシンと叩く。一緒に叩きつけた十円玉が浮きあがり、それに伸びかけたトウジの手をシンジがはたいた。
「そもそも、コックリさんってなんなの」
うめき声を上げるトウジの横でシンジは平然として聞く。
「碇三等兵、よくぞ聞いてくれた。なんでも女子の間で流行ってる遊びらしい。一言で言うと簡単な降霊術だそうだ」
「こうれいじゅつ?」
「テレビで見たことあるで」
まだ手を抱えるトウジが口をはさんだ。
「なんや幽霊を呼ぶとかそんなん」
「うむ。その一種のようだ。五十音が書かれた紙の上に硬貨を乗せて、『こっくりさん、こっくりさん』と呼びかけて霊をおびき寄せる。起源はセカンドインパクト時代にさかのぼる古き良き儀式だとか」
「オカルトだね」
呆れた顔をするシンジに、ケンスケは口をへの字に曲げる。
「いいだろ少しくらい。そんなこと言いだしたらエヴァの存在がもうオカルトなんだよ」
「で、どうするの? もう昼休み終わるけど」
言い終わらないうちに始業のベルが鳴りだして、ばたばたと机に戻る生徒たちを背景にケンスケは渋い顔で呟いた。
「……続きは放課後にしよう」




そして放課後。机の上を一瞥し、トウジは呻いた。
「なあ、ほんとにやるんか?」
「あったりまえだろ!」
50音表、十円玉、そして二本の人差し指。おまけにカップに入った酒まで添えられていて、こっくりさんの準備は完璧だった。透明な日本酒はシンジが家から持ってきたもので、机の下には地酒「獺祭」の一升瓶が転がっている。
机を円状に囲む席の一角でトウジは腕を組んだ。さっきからその姿のまま固まっている。
頬杖をついたケンスケが、あのさあ、と気の抜けた声を出した。
「やんないならさー、帰れよ」
「べ、別にやらんとは言っとらんで!」
「じゃあ、なんで?」
心底不思議そうなシンジの様子に、トウジの喉がうっと詰まる。
「せ、センセは大丈夫なんか」
「え? 別に普通だけど。トウジこそ汗すごい出てるよ」
「いや、あの、これは、なんちゅーか……ワシ、こういう女がやりたがることって好かんねん」
「とか言っといて、怖いんだろ? あのな碇、こいつ、まだ妹に夜中トイレ付き合ってもらってんだって」
「ケンスケぇ!」
「え、そうなの?」
「そーそー。そんで、たまに我慢できずにねしょんべんを……」
「ちゃうわ!」
ばん! と音を立てて、トウジは机をたたいた。
「やりゃあええんやろ! やれば! おう、こっくりやろうがぎっくりやろうが、何でもやったろうやないかい!」
ヤケクソ気味に硬貨に乗った人差し指。親友の真っ青な顔と震える爪に、ケンスケは再び人の悪い笑顔を浮かべる。
「あーあ、10円玉に指乗せちゃったー。これ、儀式が終わるまでとっちゃいけないんだからなー」
「!? まま、っままま!?」
「マジだよ」
「そんなんはよ言えや!」
「絶対離すなよー? こっくりさんはな、指を一番最初に離した相手にとりつくんだぞー」
「ひ、ひいいい」
涙目になるトウジの隣でシンジが眉をしかめる。
「それ困るよ。僕今日夕食当番なのに」
「そういう問題か?」
ケンスケは肩を落とす。気を取り直し、咳払いを一つしてから、
「……まあ、最後に『こっくりさんおかえりください』って言って終わらせるんだけど、それで十円玉がYESに向かえば離してもオッケーだから」
おおお、と重なる感心した声に、ふふんと胸を張る。そしてもう一度、茶色の硬貨に乗った三本の指に視線を落とした。
「そんじゃ、はじめよーぜ。シンジ、はい」
「え、……わかった。『こっくりさんこっくりさん、おこしください』」
「こっくりさんこっくりさん、おこしください。ほら、トウジも」
「……っこ、」
汗だくのトウジが唱和するのを聞きながら、ふと窓を見上げたシンジは、薄暗くなってきたな、と心の中で零す。今日は昼から雲ひとつない快晴で、夕暮れになった今も空が遠くまで透けて見えた。いくつかの星がガラス越しに浮かび、グラウンドを縁取って生える木々が風に揺れる。
のびのびと広がる空の真ん中に、ひときわ大きな月がぽっかり浮いていた。
今日は満月だ。濃紺の夜空に、しらじらと映える円い星。
「おい、シンジの番だぞ」
「……こっくりさん、おこしください」
呟いてから、目の前の白い光に吸い込まれそうな気がして、シンジは息をもらした。
「は」
「うおっ」
シンジがため息をついたのと、ケンスケが声を上げたのは同時だった。
遅れてトウジから、ヒッと不穏な呼吸音。
「なんや、なんやこれやばい」
「おちつけ、おちつけってトウジ」
がたがたっと椅子を蹴る音で、シンジは今目を覚ましたようにあたりを見回した。次々と立ち上がった二人の横顔は切羽詰まっている。
「え? え?」
「う、うわっわわ」
「だからトウジ、落ち着けって言ってんだろ!」
「なに、どうしたの」
「どうしたのって」
見ればわかるだろ。振り向いた眼鏡の奥の目が真剣で、あわてて硬貨に目を移す。シンジはあっと声を漏らした。
「なにこれ」
50音表の上で、三人の指が乗った10円玉はヴーンと唸りを発していた。指から伝わってくるのは携帯のバイブレーションをもっと小さくしたような細かな振動。
「これ、ちょ、や、や、やばいんちゃう」
ぶるぶる震える右手を押さえながら、トウジが言う。ケンスケは震える硬貨をじっと睨み、おもむろにしゃがみこむと、空いてる方の手で床に置いたサブバッグをあさり始めた。
「なにしてんの」
「だって、写真撮んなきゃ」
「ケンスケっ、おまえぇー!」
「あ、チクショウこのカメラじゃ録画できねえや」
「そないな場合やないやろが!!!」
「ちょっとまって」
シンジの声に、胸ぐらを掴みあっていた二人の体が止まる。蜂の羽音のようなノイズをひびかせながら、茶色い10円玉がすーっと動いた。
50音表の上をなめらかに滑ったあと、一枚の硬貨はぴたりと停止する。

し・つ・も・ん・は?

「……本物やんか」
「ああ、来てるな。確実に」
呟いてフラッシュを焚く友人の襟をトウジは再びひっつかんだ。
「なにやっとんじゃあ、こんなときに!!」
「心霊写真が取れたら雑誌に送るんだよ」
「あ、おまっ、まさかっ、それが目的でっ!?」
「そーだよ。本当に来るとは思わなかったし」
「ケンスケぇええええ!」
涙声のトウジがケンスケをぶんぶん揺らすのを横目に、シンジは50音表をじっと見つめた。ただしくは、その上にちょこんと居座る赤銅色の硬貨を。かなり激しい動きをしている癖に、ケンスケの指もトウジの指も貼りついたようにそこにのっていた。シンジは半ば隠れている、平成27年の刻印も新しい表面に問いかけてみる。

「あの、あなたは幽霊ですか」

ずず、と10円玉が動き出した。ぴったりくっついた三人の指は、まだ言い合いをするトウジとケンスケにも気づかれずゆっくり進む。

ちがう

シンジはごくりと唾を呑む。会話が成立している。この10円玉と。
いや、10円玉に宿った何かの意志と。

「あなたは何者ですか」

いえない

「質問って、なんでもこたえて貰えるんですか」

質問による

「じゃあ、僕の……」
どうしても口ごもってしまう自分に、シンジは唇を噛む。からからになった喉を振り絞って、胸の底にたまった一言を押しだした。
「僕の母さん、安らかに眠ってますか」
シンジの質問を受け、10円玉は長いこと黙っていた。いつのまにかトウジとケンスケが傍らで沈黙する硬貨を見守っている。視線を受けて顔をあげたシンジに、四つの瞳が心配そうな光を向けた。
それに笑って返すシンジの心境は、色々複雑だ。
――降霊術なんて、意味がないと思っていた。
でも、もし幽霊を呼びだして聴くことができるなら、ひとつだけ。
ためらいがちにうかがう二人の視線に、感傷的すぎる質問をしたと思った。でもシンジが幽霊に聞きたいことと言ったら、きっとこれくらいしかない。
10円玉が震えだす。三人の目の前でいくつも直角をえがいて折れ曲がる。
始めにとまった「き」の文字から、三人は声をそろえて読みあげていた。

君のお母さんは、今でも君のことが好きだよ

「……だってさ」
横顔のまま、シンジへと視線を送るケンスケ。その頬が緩んでいる。
「ワシもおかんのこと、聞けばよかったな」
トウジはそう零して、じゃあ今聞けよとケンスケにつっこまれている。そうだね、と明るく笑いかけたシンジの指が、ぐんと引っ張られた。
「あっ」
10円玉が動いている。三人の腕をぴんっと伸ばし、50音の一番端まで移動する。
「え、なに?」
「誰か質問したか」
「しとらんで、そんなん」
さっきまで安堵しかけていた雰囲気がみるみるうちに冷めていく。停まったのは「あ」の字だった。そこで一旦小休止をおいた10円玉めがけて、ケンスケは口を開いた。
「こっくりさんおかえ」
言いかけたとたん、もう一度腕がひかれる。再び動き出した10円玉は、その後、すさまじい速さで紙面を蹂躙した。

あ い た い


あいたいあいたいあいたいあいた

固唾をのんで見守る三人の前で、小さな硬貨はただの茶色い軌跡と化した。すでに自分たちの指の先さえ見えない。分かるのは前後左右に腕ごと指が引っ張られていく感触。きっかりとした四つのカーブは、文字の同じところをたどっている。

いあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたいあいたい、あいたいあいたいあいたい、あいたい

ついに、繰り返される摩擦に耐えかねて紙がやぶけた。びりびりびり、不吉な音を生み出しながら、それでも硬貨は動き続ける。
「う、わ」
トウジが言葉にならない悲鳴を漏らした。腕が痛い。指の下の10円玉が燃えるように熱い。いつまでこの儀式が続くのかわからない。三人は固唾をのんで机を見つめた。それしかできない。
恐ろしかった。
ふと、硬貨の速度が弱まった。目では追えないほどの速さで動き回っていた10円玉が本来の形を見せ始める。呆然と見つめていたシンジは、どこか薄暗くなった教室に気付いて顔を上げた。光の先をたどって窓を見た。いつの間にか沸いた雲が空を覆い尽くし、中央の白々と光る月に迫っている。流れる雲の一角が膨れ上がって埋め尽くそうとした瞬間、窓を見上げるシンジの前で、もう原型をとどめていない50音表のカ行の空洞に10円玉が移動した。

きみに あいた い

ふるふると震え、瀕死の虫のようになりながらも10円玉は「い」の字に到達した。そこでぐったりと動かなくなる。全身に、それこそ指の先まで汗をにじませながら、シンジはその様を目に焼きつけた。隣で深呼吸の音が聞こえる。ケンスケが、硬貨を見つめてはっきりと言った。
「こっくりさん、お帰り下さい」
10円玉はこきざみに前進し、最後の力をふりしぼって「YES」に停まった。



2のAの教室で呆然としていた三人を見つけたのは用務員だった。びりびりに破けた紙、うつろな目で座り込む男子生徒、そして足元にころがる一升瓶を認めたあと、用務員のおじさんは何も言わず三人を校門まで送ってくれた。鉄柵に南京錠を閉めながら、得意げな笑顔で「若いうちから無理するねえ、飲みすぎるなよ!」と背中を叩かれた三人は、何ともいえず顔を見合わせた。
「……帰るか」
「そう、だね」
いまだ真っ青な顔のトウジを二人で支え、通学路を歩いた。あんなことのあった後なので暗がりがやけにあやしく見える。見慣れた標識の影が人型に見えて、シンジはつとめて視線を上向けた。いつのまにか雲はちぎれて四方に散り、真っ白な月が浮いている。
「すごいな」
不意に歩みを止めてケンスケが呟いた。同じように空を見ている。
「なんかさ、あんなことあったのが嘘みたいだな」
「うん」
シンジはうなずいた。今考えると夢みたいに思える。夢と言っても悪夢のようだったけれど。
「早く帰って忘れたいけど、寝るとうなされそうなんだよね」
「俺、10円玉トラウマになりそう」
「当分学食買えないね」
乾いた笑顔を交わしたところで、ケンスケがため息をつく。
「俺はさー、今日の昼間まで心霊現象否定派だったんだぜ。それがこんな……」
「僕もほんとにくるとは思ってなかったよ。でも」
思い出す。唸りを上げる10円玉。
「あれはさすがに本物っぽいし」
「なんだったんだろうな。『あいたい』って誰に会いたかったんだ?」
「会いたいって意味じゃないかもよ。『相対』とか、『あ、いたい』とか」
「意味不明だろそれ」
無言のトウジを抱えながら、ケンスケはそう言えば、と声を零した。
「そーいえばさ。碇、こっくりさんって女子のあいだじゃなんていうか知ってるか?」
「ううん」
「エンジェル様、って言うんだってさ」
「エンジェルって、天使?」
「メルヘンな呼び名だよな、幽霊に対して」
じゃ、おれこっちだから、とケンスケは言い残して、あっさりと曲がり角を曲がっていった。少し早足なのは、夜道が怖いのかもしれないし、早く家に帰ってカメラの中身を現像してみたいのかもしれない。
残されたシンジは、肩を組んで支えているトウジを見る。目があった。
「トウジどうする? 家まで送って行こうか」
「……ええよ、そんな」
大きくため息をついて、シンジの肩に回していた腕を解く。
「もう平気や、悪かったな」
「いいよ別に。仕方ないし。なんかすごい体験だったよね」
「センセ、ほんま度胸座っとるな。怖くなかったんか」
「まさかそんな、僕だって怖かったよ。でも……、なんだかいい人っぽかったからさ」
「ふうん」
トウジは肩をすくめ、きょろきょろと当たりを見回す。
「もうおらへんよな、あの写真バカ」
「ケンスケのこと? さっき別れたから、そろそろ家についたんじゃない?」
「そっか……、あんな、ケンスケに言うと馬鹿にされそうやから黙ってたんやけど」
「なに?」
「……見えたんや」
「え?」
トウジは声を潜める。
「さっきの……、あのクソッタレ儀式の時にな、ほんまは最初っから、もう一人おってん」
「えっ」
「白い髪で、同じくらいの背丈した、制服の男が」
周囲の気温が3℃は下がったような気がした。
「え、冗談だよね?」
「ウソやない。ワイ、たまに見えるんや」
あのおしゃべり盗撮魔には言うなよ、と付け加える。
「窓の外から、頬杖ついて見てたんや。最初は変なやつが居ると思ったんやけどな。気付いた、あそこ二階やろ」
「……」
「……だから、やめろ言うたんやけど」
「それをなんで、今ここで言うんだよ……」
心の底からそう思ったシンジに、トウジは気の毒そうな顔をした。
「いや、でもセンセには言わないとあかんと思って」
「なんで?」
「そいつ、センセのこと見てたから」
ずーっと、にこにこしながら見てたから。
第3新東京市は常夏の都市なのに、シンジの腕に鳥肌が立った。
「センセも窓見とったから、気付いたのかと思ったんやけどな。あ、ワシここや! いやー最後に言うてスッキリしたわあー。センセありがとな。ケンスケは死ね。ほな、また!」
「え、ちょっと?」
いきなり明るくなったトウジに唐突に別れを言い渡される。シンジが止める間もなく道路を挟んで向かいの一軒家に慌ただしく入っていった。
「おとん、サクラ、ただいまー!」
「嘘だろ……」
シンジは中途半端に手を伸ばして呆然とその背中を見送るしかなかった。
周囲の静けさに追いやられるように、一人で歩き始める。もうそろそろマンションが見えてくるはずとは言え、夜道はやけに長く見える。
抱えた一升瓶がひたすら重い。
「なんだよ、誰なんだよその男子生徒(?)って、ていうかトウジひどいよ、せめて明日になってから……」
つぶやいた矢先、目の前に白いものがよぎった。
「うわああああーーーーー!!」
知らない人間がいきなり吠えて走りだしたので、植え込みから顔を出した猫はびっくりしただろう。シンジは夜道を脇目もふらずに全力で走った。走って、走って、走って、ちょっと泣いた。

こっくりさんだろうがエンジェル様だろうがどうでもいい!
僕は使徒だけで精一杯なんだ!

涙でぐしょぐしょになりながら自宅のドアを開けて飛び込むまで、月はずっとシンジの背中を照らしていた。




2011 4 3

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