光子郎はいつも窓際の席にいる。給食を食べた後、難しい顔でノートパソコンを睨んでいるか、静かに本を読んでいる。昼休みに光子郎をドッジボールに誘う子供はいない。わざわざ階段を下りて四年の教室に向かう太一にとって、それはいいことだった。
手すりを伝って最後の段を下る。休み時間で児童の姿が多い廊下は、ただそこを上級生が歩いているというだけで大げさなくらいざわめいた。脇で固まっている女子の群がちらちらとこっちを見ながら何かを話している。これがヤマトだったらもっとひどかったろうな、と思いながら、ひとつの教室の入り口に立つ。
「な、光子郎いる?」
近くの男子に聞くと、おずおずと窓の近くを指さした。光子郎はいつものように、光を透かしてそよぐカーテンの下、小さな体を俯かせていた。今日は、分厚い何かの図鑑を読んでいる。
黒い目がおっくうそうに太一を見る。周囲の雰囲気で来るのを察していたらしい。
「……なんですか」
「図書室いこうぜ」
「またですか」
言いつつ、大人のようにゆっくりと腰を上げる。図鑑はまだ何ページか読み終わってないようだったが、脇に抱えて太一の所まで来た。
すこしずつ近づいてくる光子郎を待ちながら、太一は心の中で苦笑する。太一がこうやって光子郎を呼ぶのはたいして珍しくないことのはずなのに、教室の子供たちはそろって息をつめるように光子郎と太一を見るのだ。なんとなく、一番近くにいる、さっき光子郎を指さした男子に笑いかけるとびっくりしたように身体をすくませる。
「太一さん」
肩を下げる太一に光子郎が一瞥をくれた。そしてさっさと歩きだす。昼をまわったばかりの廊下は窓から眩しいくらいの光が漏れて、脇にずらりと掛けられている運動着のふくろや、体育で使うなわとびの影をくっきりと床に刻ませる。それぞれ親が用意して持たせたなわとびは、どれも砂を被りながらも半透明に輝いていた。太一は、ピンクや水色のそれが列になって視界の端へと流れていくのを眺める。

――びっくりしたー
――あのひと知ってる、サッカークラブのキャプテンなんだぜ
――なんで泉と仲いいんだー?
――泉もサッカークラブなんだろ

「いずみ、ってお前のことじゃないみたいだな」
背中から聞こえてくる声にそう呟くと、光子郎が目を上げる。時々大人を不安にさせる黒い目を、太一はちょっと首をかしげて見返す。
「僕も、たまにそう思います」
その反応で、光子郎の両親のことについて一瞬で思考をめぐらした太一に、光子郎が小さく笑った。
「ああ、別にそういうのじゃないですよ」
「いや、な、その」
「太一さんは、変なところで気にするんですから」
目を伏せて図鑑を抱え直す。太一はふと、光子郎が机に置いてきたノートパソコンのことが気になった。いつもならこうして抱えているのはあの黄色の端末のほうだ。
「お前、パソコン置いてきていいのかよ」
「え?」
「なんかいじられたりしないのか」
「そんな人、クラスにはいませんし」
「でも――」
「もし見られたとしても、僕が何をやっているかなんてわかりませんよ」
きっぱりと言って、一階にむけて階段を降りようとする光子郎の背中を太一は少し立ち止まって眺める。
もともとテストをすれば100点でないことの方が珍しい光子郎だったが、だからといってまったく問題がない子供かというとそうではない。とくにいつも携えているパソコンの件は保護者が集まるPTA総会でも話題になった。
「別にいいじゃないのねえ」
出席していた太一の母親はそう軽く流して、ライナスの毛布という耳慣れない言葉を使った。今光子郎がパソコンを同伴しているのは、どうやらそういう扱いになっているらしい。
その話をすると、光子郎はいやそうな顔をして、「そういう決めつけは気持ちが悪いです」と言った。
「たしかに僕は、あのパソコンに精神的に依存しているのかもしれません。持ち歩かないと落ち着かないのは事実ですし。だけど、そういう心理的な用語をつかってまで、子供特有の行動だと勝手に思われるのは、なんだか……」
と言って黙り込んだ光子郎のあとを、太一が拾った。
「むかつくんだろ」
大多数の大人にとって、光子郎は何を考えているかわからない子供だった。けれど太一にとってはその考え方こそ間違っていると思う。
他人との距離がつかめない。自分の内にこもりがち。
そういう誤解を受けるとき、光子郎は表立って何か反論することはなかった。言えば波風を立てるのを理解しているから。そして大人は、光子郎を自分の知るカテゴリに当てはめたことに満足して、そんな細かな気配りには気付かない。
教師受けのよく、比較的扱いやすい子供だと思われている太一は、図書室の前で立ち止まってため息をついた。どうしたんですと瞳で聞いてくる光子郎に、頭の後ろで手を組む。
「おとなはわかってくんないよな」
「何がです」
「いろいろ。お前はいい奴って話」
「ぜんぜんわかりませんよ」
カウンターに座る図書館委員は、いまにもあくびをこぼしそうな顔で光子郎の図鑑を受け取った。身軽になって、二人はさっそく本の森に埋もれる。開架書庫は小学校のわりには品ぞろえが豊富で、光子郎はまた何か分厚い百科事典を取り出してしゃがみこみ、膝の上でそれを広げた。
太一は、手に取った文庫本をもてあそびながら、本の中身に没頭する光子郎の横顔を眺める。視界に入るものすべてを知りたがる光子郎の視線はとても真剣で、太一はその姿を見るのが好きだった。読みたい本もなく図書室にいくのはそういうわけだ。
この生き生きと世界の全てに目を向ける光子郎の、どこが内にこもりがちな子供に見えるのだろう。太一は内心おかしく思いながら、ふと気になっていたことを聞いてみる。
「お前、昼休みいつも自分の席にいるんだな」
その背中に呼びかけると、光子郎はちょっと眉を曲げて振り向く。
「だからなんです」
「いや、別に」
「昼休みに遊びにいかないから、誰も誘わないから、だから友達がいないとでも?」
心外そうに言ってみせた。そして今度こそ眉根を寄せる。
「大人みたいなことを言わないでくださいよ」
「だよな」
太一は笑う。他のクラスメイトから「泉」と呼ばれていた光子郎。彼には彼なりの、教室の中での立場がある。
「そういう太一さんは、いっつも四年生のクラスに来るけど友達いないんですか」
「まあな。いないよ」
軽く答えると、訝しげに黒い目が上向く。太一はその顔を覗き込んだ。
「図書室に誘うのはお前だけ」
光子郎はたちまちしまったというような顔をした。さりげない風を装って図鑑に目を落とす。
高い位置にある窓から日差しが差し込んで、図書室の空気に輝くはしごをかける。俯く光子郎の耳にじんわり朱がのぼり、それに肩を震わせながら太一は次に何を言ってからかおうと考える。もう少しで五分前のチャイムが鳴るだろう。こんな自分たちを、きっとどんな他人もしらない。



2012 4 6

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