――『××』の体は『花』を食べなければ保つ事が出来ない。

これは誰も知らない美し過ぎる食卓と『食材』の物語…



























美し過ぎる食卓

『ショクザイ』



























「一騎、食事の時間だ」


そう言って部屋に入ってきた男はとても美しい容姿をしていた。
背は高くバランスの取れた体躯に、人形の様に整った顔立ちをしている。
長い睫毛が縁取る瞳は、灰色に少し紫を混ぜた神秘的な色合いだ。
淡い色素の長い髪を、背の真ん中辺りでゆるりと絹のリボンで結び、纏う衣服は彼の高貴な身分を損なう事なく、上質で優雅。

その姿はこの楽園の主に相応しかった。





広大な城の一角、一騎に与えられたこの庭園を思わせる部屋は、広くてとても清潔に整えられている。
開放的な空間は常に新鮮な酸素が満ち、ふかふかの天蓋付きの寝台や、上品な装飾の家具に調度品が置かれていた。
色硝子をはめ込まれた大きな窓からは日の光がキラキラ降り注ぎ、自由に開閉が許され外に通じるテラスから、小鳥や小さな生き物達が頻繁に遊びにやって来る。
床をぐるりと巡る水路には透き通った水が流れていて、その恩恵を受けた緑豊かな植物達は、空気を清浄に循環させ渇く事も汚れる事も知らない。

この場所の主である総士は楽園たる己の居城を、何もかもが美しいもので満たしていた。
ここに住まう事が許された一騎自身の身なりも美しく保たれていて、毎日湯を浴び、シャボンで洗われ、髪を梳かれて、どんなに遠慮し断ろうとも着飾られてしまう。

一騎はある日突然この美しい城へ攫われ連れてこられた。
本当に何の前触れも無かったものだから、まるで現実味の無い夢を見ているのではないかと思ってしまう。
己の性質上、順応性や適応能力はそれなりに高いと思っていたが、ここで生活をしてそろそろ数ヶ月が経つのに、今だに一騎はこの環境に馴れる事が出来ないでいる。


「一騎、不自由はしていないか?」

「こんなに良くして貰って申し訳ない位。あそこに比べたら何もかも違い過ぎて…」

「あそこの事は忘れろ。お前は本来あんな扱いを受けるべき存在じゃない」


総士から放たれた低い声と寒々しい気配に、室内にいた小鳥や動物達が怯え一斉に逃げていく。
一騎もガクガクと自分の指先が震えている事に気付き、ギュッと自分で自分の身を抱きしめた。
突き刺さるこの畏怖は、生き物としての本能が脅かされ威圧されている証。
いくら理性で抑えようとしても、恐怖を無理矢理止め様とするのは無駄なのだと知っている。
自然の摂理とも言える、圧倒的な上位種の存在感。


「すまない、怯えさせるつもりじゃなかった…」

「俺は大丈夫だから、そんな落ち込んだ顔するなよ」


本意じゃなかったと微かに眉を下げただけの総士の表情は、一見何を考えているのか分かり難い。
けれど一騎はここで暮らす内、その僅かな差異を読み取れる様になっていた。


「食事にしよう」


不器用な笑みで殺気を消し散らして、総士が手元の溢れんばかり大量の花を一騎に見せる。
美しいアンティークの食器を飾る様に盛り付けられ、銀のトレイの上に並べられているそれらは、食卓にしている大きなテーブルへと置かれた。

これが一騎の食事である。

一騎は日の光と水、そして花を摂取する事でしか生きられない、稀少で珍しい生き物だった。


「いただきます」

「ああ、沢山食べると良い」


食卓へと一騎をエスコートし席に付かせると、総士は繊細な所作でフォークに花を刺し、手すがら彼の口へと食事を運んだ。
一騎がここに来てからこのスタイルで食事を摂る事が、当たり前の日常になりつつある。

センパフローレンスやミモザのサラダ。フリットされたパンジーにカーネーション。風味の豊かなスミレのジャム。甘い甘い砂糖付けにされた薔薇。
芳しい香りと濃厚で甘い味が一騎の口内で溶ける様に消える。
生で花を食す事も出来たけれど、総士はいつも一騎が食事を楽しめる様にと趣向を凝らし、生真面目に手間をかけて花の調理をしたがった。
一騎が口にするこれらの花も、全て総士自ら温室や花壇で農薬や科学肥料を一切使わず、丁寧に手間隙かけて育てたものだ。
とても珍しく貴重なオールドローズも、自家栽培が難しいとされる希少種の花々も、毎日惜し気もなく一騎の食卓に上る。
汚れの無い自然の中でしか自生出来ない一騎を、人の手で維持するには、手間も時間も労力も財力も何もかもがかかり過ぎるのに、総士がそれを苦だと思っている様子は一切無い。
身にあまる程に大切にされていた。
だから忘れろと言われても、つい思い出してしまうのだ。


以前いた場所とは何もかもが違う、と。


ここに来る前の一騎は欲深く醜悪な人間達に、見世物や私欲の道具、研究材料や加虐の対象として自由を奪われ管理されていた。
珍しい人と花の野生のハイブリッド種。
一騎は生まれながらに人間の形をした『花』だった。
人の手が及んでいない水も空気も綺麗で清らかな地に、ひっそりと一人きりで静かに暮らしていたのに、開発と称し森を侵した人間に見付かり囚われてしまったのだ。
物珍しさと純朴で儚気な容姿。そして何より一騎が発する『花』の芳香に人間達は惑わされ狂るっていった。
彼が自らの意思で分泌するとされる花の『蜜』には不老不死の力があるとされ、人間達は一様にそれを欲しがったのだ。
しかし例えどんなに求められ虐げられても、一騎は人間達を頑なに拒否し続けた。
けれどそれでも悪趣味を極めた彼らは、嫌がり拒む一騎の維持にどれ程手間と金がかかっても、決して手放そうとはしなかった。
どうやら彼らにとって、一騎と言う『花』はただそこに存在するだけで、価値のある生き物らしい。
強制的な生命維持を施され、プランターと呼ばれる硝子ケースに閉じ込められ、人工的なライトを浴びせられた。チューブに繋がれ無理矢理に水を送り続け、農薬交じりの苦い花の食事を毎日強要される。
日増しに悪化する彼らの醜悪さを眺めながら、人間に対して侮蔑と嫌気が増していったそんなある日の事、彼は突然やって来た。
人間達を冷酷に残虐の限りを尽くして嬲り殺し、その場所から一騎を奪い去った美しい男。
彼はこの城へ一騎を連れ帰ると、何の説明もしないまま囲って甘やかし育てはじめたのだ。

最初は所有者が代わっただけで、総士もあの連中と同じだと思っていた。
きっと優しくして懐柔する気だと警戒したが、彼は一方的に与えるばかりで一向に服従させる事も虐げる事もなく、ましてや見世物にされる事も、『花』の恩恵を強要される事も無かった。
ただこの美しい楽園で大切に大切に育てられるばかり、その事実に一騎は戸惑うしかない。
ここには一騎を繋ぐ冷たいチューブも、人工的で無機質な光や恐ろしい暴力も、農薬に塗れた苦い花の食事も存在しないのだ。
あるのはただ一騎を護り慈しみたいと、不器用な男が沢山の優しさを、溢れんばかりに分け与えてくれるのみ。
人間に対してあれ程までに恐ろしく残忍だったのに、一騎に対してどこまでも紳士的で過剰な程に総士は過保護だった。

そしてそんな彼が一騎に望んだ事はたった一つ…


――ただ側に居て欲しい


大切にする、痛い事も辛い事も怖い事もしない。だから自分を恐れずに側にいてくれと。
それ以外は望まない。いや、それだけが自分の望みなのだと、あまりにも必死に言うものだから困惑しつつも絆されてしまう。
本当は初めて見た瞬間から、総士のその美しさと圧倒的な存在に、惹かれていたとは言えないままに…。
美しく他者を圧倒し畏怖を与えるその姿、惜しみ無く注がれる愛情、不器用で愛おしいその心。総士と言う存在に触れれば触れる程、綺麗で恐ろしくて美しいまるで神様みたいだと、…そう思ったのだ。

気付けば連れ去られた筈の一騎の方が、総士に深い執着を募らせる様になってしまっていた。



誰も気付きはしない。



『花』が『神様』に恋をしてしまっただなんて。





「ごちそうさま」

「もう良いのか?」

「うん、お腹いっぱい」

「そうか。なら紅茶を飲むと良い」


手摘みの薔薇を乾かした花びらと、砕いた花の実をポットに入れ、注がれた湯は鮮やかな紅色に染まる。
カップに注がれたお手製のローズティーを飲み干すと、それは一騎の舌で甘く柔らかで優しい味が広がる。


「美味しい」

「そうか、良かった」

「なあ、総士」


不意に思い出した様に一騎は立ち上がると、飲み終えたカップを目の前の銀のトレイに置き、それを手で押し退けテーブルの上へと自ら腰掛けた。
食卓の上に乗った一騎の意図を察し、総士は複雑そうな面持ちと視線で窘める。
けれど一騎は『どうぞ』と言わんばかり嬉しそうな笑顔で、総士に向かって両手を広げて見せた。


「総士も食事の時間だろ?」

「………」

「ほら、早く」


中々こちらに近付こうとしない総士に一騎は焦れた。


「…なら、こうするしかない」


トレイに乗せられているカトラリーのナイフへ手を伸ばし、躊躇う事なく一騎はそれを己の喉元へ宛がい一思いに引いて見せたのだ。

――パタタッ

と、白いテーブルクロスに真っ赤な花びらが散る。
正確には赤い液体が落ちてクロスに染みたが、辺りには鉄臭い血の匂いではなく、濃厚な花の香りが充満していた。


「ッ!?一騎!お前は何度そんな事をしたら気が済むんだ!」

「この前よりは上手に出来ただろ?」


先日も切っ先の歪な園芸用具で肌を傷付け、跡が残ったらどうすると叱られたばかりだった。
切り口が鋭ければ跡も残りにくいと考えてナイフを用いたのに…と、一騎は不思議そうに首を傾げる。
総士が叱った理由を一騎は分かっていたが、あえて理解していない振りをした。


「とにかく手当を」

「嫌だ。これは総士の食事だから」


純白のナフキンで血を拭おうとする総士の手を、一騎はやんわりと拒む。


「僕は餌として一騎をここへ連れて来た訳じゃない」

「うん、知ってる」

「お前を傷つけたり痛みを与える気もない」

「けど俺は総士がくれる痛みなら欲しいよ。本当はこんなナイフじゃなくて、その牙で噛み付かれたい」


血の匂いに当てられて総士の薄い紫だった瞳は真っ赤に変質し、端整な唇からは犬歯と呼ぶには鋭過ぎる牙が覗いていた。
肌を刺す様なビリビリする気配は先程の殺気に似ていたが、これは餓えによる欲の放出だろう。
生き血を求め、獲物を圧倒し蹂躙する獰猛な支配欲。闇に生き冷酷な孤高の種族。人とは異なる生き物、ヴァンパイア。
総士はその中でも高位の貴族と呼ばれる特別な種だった。
長命で知識も異能力も財力や他の生き物への影響力さえ、何もかもが桁違いの存在。そうでなければ一騎を囲ってこんな贅沢に暮らしたり出来ないだろう。


「この前も言った筈だ、恩や義理を感じて自分を犠牲にする必要は無いと。僕はお前を眷属化して支配するつもりはないし、餌となる生き血なら下等な人間からいくらでも奪えば良いだけだ」


その言葉に一騎は切な気に唇を噛んで見せたけれど、次第にクスクスと肩を揺らして笑い出す。
一騎は確かに助けて貰った事に感謝していたし、大切に花として栽培され慈しんでもらえることに恩や義理を感じていた。
でも彼が総士にいくら咎められても、繰り返しこうするのはそんな感情からでは無かったのだ。

ポタポタと血の色の花びらがクロスを汚し、白い首筋に赤が伝うけれど一騎は気にも留めず、楽しそうに嬉しそうに悦びをあらわに笑い続けた。


「…何が可笑しい」

「ごめん、総士。でももう手遅れだろ?」


謝罪と許しを求めまる様で、それでいて無邪気な仕種で一騎が総士の首へ腕を回す。
そのまま背後に倒れ込もうとし、食卓の天板にしたたかに打ち付ける筈だった後頭部を、寸前で総士が受け止め押し倒す様にテーブルクロスに縫い留める。


「どう言う意味だ」

「とっくに自覚しているはずだ。もうずっと人間の血なんてまずくて飲めてないのに」

「何故…」


お前がその事を知っているのかと、言葉は紡がれる前に喉の奥で潰えた。
それはここ最近総士に起こった急激な変調。誰にも知られぬ様に隠していた秘密だったのに…。

それまでは質の良し悪しで味の好みは多少あったものの、普通に餌として摂取していた人間の血液を、総士は全く受け付けなくなっていた。
どんな獲物の血を啜ろうとも、生臭くとてもじゃないが飲めたものではない。
急激な味覚の変化にあれこれ調べてみたが、原因は分からないままだ。
しかし空腹を覚えた頃に、こうして一騎が自らを傷つけ分け与え様とする血液だけは、何故か拒絶反応が出る事はない。
それどころか初めて摂取した人を模した『花』の血は、人間のそれとは比べものにならない程に甘美で魅力的に感じた。


「総士、俺達は綺麗で美しくなければいけないんだ。魅了して愛される事こそが『花』の役目で本分だから」


美しい姿や可憐な姿で視覚を奪い、芳しい香りで臭覚を奪い、甘い蜜や果実で味覚を奪い、その存在全てで生き物達の心を奪う。
手折られ共に遠くへ運ばれるために、食べられ野へ還り種子を芽吹かせるために、ただただ美しく気高くあらねばならなかったのに…


「なのに俺は醜く嫉妬した。恨んで憎んで許せなくなった」


そう、一騎は許せ無かった。

恋い慕う綺麗で美しくしい己の神様が、あんな醜い人間の血を吸わねば生きられないヴァンパイアである事が。
そして何より我慢ならないのが醜悪だと嫌悪した人間に、よりにもよって嫉妬なんて『花』としてあるまじき醜い感情を覚えてしまった事だ。
故に一騎の矜持は醜い嫉妬を抱いた事にとても耐えられ無かった。
愛おしい、愛おしい、出来るならば自分が餌となりたい、何故自分じゃ駄目なのか?何故総士を生かす糧が己では無いのか?悔しい、悲しい、妬ましい。
そんな感情から偶然を装い自らを傷付け怪我をしてみせた。『花』である自分の血液でも彼の糧になれるか確かめるために。
結果はすぐに分かった。自分の血の匂いを嗅いだだけで、総士の食欲は煽られ今の様に瞳と犬歯が変化を抑えられなくなった。
彼は歓喜した、自分にも総士の贄となり得る資格があった事に。
そして良くも悪くも植物の気質を強く持つ彼は素直で残酷だった。
考えて考えて考え尽くして、思い到ってしまったのだ。

自分の『願い』と総士の『望み』を同時に満たしてしまえる方法を。

『花』である一騎が自分の意思で分泌する特別な『蜜』には不老不死の力がある…、なんて言うのは人間が勝手に言い出したただの妄言だ。
総士の様な規格外のヴァンパイアですら、不老ではあるが血に餓えれば死んでしまう。ちなみに一般的に弱点とされる、日の光も銀の銃弾も十字架すら、彼には効果を成さない。

閑話休題、とにかく一騎はあくまで人と花が掛け合わさっただけの存在だ、不老不死の力なんて宿るはずがなかった。
けれど『花』であるからこその、特殊な力は持っている。


「誰にも秘密にしてたけど、俺の花の『蜜』には不老不死なんて力は無い。ただ口にしたどんな相手も虜にする、魅了の効果があるんだ」


うっとりと可憐な花の笑みで言葉を発する一騎を、総士はただ黙って見詰めていた。


「例えば汗や涙やこの血液の一滴でさえ、俺が自ら意識して他者に与えた体液は、全部俺の花の『蜜』になる」


無理矢理採取した体液にはその効果は無く、あくまで一騎が意図して分け与える事が条件とされる。
つまり一騎から時折与えられたあの血液は、知らない内に総士を蝕み魅了し虜にしていたと言う事らしい。
屈強な精神を持つヴァンパイア相手に、その心や精神まで虜にする事は出来ない事は分かっていた。だが肉体的にならば中毒を引き起こさせ、物理的に魅了出来るかもしれない可能性に一騎は賭けた。
脆弱な人間が口にしていたなら、虜になった者達は身も心もその命すら捧げ、一騎を盲信し意志の無い下僕になり果てると言う。つまりその気になれば、彼の蜜を求めた者全てを意のままに操れるのだ。
ならば何故彼の蜜を欲する人間を、一騎は虜にしなかったのか?
わざわざ拒み囚われ虐げられ続けたのか?


「一騎、お前…」

「みんな欲しがったけど気持ち悪くて嫌だったんだ。でも、総士は違う、綺麗な綺麗な俺の特別」


『花』は美しくとても誇り高い生き物だ。時にそれは傲慢で愚かで憐れなまでに、自分達は美しく咲き他者から愛されるべきものであると、信じて疑わない。
そしてそんな『花』を愛でるのは、やはり「誇り高く美しい者」が好ましく相応しい。
物言わぬただの植物の花ならば、愛でられる対象をえり好みなど出来なかっただろうが、生憎と一騎は人の形を模し感情と意志を持った『花』だった。
絶対にあんな汚れた連中を虜にして、『花』として慈しみ愛でられる位なら、繋がれ虐げられていた方がいくらかマシだっただけ。
下賎な者を虜にしそれらに愛される位ならば、無様に虐げられ粗雑に扱われ散る事を選ぶ程に、『花』の気質と矜持は高く傲慢で憐れな程に潔いのだ。
しかし逆にもしそんな高い矜持の御眼鏡にかなってしまったとしたら、それはどれ程の執着と情愛を抱くのだろうか。
結果として、総士は知らない内に一騎によって他の者の血を二度と受け付け無い体にされてしまっている訳だが…。

とにかく一騎と言う『花』を食べる事でしか、総士はもうその身体を保つ術を無くしてしまったのだ。


「…」


無言のまま探る様な視線を向ける総士の耳元で一騎が告げる。


「愛してる、総士」


あの日、総士が何故あの場所にいた自分を攫いに来たのか、何が目的でここに連れて来られ、こうして優しく囲われているのか、ずっと気になっていた。
助けて貰ったまま、詳しい事を聞けずに恋をしてしまったから、余計に真実を知るのが怖くもあった。
ヴァンパイアは不老だが不死では無い。だから花の『蜜』が目当てで一騎を奪ったのかと思ったが、総士にそんな様子は微塵も無い。
『花』としての自分に興味があるのかとも思ったが、一騎の体調や健康を保つ以上の関心を寄せる事も無い。
そして餌として連れて来られた訳でも無い。

結局総士が一騎に望んだ事と言えば、側に居て欲しいと言うたった一言だけ。
総士が何を目的としているのか分からないままだったけれど、今となってはもうどうだって良い些細な事だ。
優しくて何でも出来る癖に酷く不器用な性格、一騎の美しく恋しい大事な神様。
その気になればこんな脆弱な『花』なんて、一瞬で散らしてしまえる力と残酷さを持ちながら、自分を大切にしてくれる美しい人を一騎は愛している。
世話をされ愛され執着されるべき『花』が、逆に世話をする者を愛し執着を覚えてしまった。
しかし綺麗で純粋で素直で、無垢な純度の高い想いが美しく優しい等と誰が決めたと言うのだろう?
考えてみて欲しい一切の混じり気の無い絶対な愛情や思慕なんて、そんなものはもしかしたらただの狂気と何が違うというのかを…


「お前の願いを叶える事で、虜にした償いはする。だから選んでくれ、総士」


一騎の『花』としての寿命が尽きる有限の時を、最後は餓えて共に心中するのが一つ。
噛み付き眷属とする事で、ヴァンパイアの不老を与え永遠の時を、総士の餌として共に生きるのが一つ。
こうすれば二度と愛しい神様を人間の血で汚されずに済むし、どちらに転んでもずっと側に居てくれと言った総士の願いを叶える事が出来る。


「愛してると言った同じ口で、僕に死を誘うのか?」


どちらを選ぶのかと一騎が待っていると、それまで沈黙していた総士が、あまりに重々しい響きで言葉を紡ぐ。
あまりにも静かでそれでいて温度を感じさせない響に、激しい恋患いを暴走させていた一騎も、思わずビクッと肩を跳ねさせる。


「か弱い花かと思えば、とんだ激しい咲き方をするんだな。お前は」

「……っ…」


大人しい顔をしてここまでの事をやって退けた癖に、総士の言葉一つで不意に怯えた顔でこちらを煽る。
急に先程までの勢いを失い、しおしおと萎れて見える一騎に、総士は複雑そうに苦笑を浮かべた。


「好都合だ。ただ予想外の誤算だが、願ったり叶ったりだな。少々軌道修正が必要だとは思うが…」


そう呟きながら総士は食卓から半身を起こし、一緒に一騎も引き上げてやると、手早く首の切り傷の止血をし始めた。


「血、…飲まないのか?」

「安心しろ、その件に関してはお前の提案に乗ってやる」

「じゃあ俺を噛んでくれるんだな?」


まるで花が咲いた様にパッと嬉色の表情を浮かべた一騎に、総士はアッサリと首を横に振る。


「いや、お前を眷属にするつもりは無い」

「…」

「拗ねるな」


あからさまに不満ですと言わんばかりの顔をするものだから、うっかりと可愛くて総士は困ってしまった。


「食事なら他の方法でも可能だ。それに僕はお前を伴侶にするつもりでここに連れてきたんだが?」

「え?」

「娶って妻にするつもりで奪った」


何を言われたのかと予想外の言葉に、一騎は間の抜けた顔でポカンと口を開け、すっかりと固まってしまっている。


「まだ人間に受けた心の傷も癒えていないだろうから、僕としては気長に長期戦を視野に入れて、ゆっくり求婚するつもりだったんだが…」

「…あ、えーと。…きゅうこん…球根?」

「違う、プロポーズの方だ」


微妙なイントネーションの違いでボケを一刀両断し、総士は再び深い深い溜息を漏らしながら、キュッと一騎の鼻先を摘んでやった。


「結婚してくれと言っている」

「あ…え……総士は俺の事…好きなのか?」

「………あからさまな程好的に接したつもりだったが、まずそこからなのか?」


明確に恋愛的な意味で好意を口にはしてはいないが、それでも過保護が過ぎる程に溺愛して育て世話してきたつもりだった故に、総士は思わずその場に突っ伏したくなった。
その様子に一騎はワタワタと慌てて必死に首を横に振る。


「流石に嫌われては無いとは思ってたけど。でも俺は『花』だし…、価値を保つために大事にされてるだけ…とか?」

「好きでも無い者をこの城に住まわせたり、世話したりする酔狂な趣味は生憎僕には無い」

「そ、そっか」

「しかしまさか告白と同時に餌の人間に嫉妬してるから、心中するか永遠に一緒に生きるか選べとは…」

「…総士が人間の血を飲むのは嫌だ」


ぷいっとそっぽを向き独占欲を見せた姿は酷く幼くて、止血し終えた総士は上機嫌で一騎の手を取り、まるでご令嬢をエスコートするかの様な仕種でその手を引いた。


「まあその話しも今から寝室でゆっくり聞かせて貰おう」

「寝室?何でそんな所で…」

「今日からそこが僕の食卓になるからな」


一騎はチラリと天蓋の付いた大きな自分の寝台を見遣るが、総士の足はこの部屋を出ようと扉へ近付いている。
促されるまま付いていく先は、どうやら総士の私室のベッドらしい。


「下僕や眷属からただの糧として血を啜らなくても、食事をする方法なら他にもある。お前を伴侶とし不老の力を分け与え、尚且つ痛みを与える事もない。」

「痛くないのか?」

「ああ、むしろ気持ち良いだろうな。極めて合理的だろう?」

「それは、そんな方法があるなら…」


曖昧な総士の言葉に首を傾けるばかりの一騎に、今度は総士が秘密を打ち明ける番だった。


「一騎、一つ良い事を教えてやる。ヴァンパイアも相手を虜にする能力は非常に長けているんだ。お前達『花』の魅了とは少々異なるが、強制的に隷属させる以外にも強力な催淫効果を伴う」

「?」

「まあ、有り体に言えば発情を促す。そして僕らは血液じゃなく相手の体液からも食事をする事が可能だ」

「へ!?…そ、それって…」


流石に鈍い一騎でも、これから自分の身に何が起きるのか察したようだ。


「お前を抱いて僕の伴侶にする、いいな?」


問われているのにそれは絶対的な響きでもって他の選択肢を否定した。
ゾワッと、本能的な恐怖と高揚感。何かが自分の中に流れて、満ちる不思議な感覚に一騎は襲われる。


「………ッ……あ、れ?」

「理性と羞恥を取り去ってやる。お前が望む通り愛してやるから、僕にどうされたいのか言ってみろ」


総士の赤い目が妖しく輝いた気がした瞬間、一騎の思考はとろんっと溶けてしまっていた。
まさかヴァンパイアのこの赤く変質した瞳にさえも、強力な魅了の力があった事を知るのは、淫らに身体を暴かれてしまった後になるのだが。


「…食べて、総士。早く俺を全部食べて、お前のものにして欲しい」

「やはりこの眼を使ってもお前には意味が無いな」


魅了しようがしまいが、一貫して己を食べろと訴える一騎の頬を総士は愛おし気に撫でる。

醜悪な人間達に囚われている稀有な『花』の存在を噂に聞いたのは偶然だった。
何事にも興味の薄い闇の眷属たる総士の心は、その『花』とやらに強く反応を示し、気付けば方々捜して回っていた。
恐らく伴侶に相応しい者の気配を察知した、ヴァンパイアの強い本能と堪だろう。
予感通り総士は一騎を一目見て気に入り花嫁にすべく連れ去った。
最初は警戒されぎこちなく接っしていたが、徐々に見せてくれた無垢な無防備さや穏やかで優しい気質に、総士が恋に落ちるのに時間はかからなかった。
共に生活しすっかり溺愛を示すようになっても、人間に手酷く扱われた一騎はどことなく怯えている様に総士には見えた。
実際は新しく移った恵まれ過ぎた環境に、中々馴れず恐縮していただけだったのだが…。
そうとは知らない総士は過保護を深め、病的なまでに一騎を慈しむ結果となった。
人間以上に他者を威圧したり畏怖させてしまうヴァンパイアだが、しかしあの愚かな人間達の様に、一騎へ無理強いする等と言う選択肢は微塵も無い。
まして噛み付いて血を奪い支配したり、この魅了の力で伴侶たる一騎の心を手に入れても、総士には何の意味も無かった。
残酷で冷酷と称される半面、ヴァンパイアは伴侶を何よりも大切にする。
だから自らの意志で一騎が総士を欲して愛してくれるまで、どれだけでも待つつもりでいたのだ。
故に健気にもたった一言『ただ側に居て欲しい』と、必ず好きにさせてみせるからと不器用なりに想いを乗せて願った訳なのだが、こんなに早く一騎が恋に落ちてくれたのは嬉しい誤算だ。
まさか伴侶としてこの空腹を永久に満たす存在になって欲しいと求婚する前に、一騎無しではいられない体にされてしまうとは思いもよらなかったが。


「僕をこんな身体にした贖罪に、お前もじっくりその体で僕を味わい虜になると良い。さあ贖ってくれ、一騎」


手を引かれるがままの従順な一騎を、己の寝室へ誘った男は、とても美しい容姿をしたヴァンパイアだ。
血を求め、空腹に耐え切れ無ければ死んでしまう。
それでもやはり総士はこの楽園の主に相応しかった。

だって彼は未来永劫この褥(しとね)の食卓で、ただ一つの『花』を食べて生き続ける美しい存在…

たった一人一騎だけの、綺麗な綺麗な神様になったのだから。















――『彼ら』の体は『花』を食べなければ保つ事が出来ない。



これは誰も知らない二人だけの美し過ぎる食卓と『贖罪』の物語…















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食材(ショクザイ):料理の材料。多くの食材は、もとをたどれば動物または植物である。広義では調理前の食物、原料、餌、贄等を指す場合もある。

贖罪(ショクザイ):犠牲や代償をささげることによって罪過を購うこと。自分の犯した罪や過失を償うこと。広義では神の救済、償い、和解、ゆるしと同義である。

―――――――――――――――





END.








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