1 パートナーに任命します
耳を突き刺すような蝉の大合唱。
じりじりと肌を焼く容赦ない太陽。
青すぎる空を泳ぐのは、立体的な白い雲。
間違うことのない『夏』。
暑くて無意識に文句が口から飛び出してしまうが、これだけ綺麗な海を見ていれば、そんな気持ちも薄れてしまう。
……それでも、暑い。
暑いものは暑い。
吹き出す汗は簡単に止まらない。
ハンドタオルでそれを拭きながら足を進めた。
自分が今ここにいる目的を見失ってはならない。
迷い悩みながら覚悟を決めたのは、昨日のこと。
覚悟を決めたなら、あとはその道を迷わずに進むだけ。
「ファイト!」
耳の奥で江の声が聞こえた。
頼もしい友人の声を受けて、しっかり足を踏み出した。
「始めるんだ、ここから」
郁は鮫柄学園の前に立っていた。
長い髪は帽子に押し込んで、ボーイッシュなスタイルで男子校へ足を踏み入れる。
ドキドキよりもワクワクが勝っていた。
高校生活最後の夏休みだ。
もちろん勉強にも本気を出しているが、今しかできないことに全力で挑みたい。
やり残したことがあるなんて限られた時間の中でもったいない。
やれることは全部したい。
……と言っても、こんなことはかなり緊張してしまうけれど。
危険な綱渡りだ。
体育館へ向かうのが正しいかと取りあえずそれらしい場所へ足を向けた。
部活に精を出す高校生を横目に目的の人物を探す。
赤い髪は目立つはずだ。
きょろきょろと視線をあちらこちらに向ける不審者がよく見つかってつまみ出されないものだ。
妙なところに感心してしまう。
不意に目に留まった集団。
その中に赤い髪を見つけた。
本人かどうかわからないので、フルネームで声をかけることにした。
「松岡凛くんいますかぁー?」
いつもより声のトーンを落として呼ぶ。
ざわついていた空気が静まり返った。
いくつもの視線を一度に集め、そんなに見つめないでほしい……とかボケようかどうか悩んだが、さすがにそんな空気ではないため諦めた。
こんなところでボケる勇気なんてない。
実際かなり、いっぱいいっぱいだ。
「俺に用があるんだな?」
「そう」
「……わかった。お前ら後は適当にやっとけ」
江情報によると、彼は鮫柄水泳部の部長らしい。
郁と凛は彼らから離れ、人の気配が少ない中庭に移動した。
「名前は?」
鋭い瞳が郁を射抜く。
それに怯むことなく口角を持ち上げた。
それは挑発的な表情。
「白崎、郁。知らないかな?」
「知るかよ」
「……」
「……悪ぃ。知り合い、だったか?」
そんな風に気を遣わなくていいと思う。
所詮自分は駆け出しのアイドルだ。
デビューして間もないし、テレビなんかまだその他大勢軍で二回しか出演していない。
雑誌もマイナーなところにちらほらだ。
「改めて。私の名前は白崎郁。岩鳶高校三年生兼アイドルの卵です」
「アイドルの卵? で、その卵が何の用だよ。……女、で間違いないよな?」
「……男の子に見えない?」
「見えない」
男装というのは、なかなかに難しいものだ。
上手くやれたと思ったけれど、まだまだ修行が足りないらしい。
次は……。
「何かどうでもいいこと考えてねえか?」
「き、気のせいだよ?」
声が裏返った。
ポーカーフェイスを心掛けながら微笑む。
「松岡凛くん。貴方を私のパートナーに任命します」
「……まったく意味がわからねぇんだが」
「確かにね。詳しい話はどこか別のところでしようよ」
無視されても仕方がない誘い。
それに凛は素直に従った。
(2015/08/08)