あの子が今日も笑っていますように


音が聞こえる。

カツカツと靴を鳴らす音。

胸騒ぎのように響く靴音から隠れるように息を飲んだ。

やがて訪れた静寂にようやく呼吸を取り戻した。

肺に溜めてあった重苦しい空気を吐き出すと、ほんの少しだけ体が軽くなったような気がした。

それは気のせいというのだろうけれど。


「ミカエラ」


花が綻ぶような声音で名前を呼ぶ。

甘い毒のようだと思いながら、ミカエラは振り返った。


「やあ、アンジェ」


努めて明るい声を出す。

違和感マックスの不自然さに声を出した本人が肩を落とした。

彼女をかわすための方法だったはずなのに。

逆に興味を持たせてしまっている。

事実アンジェは一歩足を踏み出していた。


「ミカエラ……。体調悪い? 血が足りない? 飲む?」


アンジェは腕まくりした手を彼に差し出す。

さあ飲んでというシーンを作られたところで、ミカエラのリアクションは一択だ。


「いらない」

「そっか……」


あからさまにがっかりされてしまうと、何だか罪悪感が生まれる。


「ミカエラは幼女以外興味ないんだよね……」

「違う!」


全身全霊、全力で否定しなければならない。

何故こんなに体力を奪いに来る少女なのだろう、アンジェという人物は。


「冗談なんだから、本気にしないでよ」

「……冗談に聞こえないんだ」

「本気な時もあるから」

「……」

「今のは冗談だよ? 本気じゃないよ?」

「そう願うよ」


ため息混じりにそう答え、ミカエラはアンジェの隣を通り過ぎ……ようとした。

腕を掴まれた。

振り払えるほどにか弱い細い手。

けれどそれをしないのは、彼女とそれなりの時間を過ごしてきて邪見に扱えないからか。

ミカエラは掴まれた部分に視線を落とす。

他人が見たら冷気のような冷たい視線を。


「ミカエラ、聞いて」

「何を」

「私は祈るよ」

「誰に? こんな世界を望んだ神にかい?」

「……私たちに」

「え?」

「私は吸血鬼を倒したい」

「自分も吸血鬼なのに?」


アンジェはそうだねと笑った。

人間のように豊かな表情。

それはアンジェの魅力か弱点か。


「じゃあ、吸血鬼を滅ぼしたら、私も死ぬ。そうね、ミカエラの手で殺してほしいわ」

「……」

「これは、本気。それを望む」

「お断りだ。アンジェの命なんていらない」


生きていてほしい。

素直に言えなかったが、アンジェにはこれで伝わるだろう。


「……生きていけないよ、私は」

「アンジェ」

「私は……吸血鬼(わたし)を殺したいんだよ」


自分が嫌い。

それは殺したいほどに。

今生きていて良かったと思えるのは、ミカエラといる時だけかもしれない。


「アンジェ」


愚かな言葉を吐き出すしかできない口の傍――頬をぎゅっと握った。

「ちょ、ミカエラ?」

「アンジェ。言って良いことと悪いことがあるってさすがにわかるだろ?」

「……。でも……」

「この話はもう終わり。行こうか」



***



「優ちゃん……」

「優一郎くん……?」


二人の前に現れた少年。

二人が知る頃より随分成長しているけれど、間違いない。

しばらくして、二人に気づいたらしく、優一郎の目が大きく見開かれた。



(ああ、これは夢だ)



アンジェは言い聞かせるように呟いた。

自分に都合よくできた夢なんだ。

無事に生きていてほしいと願った、都合良い夢。


「ミカ……、アンジェ……」


幻聴まではっきり聞こえた。

こんな幻は要らない。



(私はずっと祈っている。優一郎くんが笑っていられる世界[げんじつ]を)



あの子が今日も笑っていますように


title:icy



(2015/09/20)


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