金色の魔法使い
「涙を忘れる魔法を知っているかな?」
誰も来るはずのない場所。
突然声をかけられたら、驚く。
慌ててその雫を拭き、振り返った。
綺麗な金髪を持つ青年が、そこに立っていた。
時間が止まったような不思議な感覚。
木の葉舞う風が流れる時を自覚させた。
「君は、ロッティの友達だったよね」
わずかな沈黙の後で、口を開いたのは彼だった。
悪戯に距離を縮めたりせずに。
「ロッティ……?」
「シャルロットだよ」
「貴方、彼女の何?」
「自己紹介が遅れたね。私はジャック=ベザリウス」
聞いた事があるような、ないような名前だ。
曖昧な記憶なのだから、そんなに大事な事ではないだろう。
「お嬢さんのお名前は?」
「……アンジェ」
ファミリーネームは好きじゃない。
だから、名乗らなかった。
ジャックはそんな事など気にしないようで、良い名前だと優しい笑みを向けてきた。
今まで出会った人物と少し違う。
それだけで、心はこんなに踊るものだろうか。
「貴方……」
「ん?」
「変わってるわね」
「そうかな」
困ったように笑いながら、頭をかいた。
彼はその距離が決められた物だと言うように、正確に守る。
何だか、それがおかしかった。
「それで、貴方はシャルロットの何?」
「何だと思う?」
「質問に質問で返すの? そうね……。ただの顔見知りなんじゃない?」
「……」
あからさまに残念だと言う仕草。
もっと別の答えを期待していたようだ。
精一杯考えた答えなのに、失礼な態度だ。
「貴方みたいな人、多分彼女は嫌いよ?」
「そうかな」
「そうよ。それで、ジャックさん」
「何かな?」
常に浮かべるその笑みは、クセなのか。
どこか違和感を拭えない。
だが、初対面の人間にそこまで干渉しなくてもいいだろう。
「どうして、私に声をかけたの? 紳士は女性の涙を見て見ぬフリをするものじゃないの?」
ジャックは肩を竦めて、ゆっくり近づいてきた。
そして、アンジェの耳に赤い花をさす。
ジャックが触れた耳が熱い。
耳元で聞こえる風に揺れる花がうるさい。
「……慣れているわね」
「そうかな。気のせいだよ」
「そういう事にしておくわ」
いつの間にか消えてしまった涙の気配。
それは、彼のおかげという事にしておこう。
「アンジェ」
「何?」
「私は好きだよ」
「……何が?」
相変わらず優しい笑みを浮かべたまま。
何を言いたいのか、分からない……いや、分かるような気がした。
しかし、それを無視する。
「ジャック」
「うん?」
「呼び捨てにされても、気にしないのね」
「私の方が先にアンジェと呼んだから」
「そう言えば」
気にしていなかったが、確かにその通りだ。
「貴方、本当何しに来たの?」
「アンジェと話をする為に来たんだよ」
「……そう」
風が吹けば、木の声が聞こえ、甘い花が香る。
ただ、人が好んで来るような場所ではない。
特に貴族なんかは。
木が枠を飾る空。
少し遠く見える空を見上げ、その空気を思い切り吸い込んだ。
「ありがとう、魔法使いさん」
「……魔法使い?」
「ええ。貴方は、そんな感じだわ」
「じゃあ……」
ジャックは跪き、手をとったかと思えば、優雅に唇を寄せた。
あまりにも自然だったので、驚く事も忘れてしまった。
「アンジェはお姫様だね」
何を言っているんだ、この男は。
パシリッと手を払う。
「バカじゃないの!?」
バカなのは、分かりやすい動揺をしている自分の方だと思う。
思ったのだが、悔しかったからそう言ってやった。
「そうかもしれないね」
アンジェが初めて見る、影を落とした表情。
それは幻のように一瞬で、すぐに笑顔へと変わっていたが。
「この後、お茶でもどうだい?」
「全力で遠慮します」
「残念。それでは、失礼するよ。またね」
曖昧に、頼りなく、次の約束に繋がるような言葉を残す。
アンジェ、と最後にまた優しく名前を呼んで、彼は立ち去った。
「何だったの、あの人……」
アンジェの疑問に答える者は、この場にいなかった。
up 2009/08/18
移動 2016/01/23
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