「及川先輩、結弦はもう帰りましたか?」 「ああ、うん。走って帰っちゃったんだけど、なに、金田一、何か用でもあったの?」 試合が終わった後に二人が練習した後、金田一は登場したのだが、そのころにはすでに結弦の姿はなく、金田一はホッとしているのか怒っているのかわからない表情で俯いた。 「俺、あいつが部活辞めた後、あんまり口きいてなかったんですよね」 「うん、そうみたいだね」 「いつも俺から話しかけてたから、話しかけないようになったらあいつから話しかけてくれるかも、って思ったんですよ」 「…うん」 「でも、結局あいつから話しかけることはなかった。唯一目があったのさえ消しゴムを拾ってくれたときとプリントを回すときだけでした」 「………」 及川が無言で頷くと、金田一は及川へ向かい合って、じっと目を見つめた。それはまるで、自分がほしかったものを目の前にいる人物が与えられていたかのように。それは、羨望だった。 「俺、及川先輩が羨ましかったんです。結弦が自分から話しかけるただ一人の人だったから」 「金田一は、その、結弦のことが好きなの?」 恐る恐る聞くと、金田一は少し考えた後に縦に首を振った。及川はそれを聞いて、自分の中にもやもやとした感情が沸き起こるのを感じた。 「だから今日結弦に告白しようと思ったんですけど、返事に期待は出来ないし、結局試合も負けちゃったし、かえって良かったのかもしれませんね」 「…そうだね」 うまく笑えない。 及川徹は自分の魅せ方を完璧に理解している。それにもかかわらず、魅せる方法を忘れてしまうほどに困惑していた。 それは、良くも悪くも彼自身も結弦に執着しているからに他ならない。 引き留めてしまってすみませんでした、と律儀に謝る金田一を帰すと、及川は夜久結弦のことを思い返していた。 ーー及川徹は夜久結弦に嫉妬していた。しかし、それと同時に同情していた。 夜久結弦は“なんでもできる”人種であった。及川が初めて結弦の名前を聞いたのは、確かサッカーの表彰のときだっただろう。 しかし、バスケットボールの表彰でも彼の名前を聞いた瞬間に、大体のことは推測がついた。そして彼に同情したのだった。 それからバレー部に勧誘して、そこから嫉妬が生まれた。自分がさんざん練習して手にした技術を彼はいとも簡単にやってのけた。しかし、彼があまりにも無防備に自分になついてくるものだから無碍には出来なくて、ついに今にまでなってしまった。 本当に心から慕われているのだと思う。けれど、結弦はいつまでも嫉妬の対象から離れない。 もし彼に才能がなかったならば、いつまでも可愛い後輩のままだっただろう、と思ったが、彼に才能がなかったならば、こうして出会うこともなかっただろう。 今日のレシーブも、前よりも遙かによくなっていた。負かしたい、と言ったときの彼の顔は今にも泣き出しそうだった。迷子になった子供のような不安そうに揺れる瞳は、自分の責任でもある。自分が手を差し伸べなければ彼は期待をすることもなかったのだから。 「…才能なんて持っちゃって、可哀想に」 消費され続ける彼を思って、及川は目を閉じた。 20130308 |