「…及川先輩はまだ来てないのか」


 ウォームアップをしている選手たちをちらりと一瞥して、俺は溜息を吐いた。向こうのチームには金田一の姿も見えたので、無意識に顔を背ける。後悔などないはずなのに。
 もう一度青葉城西のチームを見ると、国見が金田一に耳打ちをしていた。何事か、と思ったが、耳打ちをされた金田一がぐるりとこちらを見たことにより謎は解ける。


「…はあ」


 なんとも言えないような顔をしてこちらを見つめる金田一に、俺は以前のようにへらりと笑った。こうした方がいいと思ったからだ。しかし、金田一は目を吊りあがらせて俺を睨んだ。


「あとで話がある」


 口の形から察することしかできなかったが、そう言っていた。
 やっぱり、あのとき勝手にバレー部をやめたこと根に持っていたりするのだろうか。


 しばらくすると試合は始まり、飛雄と“本物”が相手を翻弄している。奇異なものは、まず人を驚かす。まだ相手が慣れない速攻を武器に二人は進んだ。

 けれど、まあ、及川先輩が出てきたらあっという間だろうけどね。なんて内心思ってたりして。


 最終ゲームを前にして、及川先輩はようやく現れた。ギャラリーの女子の悲鳴に俺は機嫌を悪くしたが、及川先輩が俺に気付いて名前を呼んでくれたことで直った。我ながら単純だ。


「及川先輩、見てますから!」

「うん!終わったら練習やってく?」

「良いんですか?ぜひ!」

「じゃ、ちょっと待っててね!」


 ギャラリーとコートとの間で会話をした。恥ずかしかったけれど、嬉しいから仕方ない。緩む頬を手で押さえて、俺は及川先輩のウォームアップ姿を眺める。…あ、足を痛めてたんだな、と見ていてわかった。しかし、治療をしたならば平気だろう。及川先輩は抜け目がないから。


 最後、あと数点というところで及川先輩は登場した。あの強烈なサーブを月島に叩き込んでいる。月島と“本物”はレシーブが苦手なようだから、格好の標的である。


「…目の色が、変わった」


 気付いたときには試合は終わっていた。勝者は烏野高校。


「お疲れさまです、及川先輩。足は大丈夫ですか?」

「やっぱりバレてた?平気平気、そのために試合に遅れたんだから」

「…そうですね」

「じゃ、そろそろ練習する?」

「はい」


 俺と及川先輩の練習はただのサーブとレシーブの練習だが、なにぶん威力がすごい。なので、これをある程度こなせるようになれば、大体のサーブをこなせるようになる。もちろん変化するサーブはそれぞれの練習が必要ではあるが、もう必要ない。

 ジャージを持っていなかった俺は及川先輩のジャージを借りることになり、内心喜びまくったのは秘密だ。試合には及川先輩のファンがたくさん応援に駆けつけていたが、その中でも及川先輩への愛の大きさは負けることはないと自負している。


「…あれ、この前はこのくらいのボールはとれなかったよね?」

「俺だって練習くらいしますよ」

「部活はやっていないって聞いたけど」

「従兄弟の家に遊びに行ったときに連日バレーをしていたので…」

「(そんな、一朝一夕で身につくものじゃないはずなんだけどな)そういえば飛雄ちゃんとは最近どう?」

「相変わらずですよ…この間なんか敵でしたもん」

「敵?」

「バレー部に助っ人として呼ばれたんです」

「で、どっちが勝ったの?」

「俺が勝ちました。情報戦の段階ですでに有利でしたしね」

「あー、結弦はどこでもやれちゃうもんね。飛雄ちゃんの負けたところ見たかったなあ」

「俺は、及川先輩に負ける飛雄が見たいですけどね。きっと悔しがるでしょう」

「うん、ぜひ負かしたいよ。でもね、俺は、同じくらい結弦を負かしてあげたいって思うんだよねえ」


 俺を負かす?及川先輩が?


「…俺、とっくに及川先輩に負けてますよ。戦う前に戦意喪失です」

「そこなんだよねえ。俺は正々堂々と負かしたいのに」

「本当に…勘弁してください…。俺、そういうの、特に、及川先輩に敵意とか向けられたらって思うと…もう…」

「結弦は俺のどこが好き?」

「へ?」

「俺のどこを見て懐いてくれてるの?」

「…それは、周りに慕われているところとか、めちゃくちゃ強いところとか、ふざけているように見えて実は真面目なところとか、優しいところとか、よく周りを見ているっところとか、実はマメなところとか、」

「ストーップ!もういいよ、ありがとうね。まあ、こんなに慕われて悪い気はしないんだけどね。でも、俺は結弦が知らない悪いところもたくさん持ってるんだよ」

「似合わないのに悪ぶってるところも好きです。本当に好きなんです。嫌われたら俺生きていけません」

「…ありがとう。でも、そういうのは、好きな子が出来たら言ってね」

「そうですね、すみませんでした」


 恋をしたことがないから恋愛感情というものはわからないけれど、及川先輩に対してのこの感情が一番重いことには気づいていた。



20130302

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