「はい、松風くん。どうぞ」

ふわふわと微笑む菫色のひとは当たり前みたいにいま買ったチョコレートの箱を俺に差し出した。昨日あたりから霧野先輩や浜野先輩あたり相手にはよく見ていた光景だったけど、まさか自分にくるとは思ってなくてぽかんと呆ける。

「…いらない?」
「いえ!いただきます!ありがとうございます!」
「ふふ、どういたしまして」

今朝一番にくれた秋ねぇや、今日は会えないかもしれないからって昨日くれた葵の表情とはまた違う、とても満足げな茜さんはそのあとすぐにシンさまに渡して、ってあきらかに本命っぽいかわいい包みを差し出して来たからああ目的はこっちかって思ったけどまあいいや、すごく嬉しい。もともと甘いものが好きっていうのもあるけど、義理だってなんだってこんな特別な日にチョコレート貰えたら心はふわついちゃうよねやっぱり。

「わかりました、渡しておきますね」
「…名前は言わないでね?恥ずかしいから」
「えっ 、でもそれじゃあ…」
「いいの。ふふ、お願いね」

引き留める間もなくどこか楽しげな雰囲気を漂わせて店を出た茜さんに、ほんとにいいのかなあってかわいい包みとにらめっこをしてると閉店時間を30分過ぎてようやくお客さんが引いた店内に、霧野先輩の店閉めるぞーって声が響く。お疲れさまです!と頭を下げた俺にうーん、と背伸びをした浜野先輩が寄って来て興味深そうに手もとを覗きこんできた。

「おっ、それ本命?やるじゃん天馬!」
「違いますよ、神童さんに渡してくださいって」
「あー、神童、バレンタインは特にこっち来たがんないもんな」
「ん?でも天馬、お前それ山菜さんから貰ってなかったか?」

シャッターを下ろしてきた霧野先輩が帽子を外してヘアピンのあとを整えながら不思議そうな顔をしていて、浜野先輩も山菜さんの名前にびっくりしている。


「はい、そうですよ」
「あの人確か一昨日には渡してたぞ?直接」
「ちゅーか、あの人毎年一番だよな、神童に渡すの」
「うーん?でも確かに神童さんにって言ったんで一応…」
「ほらお前たち、片付け始めないか」

茜さんの意図はわからないけど、もしかしたら前に渡したのになにか不備があったのかもしれない。それで、また渡すのに直接も名前を出すのも恥ずかしいから俺に頼んだとしたら納得がいく気がした。だから俺はやっと終わったって安堵とうっすらとした隈を浮かべて厨房から顔を出した神童さんに駆け寄って、ちょっとしたキューピッド気分でどうぞと包みを差し出す。

「はい、どうぞ!神童さん!」
「は?…これは?」
「チョコレートです!受け取ってください気持ちたっくさん込もってますから!」
「はっ、いや、だが…」
「…いりませんか?」
「…っ!ありがとう。いただこう」
「はい、お願いします!」

なぜか頬っぺたがちょっと赤い神童さんが珍しくて、やり遂げたって気持ちがぶわわっと胸に広がった。よかった、後ろを振り向いたときにかわいそうな感じでこっちを見る二人がすこし気になったけど早くお店を閉めて休ませてあげようって気持ちで片付けに取りかかる俺を見る神童さんの目はいつもよりずっと優しくて、やっぱりいつもお菓子に囲まれた生活をしていてもこんな日にもらうチョコレートは嬉しいんだなあって、なんか俺まで疲れが吹っ飛んじゃった。




レジの計算が残ってるからってまだ帰れない霧野先輩と、逆に約束あるからって早く帰った浜野先輩がいないと必然的に帰りはひとりになる。厨房のひとが帰るのはいつも接客より遅いから。だから本当に、お疲れさまでしたーって頭を下げて出た裏口の前に南沢さんの背中があったときは驚いた。止まれなくてうわっ、と鼻先をぶつけた俺に振り向いたいまだに慣れないきれいな顔がおつかれって笑うからなおさら。

「おっ、お疲れさま!でっす!」
「ああ。お前も帰り?」
「はい!南沢さん、もですか?」
「そ。あとは俺やるから帰って寝ろってよ倉間が」
「優しいんですね、倉間さん」
「そうか?動かねえ俺が邪魔だったんだろ」

南沢さんはすごく疲れた表情でそんなことを言ったけど、違うと思う。倉間さんは本当に南沢さんを慕っていて、これが師弟関係ってやつなのかっていつも感心しちゃうもんなあ。素直じゃないけど、いつも南沢さんのために気を使っている倉間さんがほんとはちょっとうらやましい。この店で働いて1ヶ月にはなるけど、南沢さんとはどこか壁があった。はじめからなのか、あるいは俺のいままでの行動に原因があるのかはわからなかったけど。

「お前こっち?帰り」
「はい。ご一緒していいですか…?」
「どうぞ」

ほらまたふいと視線をそらす。はじめの頃はそんなことなかった。むしろからかいの一環なのか俺の姿を見つけるたび楽しそうに絡んでくれていた、からやっぱり俺がなにかしたんだろうか?うーん…わかんないや。俺は昔から今しか見れないから。だから向こう見ずな恋を追って、アルバイトを始めたんだから。


「あっ、み、南沢さんはなんでショコラティエになったんですか?」

たっぷり二分は無言だったふたりの間にせめてと不意な話題を投げる。いや、ずっと気になっていたことだけど。


「…気になんの?」
「はい」

すうと細めた眼差しで俺を見た南沢さんは、静かに空を仰いだ。俺もそれを追う。もうずいぶん暗くなっているのに星は遠い。この距離がこっちに来て何年も経つのにいつでも悲しかった。

「……さあな。忘れた。いつのまにかここにいて、いつのまにか居すわってた。神童に引っ張られて来たばっかの時はいつでもやめてやる気でいたのにな」
「それってチョコレートが好きだから、ですよ、きっと」

言葉のわりに後悔は含んでいなくて、はあと漏れた白い息も、過去から目をそらす仕草もいままで見たことないものだった。そういえばはじめてみる、店から一歩出たところの南沢さんを。…それなのにやっぱりチョコレートに思いを馳せる視線は柔らかいかったから、心から、ちょっとだけ嫉妬も感じながら言った俺に、南沢さんはびっくりしたみたいに目線を下げて、瞬いて、わらう。

「…そうだな、結局、好きだからか」

自分から聞いたことなのにドキドキしてた、俺は。ごめんなさい。やっぱりいろいろぶっ飛ばしたところで南沢さんが好きだった。運命みたいな硝子越しの憧憬を見た日から、ずっとずっと。チョコレートを見るときの真摯な表情を、俺にも向けてくださいって小さく贅沢な思いばっか抱えて、なにも言えないきりだけど好きだった。

「ほら聞いてるか?松風」
「うわっ」

ぐしぐしと俺の頭を撫でる南沢さんは知らない。きっとまだ言えない。…なんとかなるかな、この恋だって。

「ちょ、いたいいたいいたいですって!南沢さん!」
「ははっ、そうだおまえ。ホワイトデーは用意しとけよ」
「ええっ、もらってないですよ俺!」
「客から俺が作ったショコラもらっただろ?」
「もっ、もらいましたけど!なんか違います!」

なんの心構えもしてなかった要求に慌てたって、南沢さんは同じだろと笑うだけだ。あああ、この人はほんとずるい!俺の心臓うるさくする方法ばかり知ってるんだよな!

「ま、来年のバレンタインでもいいけどな」
「え…?」
「じゃ、俺こっちだから」

ひらりコートの裾をはためかせてまっすぐ行く俺の歩みから外れた南沢さんは、発言の意図も説明しないまま立ち尽くす俺をそのままに去ろうとして、コツンとかかとを鳴らし立ち止まって振り返る。入ったばかりのころ、楽しそうにからかって来ていた時と同じような…でもなんだろうちょっと、あまい?チョコレートみたいな。

「また明日な、てんま」

そうしてまほうにとらわれた。あまくて苦いショコラティエの魔法。気のせいかな、浮かれた帰り道の星は少し近くなっていた。








(ハッピーホワイト。あなたにあげます私にください)


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