違和感。ロッカーで会ってからの天馬を一言で表すならそれだ。どこか気遣わしげな言葉じりと、やけに西園や影山とだけ絡みたがる態度。別に声を掛けた瞬間、西園とのパス練に逃げられたことを気にしているわけではないが普段遠慮ってものを知らない奴だけに心配にならなくもないということだ、先輩として。

「…神童くんがいなくてよかったですね」

 結局、西園と影山との三人でのパス練に収まった光景を柔軟の傍ら眺めていた速水の呟きには肯定しか示せない。幸いなことに、神童は霧野を(正確には逆だ)引き連れ監督たちとフォーメーションの確認とかで不在だった。

「あー、なるほど。どうりで平和なわけだわ…ま、それはそれで残念」

 朝練で言ってただろうが、とつっこむより、後半の言葉に信じ難いと目線を向ける。あれがここにいたとして、いかに練習どころではないかと身に染みているはずではないのか。こいつバカか…ああ、バカか。

「…浜野くん、きみいつからそんな鋼鉄の神経持ったんですか?」
「へ?え、あー、いや、別に深い意味はないっちゅーか…」

 あきらかに口が滑りました、と云う顔をした浜野になるほどお前が原因かと感づく。そういえば昼休みあたりからいつも以上に締まりのない表情をしていた、がまあ、ならたいしたことではないだろう。逆に剣城や神童あたりが原因でないことに安堵すべきだ。とはいえ一応言及はしておこうと口を、開きかけたときだ。

「ありがとう!きょっ、京介…?」

 影山がミスしたボールを蹴り返した剣城への礼 に不穏な爆発物がまざっていた。そりゃあもう、普段はクール気どってる生意気な後輩がみるみるうちに顔を真っ赤にしてグラウンドから走り去るくらいの。

「あっ!おい、京介え!どこ行くんだよ!」
「うるせえだまれ気安く呼ぶなああぁあ」

 おお、見事なドップラー効果。俺から立ちこめる殺意に似た不機嫌にそろり逃げようとした浜野の肩をがしりと掴む。

「説明、してくか、今度神童が天馬に出したパスをカットしに行くか選べ」
「待て待って落ち着けって!それ俺の首がカットされっから!」

 関係ない速水ごと顔面蒼白になりながらの説明によると、あれは常々浜野が得意気に見せてくるスマートなケータイのアプリ、ゲームが提示した罰ゲームらしく、曰く「今日一日、普段名字で呼んでいるひとを下の名前で呼んでドキッとさせちゃおう(はぁと)」であると。

「それを素直に実行中、てことか」
「ああ…剣城くん呼んでふっ切れたみたいですね。狩屋くんが動揺してます」

 いままで、名前自体を呼ばないように気を遣ったり元から下の名前で呼んでいる西園や影山とだけ関わっていたのが面倒になったのか羞恥はまとめて捨てるに限るとばかりに事情の読めていない先輩たちから呼びに回っている。それが、いかに人の心を荒らすかもわかっていない純真な目で、普段無い刺激を楽しむようにすり替えて。

「どうした、騒がしいぞ」

 太一先輩、と困惑顔の三国さんを悪ノリした西園と影山で囲んでいるときに、ファイルと凛々しさを手に戻ってきてしまった我らがキャプテンに無邪気な1年組以外が凍りつく。

「さっき剣城が全速力で走って行ったが…それ関係か?」

 ここに来る前から良い予感はしていない、とでも言いたげなしかめ面の霧野と、天馬を視界に入れただけで柔らかな雰囲気を纏う神童。動けない俺たちの合間を縫い、ふたりに嬉々として駆け寄った天馬はいつも通り礼儀正しく頭を下げる。

「お疲れさまです!拓人せんぱい!蘭丸せんぱい!」
「ああ、おつか……」
「…どうした急に」

 見事なまでに固まった神童とすこし瞬いただけでなんとなく事情を察したらしい霧野に、罰ゲームです!ときらきらしく答えた天馬にも前者の反応はない。ああこれしばらく戻ってこないな、と全員で重々しい安堵を吐いた。

「あとは、っと」

 既に罰ゲームの真意を見失った爽やかな晴天がこちらを捉える。剣城、狩屋、先輩や一乃たち、神童、霧野と辿って来たら確かに残るのは俺たちだけだ。

「海士先輩…ってのは、もう言いましたよね」
「おう。楽しそうじゃん、あんな渋ってたのにさ」
「えへへっ、ちょっとくすぐったいですけど…せっかくの機会ですから!」

 ぐっと握った拳のポジティブさはもはや尊敬に値するものだ。躊躇いのなさの使い道を誤っている気がしないでもないが、笑顔はかわ…いやいやいや。ここは既に機能していないキャプテンの代わりに、先輩としてたしなめるべきではないか。でもそうすると、剣城と狩屋は認めてしまうようで癪だが別に天馬が嬉しそうに誰かの名前を呼ぶたびムカムカするとか、それが理由じゃないしな。ただ馴れ合いじみたことが、嫌いなだけだ。
 つるまさ先輩!と言いにくそうな舌足らずを横へ受け流し苛立ちを昇華しようと努めながらよし、と仁王立ちで踏ん張り顔をあげる。

「おい!天…」
「はい?ええと…てん」
「のりひと!だ!」

 叱りつけようとした口は、教師が何度とした間違いにより身に付いた反射に遮られた。なんだこれわざわざ正すとかまるで呼んで欲しいみたいじゃねえか、ちくしょう!
 ぱちりぱちりと瞬いたまあるい瞳があれれとごめんなさいのあとには喜色を帯びて、そう読むんですか、とはしゃいだ。

「なんかカッコいいですね、典人さんって!」

 正しくは、カッコいいのあとに「名前」がつく。それはわかっている が、思わず息が詰まって上がる熱。初めて名前関連で親に感謝したがそれよりまたなんで俺は「さん」なんだおまえは本当にわけわかんねえ!
 反応出来ない俺をしり目に、ほわほわと達成感で満足げな天馬の背後から、ぶわり明確な殺意の花が咲く。あ、ああ、忘れてた。

「さっき監督と話し合って、おまえに特別メニューを用意したんだが…やるよな?のりひとさん…?」
「えええ、典人さんだけですか?ずるいですよ…」
「天馬は俺と一緒にパスの特訓だ」
「え、きゃぷ…拓人先輩とですか?やったあ!」

 同じ音の連なりでも、ここまで天と奈落を表せるものなのかと、身体中を伝う冷や汗がいっそ痛い。がんばってくださいね、とどこまでも鈍感な天馬の笑顔で意識を繋ぎ止めながら、ちゃっかり早々に退避していた浜野には早速ふたりのパスをカットしに行かせることを決意した。











(飲み込めなかった非日常)