黄昏時の淡い光に融かされるように引き寄せられた掌に名を与えるならば、きせき とそう呼ぶのだろう。ふたり揃って頬を染めうつむいた帰り道。つい先ほどまで今日明日の練習について絶え間なく続いていた会話は途切れ、幕引き近い蝉時雨だけが狭い隙間を縫った。

「…神童先輩」
「は」
「って、呼んでもいいですか。手を繋げたら呼ぼうって、決めてたんです」

 きれいに整備されたコンクリートから真昼の空のような眼差しを上げて、真剣に見つめられる。汗ばんで、ぎう、とすがる指。逆光。抗うように強かな瞳の奥が、かすかに揺れているのが見えた、から、幼子をみるように眦をさげた。

「…好きに呼んでくれ」
「はいっ、ありがとうございます!」

 夕陽に縁取られ咲く笑顔。夏の日差しのように苛烈で、秋の涼風のように爽やかなそれは言葉より確かな輪郭を持ってこの距離に存在する。奇跡しか知らなかった、この幸福を示す言葉を。

「それでいつかは」
「はい?」
「拓人と呼んでくれるか?」

 誰もいないわけではない帰り道。時折、訝しげに十の指を凝視していく視線すらいまこの幸福には勝てない。付きまとう羞恥も背徳もいまだけはぜんぶ噛み砕いてしまおう。昨日がかつて今日であって、明日がいまになったように今は今しかないのだから。

「は、はい。え、ええっと…たっ」
「ちょっと待て。今じゃなくていい…いつかでいいんだ」

 そうやって、明日も明後日も夢を見たい。登りきって転がるだけの恋ならば、せめてゆうるりゆるりと歩みたい。少しでも長く、繋ぎ止めているために。

「あ、じゃあキスが出来たら呼びま…いだだっ!」
「そういうことは思っても口に出すなっ…!」

 たしなめに力を強め掴んだ指先をゆるめる。先ほどまで手を繋いだ恥ずかしさで俯いていたはずの淑やかさはもう影も形もない。走り続ける俺の心臓が馬鹿みたいだ。

「ううう…キャプテンが振ったのに…」
「話を混ぜるな。呼び方戻ってるぞ」
「…はーい、わかりました、神童せんぱい」
「天馬、お前態度が霧野や浜野に似てきたな…」

 どちらかとは言わず、二人ともの影響だろうが随分と態度が軟化してきた。部活中のけじめはきちんとつけているために敢えて持ち出すことはしないしこうやってプライベートで近づけていることは嬉しくもあるが、それでも複雑だ。幼なじみや同輩が、自分よりも影響力があるような気がして。

「そうですか?うーん…やっぱり半年も一緒に練習すると似たりするんでしょうか」
「そういうわけではないだろうが…そうか、もう半年か…早いな」

 陽射しが少し優しさを思い出したり、布団が恋しくなったり、流れる四季をすべてサッカーに捧げていたために感覚がどこか鈍ついている。そういえば、空が闇に身を委ねる間が確実に早まっていた。だからこそ繋げた、掌だったのだ。

「もう夏も終わる」

 頬を撫でる、冷ややかさを含む風。後悔のない、澄んだ気持ちでこの季節を終えることができるなど去年は想像だにしなかった。もうすぐに秋が来る。天高く馬肥ゆる、愛しい後輩の名を形容に要する季節。

「はい!サッカーしたくなる季節になりますね!」
「おまえは、季節関係なくそうだろう」
「へへっ、はい!」
「…なんなら少し、練習して帰るか」
「ええっ、いいんですか!?やったあ!」

 世界はきらめいている。来年のことも五年後のことも、いつまでこのままでいられるかだなんて考えなくてもいいんだ。
 未来はそう、いまの延長線上。

「あ、じゃあ俺の家でやりましょう!なんなら夕飯も食べて行ってください!」
「…いや、それはさすがに突然過ぎないか?木野さんにも迷惑だろう」「大丈夫ですよ!秋姉もきっと…いえ、絶対喜びます!」

 心の底から楽しそうに笑って、小さい子供のような爛漫さで手を引かれる。沈み行く夕陽が夜を連れてくる前に、繋いだ手が消えないうちに。この足跡の先に永遠がないからこそ、俺たちはいまに生きていける。

「明日も一緒にいましょう、神童先輩!」
「ああ、天馬」








(毎日、あしたの約束をしましょう)


110908/ふたりの幸福へ捧ぐ





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -