額に張り付いた雨水を拭おうとして腕を掲げれば、目の覚めるような青色が目に飛び込んできた。
それでようやく、いま着ている服が自分のものではないことを思い出した。

赤青白の鮮やかなトリコロール、学校中の誰もが憧れる、限られた人しか着られない特別なジャージ。
それを、今、私は身に纏っている。
その事実だけで胸が高鳴り、身の縮むような思いになる。私は自分の体を小さく抱きしめた。

「寒いか?」

指先でシャツの二番目のボタンを外しながら、手塚くんは私に声をかけた。私は勢いよく首を振って苦笑いした。

事の発端は、本を抱えて運んでいた私を手塚くんが見つけて、親切にも手伝ってくれたことだった。
彼は一人では大変だろう、と私が持っていた本を殆ど持ってくれた。
二人で他愛ない話をしながら焼却炉に本を運び、教室に戻ろうとした矢先のことだった。
何だか空模様が怪しい、と思った時にはもう土砂降りの雨が降ってきた。でも、焼却炉は校舎や建物から離れた裏庭にあるから雨宿りする所はろくに無い。どうしよう、とおろおろする私に手塚くんは着ていたジャージを被せ、私の手を引いて人気のない物置の軒先に駆け込んだ。


「雨の予報は無かったのにね」

手塚くんは私の言葉にああ、と頷いた。そして空を見上げ眉間にシワを寄せた。

「このまま雨宿りした方が良さそうだ」

彼の顎からは水滴が間断なく滴り落ちている。雫が落ちたそばから、また雫が生まれてぽたりと落ちる。
作られたように綺麗な輪郭が、水の筋でくっきりと浮かび上がる。

ポケットを探りハンカチを引っ張り出した。
端が少し濡れているけれど、顔を拭るくらいなら充分使えそうだ。

「俺はいい、朝倉が」

「いいの」

有無を言わさず、ハンカチで彼の頬をゆっくりと拭った。こうでもしないと受け取ってもらえなさそうだから。

「ジャージ、かなり濡れちゃったね」

ごめんね、と呟くと、彼は小さく首を振ってハンカチを私の手から受け取った。

「気にするな、朝倉は濡れてないか?」

「大丈夫だよ」

ならいい、と彼は眼鏡を外しハンカチで目元を押さえる。
その様子が何とも言えず、思わずじっと見入ってしまった。
外に跳ねている癖のある髪も、いまは水を含んでしなりと垂れ下がっている。
いつも手塚くんは折り目正しくしゃんといているから、ギャップも相まって尚更色っぽく見える。

「止まないな」

「そ、そうだね」

惚けて見つめていたところに急に声をかけられびっくりして、声が上ずってしまった。
何を考えているのやら……私は何だか居た堪れなくなり、身じろぎした。
その時に、手塚くんの指に自分の指が掠った。

「あ、ごめんね」

「構わない」

それから互いに黙り込んでしまった。何をしたという訳ではないけど、今日何度目かの沈黙が気まずい。二人きりで雨宿りというこの状況、それだけで、それだけで精一杯なのに。私、どうすればいいんだろう、いつまでこのままなんだろう。正直、私の心臓がもたない。

「朝倉」

ため息をつきかけた瞬間、手塚くんの熱い指が私の手の甲に触れた。
ほんの指先で、肌に指を滑らせるように。撫でるだけで破れてしまいそうな脆いものに触れるかのように、そっと触れた。

思わず顔を上げれば、目の前に手塚くんの顔があった。
驚いて仰け反りそうになった、反射的に目を逸らそうとした。でも、彼の真っ直ぐな視線がそれを許そうとしなかった。
騒々しい雨は、ほぼ全ての物音を遮っていた。
雨音と、彼の吐息と、自分の心臓の音と、本当にただそれだけだった。
きこえるもの、みえるもの、この二つは、完全に彼に奪われてしまった。

声を出すのも息苦しかった。声を出した瞬間、全てが崩れてしまうような気がした。それでも、彼の名前を呼ばずにはいられなかった。

「手塚くん」

ふ、と微かに彼の目元が緩んだ気がした。
と思った次の瞬間、彼の顔が近づいてきて、固くて冷たいものが額に触れた。

これは彼の眼鏡だ、と思った同時に、今度は何か柔らかくて温かい感触がした。

柔らかくて、温かい。ああ、これは、唇だ。私は、今、キスされているんだ、彼に。

さっきまであんなに動揺していたのに、キスをしていると分かると、何故か安心してしまった。
今、自分は、手塚くんと、キスをしている。心の中で反芻する度に、波打っていた心が静かにおさまっていくのを感じる。

目を閉じてそのまま微動だにせずにいると、彼はゆっくりと唇を離し、私の頭を自分の肩に押し付けた。

「このまま」

彼は途中まで言いかけて、黙り込んだ。一時の沈黙が流れる。雨音は、まだ激しいままだ。

「このまま、雨が止まなければいい」

彼の声は決して大きくはなかった。でも、優しくて、低くて、激しい雨の中でもはっきりと聞き取れる程に凛と澄んでいた。

「……うん」

私は頷いた。それしかできなかったからじゃない。本当に心の底から、私もそう思ったから。
そのまま広い肩に頭を預け、雨音と彼の吐息の音に耳をすませた。
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