まだ少しだけ湿っている髪を手櫛で梳いて、ベランダの窓を開ける。
外は思っていたよりも涼しくて、室内との温度差に思わず首を竦めた。
夜の風は澄んでいて、色んな物を運んでくる気がする。
囁きのような町の喧騒、時折訪れる静寂、冷たさ、暗闇、月や星の瞬き。
それら全ては優しさを孕んでそっと私に寄り添ってくる。あの人のように。
取り留めも無いことを考えながらぼんやりしていると、後ろから不意にカラカラと窓が開く音がした。
「湯冷めするぞ」
少し呆れた、でも優しい口調で国光が部屋から出てきて私の頭に手を置く。
それがあまりに嬉しくて思わず顔を綻ばせたら、彼も微笑みを返し私を後ろから抱きしめてくれた。
背中からじんわりと体温が伝わってきて、暖かい。
「そうだね」
私は逞しい腕を抱くようにそっと手を添え、私達の間に流れる濃密な空気にすっかり酔いしれた。
そして思わず左の掌を天に翳してみる。
左手の薬指を包む結婚指輪は、柔らかな黄金の月光を一杯に受けて、まるで幸福そのもののようにきらきら輝いた。
結婚指輪を貰ってから、この動作がすっかり癖になってしまった。それはもう無意識に、一日に何度も何度も。
「…やっぱり、冷えているだろう」
国光が痺れを切らしたように空に浮かぶ私の左手を捕らえた。
私のより一回り大きくて、暖かくて、骨っぽい、大好きな手が私の手を包む。
「まだ部屋に入らないのか?」
「もう少しだけ」
甘えるように胸元に顔をすり寄せれば、国光はため息をついて空を仰いだ。
濃紺のビロードの上に細かいダイヤが自由に散りばめられたような、静謐な美しさが水平線の向こうまで広がっている。
「何億光年も先から、俺達を見ているのかもしれないな」
遠い昔を懐かしむように夜空に目を凝らす彼の姿は、何だか無性に切ない。
「じゃあ、地球もあの星みたいに輝いて見えるのかな?」
努めて明るく言えば、国光は微笑みかけて私の手を取り、薬指の銀の環に口づけた。
彼の突然の行動にすぐ反応できなくて、でも恥ずかしくて、じわりと顔が火照りだす。
「ああ、きっと羨む程にな。こんな風に」
国光はゆっくりと私の指輪を人差し指で撫でた。
指輪は応えるように柔らかな光を放っている。
「もう休もう。明日は忙しくなる」
そんなふうに耳元で諭すように囁かれてしまえば、優しく頬を撫でられてしまえば、私はただ首を縦に振るしかない。
でも明日の式が待ち遠しい、でもずっとこのままこうして空を見つめていたい。
贅沢で幸福な悩みに思わず溜息をついたら、少し困った顔で微笑む国光に頭を小突かれた。