微かに瞼を上げると、俺の隣で眠るユイが目に入った。
いつも微笑みを絶やさないユイが、穏やかな寝顔を浮かべている。その表情は繊細な作りの人形のように整っていて、生気すら感じられない程に静かだった。
「ユイ?」
小さな声で名前を呼びかけるが返事は無い。
俺は思わず不安になりユイに手を伸ばす。触れた頬からは穏やかな熱が伝わってきて、俺は思わず胸を撫で下ろした。
「あまり、心配させるな」
そのまま軽く指先に力を入れて、頬の感触を楽しんだ。滑らかな肌触りと弾力につくづく感心する。
ユイは、何でも持っている。
柔らかな肌の感触も、指通りの良い髪も、身にまとった微かに甘い香りも。俺に無い物全てを持っている。
男と女というだけで、こうも違うのか。それともユイこそが持ち得るものなのか。それは分からない。分からないが、知りたいとは思わなかった。
俺は身を寄せて、手を伸ばしユイの体を締め付けるように抱きしめた。
ユイしか要らない。ユイ以外は知りたくない。
しかし、それはユイも同じなのだろうか。ユイも、俺しか要らない、と思っているのだろうか。
……我ながら傲慢で、女々しい考えだ。普段はこんなこと思い浮かべさえしないのに。
微動だにせず考え込んでいたら、腕の中でユイの体が身じろぎした。
「……ん」
「起こしたか、すまない」
俺は腕の力を緩め、ユイの顔にかかった髪を掻き上げる。
しかしユイは嫌がるように頭を背けて俺の胸に甘えるように顔をすり寄せるので、そっと頭を撫でた。
「今、何時?」
薄暗闇の中にぼんやり輝く、枕元の時計に目を向ける。蛍光色の文字盤は、一時過ぎを指していた。
「一時過ぎだ」
「じゃあ、日付変わった?」
「? ああ、そうだな」
ユイの答えが分かりきった質問に、俺は寝ぼけているのかと首を傾げた。
しかしユイは俺の胸元から顔を上げ、とびきりの笑顔を浮かべる。
「誕生日、おめでとう」
優しい、少し掠れた声が無音の部屋に溶けて消える。俺は驚きのあまり固まったが、すぐに我に返ってもう一度時計を見直した。
文字盤の下の小さな文字は、確かに俺の誕生日の十月七日になっていた。
「ありがとう」
自分でさえ忘れていた誕生日を、ユイは覚えていたのか。しかも、寝起きで意識がはっきりしていないのにも関わらず、日付が変わるのを気にして。
俺は胸にこみ上げるものをぐっと堪えてユイの顔を掌で優しく包み込んだ。ユイはくすぐったそうに、くすくす笑うと俺の手に自分の手を重ねる。
「明日は、お祝いするね」
彼女は目を細め、たどたどしく言葉を続ける。
「うなぎ買ったからうな茶作るよ、プレゼントもあるよ」
ユイの瞳は、これ以上無いまでに蕩けそうに潤んでいた。
それは宝石のようで、満天の星空のようで、例えようの無い美しい輝きを一杯に湛え、瞬いていた。
「そうか」
ユイが、好きだ。この上なく愛しい。
単純な感情が、とめどなく俺の心を満たし続け、行き場を無くして溢れていく。
「ユイ」
俺はユイの前髪を掻き上げて、その額に言葉と共に唇を落とした。
「愛してる」
ユイの手が、俺のシャツの襟を弱々しい力で掴んだ。
「国光、わたしも」
鈴の音のような声は、今にも消え入りそうな程に小さく存分に吐息を含んでいる。
「わたしも……」
ユイはそのまま瞳を閉じて、黙り込んでしまった。どうやら再び眠ってしまったようだ。
ユイの言葉の続きを聞くことはできなかった。
その答えを、俺は既に確信している。
でも、それだけでは満足できない。本人の口から聞きたい。
幸せになると、更に幸せを求めてしまう。
その欲望はとどまる所を知らない。全く困ったものだ。だが、悪くは無い。
俺は胸に詰まったものを吐き出すように、ゆっくりとため息をついた。
そして、ユイを胸に抱いて再び目を閉じた。