おちんちん☆らぷそでぃー
CP/B×A
人生そこそこ順風満帆。大きな失敗もつまずくこともなく、恋愛も学校もバイトも順調だ。でも順調すぎるこの人生、時折退屈になってしまうこともある。だから少し刺激が欲しかったのかもしれない。いつもならわざわざ声をかけることもなく見過ごしていただろうその場面、なぜか気が向いた。
バイトが始まる前に食材の買い物に出ていた俺は、通りで明らかにナンパされているのだろうその人を見かけた。遠目からだったがやたらと雰囲気がある人だなと、最初はなんとなくぼんやりと見つめていただけだった。
「突っぱねちゃえばいいのに」
迷惑なナンパなど下手に会話せずに突き放してしまえばいい、その方が相手も引き際がわかるというものだ。けれどその人は足を止めてしまっている。人がいいのか間抜けなのか判断するのが難しいところだ。いつまでも決定的な拒絶を見せないその人に、相手は押したらいけると踏んだのかおもむろに肩を抱いた。すると相手のそんな行動は予測していなかったのか、文字通りその人は顔を引きつらせ固まってしまう。このままではいいように言いくるめられ、どこかに連れ込まれてしまいそうだと思った。
「離してくれ!」
さすがに危機感を覚えたのかその人は声を荒らげる。そしてそんな様子を横目に通り過ぎるはずだった俺は、気がついたらため息とともに足を踏み出していた。
「ちょっと、その人うちのお客さんだから絡むのやめてくれない?」
放っておけない雰囲気があったのかもしれない。肩に乗せられた相手の手を払い、俺は決して細くはない身体を引き寄せた。驚いた表情を浮かべて振り向いたその人は、背丈は俺とさして変わらず、ほぼまっすぐに視線が合った。真っ黒な瞳が綺麗で、近くで見てもなかなかの美人だ。
「なんだお前」
「通りすがりのバーテン。悪いけどほかをあたってくれない? どう見ても合意じゃなさそうだし」
「なんだと!」
値踏みするように俺が上から下まで視線を送ると、それを侮蔑と感じたのか相手は眉を釣り上げて怒りをあらわにした。けれど常日頃こういった面倒な人間に接することも多いので、さして気にも留めず肩をすくめる。しかしそれがますます相手の癪に障ったのか、いまにも掴みかかりそうな勢いで睨まれてしまう。
「こんなところでやり合うのみっともないよ」
いかつい顔で睨まれているが、俺はふいと視線をそらした。そして周囲に視線を向ける。そこには男三人で顔をつき合わせているこの場面を興味本位で眺めている野次馬がちらほらいた。
「いい男は引き際が大事だと思うけど」
「ちっ、うるせぇ、クソガキが」
「はいはい、どーも」
なにかを言いたげに歯噛みをしたが、最後はありきたりな捨て台詞を残し足早に逃げ去っていった。散々粘っていたわりにはあっさりとした引き際だ。まあ、あれ以上絡まれて面倒になるよりはマシかと、俺は肩をすくめて男の背中を見送った。
「あの」
「ん?」
ナンパ男に解放されたその人は、少し困惑した面持ちで俺の顔を見つめる。その瞳を見つめ返すと、ふっと視線がそれて気まずそうに伏せられた。落ち着かない様子で長い前髪を耳にかける仕草と指先が綺麗だなと見ていたら、ますます視線が下を向く。そんな俯いた横顔も独特の色気があって、去っていった男が粘りたくのもなんとなく頷けた。おそらく本人に意識はないのだろうが、男ウケする雰囲気だ。
しっとりとした緩やかに波打つ黒髪、濡れたような黒い瞳は長いまつげにふちどられている。決して細いわけではないが、外気にさらされた首元が妙に色気を放っていた。
「ありがとう、礼を言う」
「いや、別にいいよ。でもおにーさん、この辺をふらふらしてるとまたさっきみたいなのに引っかかるから気をつけな。この通りはゲイが多いから」
「え?」
俺の言葉に心底驚いたような表情を浮かべたその反応に、ほんとの迷子だと気づいた。驚きで目を見開き丸くなった瞳がなんだか猫のようで可愛い。
しかしこんな男をフェロモンで寄せるような人が、警戒心なくここにいてあれだけで済んだのは不幸中の幸いか。この通りはぼんやり立っているだけでも客引きと間違えられて、男が品定めする眼差しで近づいてくるような場所だ。
「ほとんどがゲイかバイじゃないかな。たまには違うの混じってるけど。おにーさん気をつけなよ」
「非生産的だな」
「……まあ、ね。でもそういうこと、ここではあんまり言わないほうがいい。誰がそうかなんてわからないもんだしね。目の前の俺もそうかもしれないよ」
俺の言葉を聞きながら、彼は難しい顔をしてなにやら考え込んでしまった。
「どこかに行く途中?」
「……ここに」
少し逡巡した様子を見せながらもシャツの胸ポケットから小さな名刺を取り出すと、その人はおずおずと俺の視線の先へそれを差し出してきた。
「ああ、これなら通りを間違えすぎだな。ここから二本先だよ。おにーさん地図見るの下手だね」
差し出されたのは、ここからさほど離れていないところにあるワインバーの名刺だった。このあたりのバーは大体頭に入っているのですぐに検討がついた。それにしてもこうして小さな地図を持っているのに迷うとはとんだ方向音痴だ。
「送ってあげようか?」
「いや、結構だ」
「そう」
少しからかうように言ったら頬が赤く染まった。その横顔をじっと見つめると、居心地悪そうに視線があさっての方向へ流れていく。自分よりも間違いなく歳上な気がするけれど、思っていることが顔に出て可愛い人だと思った。
「手を」
「ん?」
困ったように眉を寄せ、ためらいがちにこちらを見る瞳を俺は首を傾げて見つめ返した。するとますます困惑したように瞳が揺れる。
「手を離してもらえないだろうか」
「あ、手ね、ああ、ごめん」
最初に引き寄せた時に抱いた肩がそのままだった。それに気がつき手を離すと、彼は遠慮がちに少しこちらに距離を置いた。絡まれたのを助けてもらったので言い出せずにいたのだろうか。随分と人がいい、というかよすぎる人だ。
「じゃあ、おにーさん気をつけてね」
「ちょっと待った、君どこのお店の人」
このまま顔をつき合わせていても仕方がないと、肩をすくめて踵を返そうとした俺の腕が、思いのほか力強く掴まれる。その手に驚いて振り返ったら、慌てたように放された。
「どこかのバーテンなんだよな」
ふっと視線が俺の頭のてっぺんからつま先まで流れた。視線の先にある俺の服装はいたってシンプルだった。白いシャツに黒のベストに黒のスラックス。
この界隈ならそこら辺にいそうな風体だ。俺自身の容姿に関してもそれほど派手さはなく、いささかチャラく見えるハニーブラウンの少し長めの髪をサイドに流している程度だ。天然物のパーマと明るめな色味こそ目を引くが、そこまでぎらついていないのでホストやクラブの黒服とは思われないだろう。
「うちはその店ほど気取った、いや洒落た店じゃないけど。機会があったらどうぞ。カフェバーだから軽食や甘いものが欲しくなったらうちに来てよ」
ポケットにしまっていた店の名刺を手渡すと、彼は目を瞬かせその名刺をじっと見つめていた。その姿に少しばかり名残惜しさを感じたが、これ以上は道草をしてはいられないと、「じゃあね」と声をかけて俺は足早にその場を立ち去った。
「名残惜しいか」
ふいに自分の感情に首を傾げてしまった。いままで相手に対してそんな風に思うことはほとんど、いや皆無に等しいほどないと記憶している。まわりにはいないタイプだったのでやはり物珍しかったのだろうか。しばらく考えてみたがよくわからなかった。少し振り返ってみたけれど、そこにあの人はもういなかった。
「啓、どこまで買い物に行ってたんだ」
のんびりとした足取りでバイト先まで戻ると、軒先で店長の柚崎が看板の電気を灯しているところだった。俺に気がついた柚崎は少し呆れたように肩をすくめ苦笑いを浮かべた。
「帰る途中で美人がナンパ野郎に捕まっててさ。迷子のその人に道を教えてきた」
「ふぅん、他人に興味ないお前にしちゃ珍しいな。よっぽど美人だったんだな」
「ん、まあね」
少し目を見開いて驚きをあらわにした柚崎の表情に、俺は曖昧な返事をしながら看板の足元にある階段を下りていく。そして木製の扉を引き開けて店内に足を踏み入れた。
開店間近なこともあり、店内は照明が落とされ艶やかなセピア色をしていた。落ち着いたジャズが流れるその場所はあと十分も経てば客がやってくる。
「ぼんやりしてるな、もしかして恋煩い?」
「え?」
いつの間にか後ろに立っていた柚崎が耳元で小さく囁いた。それに驚いたのか、その言葉に驚いたのか、俺は肩を跳ね上げて我に返った。どうやら店の入り口で立ち尽くしていたようだ。
「開店準備はよろしく頼むぜ」
そんな俺に片頬を上げて笑った柚崎は、俺の手にぶら下げられていたビニール袋をさらい、カウンターの奥にあるキッチンへと姿を消した。
なんだかよくわからぬままひどく調子を狂わされた気がしたが、そう思ったのはその時だけで、店が開店時間になるとあとはいつも通りだった。常連客の話を聞きながらカウンターの中で客の好みに合わせて酒を作る。シェイカーを振ることも多いが、カクテルの基礎であるビルド、ステア、ブレンドそれぞれの技法もひと通り覚えた。
ウィスキーは柚崎から指導を受けてまだまだ勉強中だが、有名どころに至ってはほとんど覚えた。
「糸瀬くん」
あともうひとつの仕事と言えば、時折名指しされてホールにオーダーを取りに行くことか。甘味もうまいと評判がいいので女同士のグループ客も多い。そういった客は柚崎か俺をオーダー指名してくる。若さが取り柄のバーテンか、壮年の色気が売りの店長かと品定めされるわけだ。
大学進学とともに始めたこのバイトは三年目、営業スマイルも板についたものだ。だから今日もそつなくこなし、いつもと変わらぬ一日を終えるつもりでいた。
「いらっしゃいませ」
けれど扉につけられたドアベルを鳴らして入ってきた客に気づき、視線を向けた俺は一瞬そのまま固まったように動けなくなった。
その場の社交辞令のようなものだと思っていた。名刺を興味深げに見ていたが、今日その日に来るとは思いもよらなかった。お互いそのまま忘れてしまうのだろうと思っていた。
「啓、お客様」
ふいに耳元で名前を呼ばれて、手にしていたグラスを滑り落とすところだった。ひとり慌てふためいている俺の横で、小さく息を吐きながら柚崎がカウンターの上にそっとメニューを滑らせる。
「こんばんは、さっきはどうも」
「いえ、無事にお店には行けましたか」
俺をまっすぐに見つめ、微笑んだその表情に言葉はそれしか出てこなかった。うまく愛想笑いが出来ていないのか、口元がなんだか引きつったような違和感を覚える。
「ああ、行けた。用事は早く済んだから来てみた。君、中と外だと雰囲気違うな」
「そうですか?」
「髪型、かな。髪の毛を後ろに結わえてるし、あとは話し方が違うからさっきと別人みたいだ」
「一応仕事なので」
頬杖をつきながら小さく首を傾げた彼は少し酔っているのか、ほのかに頬が赤い。酔うほどに誰と飲んできたのだろうと、余計なことが胸の奥から湧き上がって俺は瞬きをしてその感情を追い払った。
「どうぞ、キューバ・リブレです」
「ああ、ありがとう」
酔っている彼は初めて出会った時よりも饒舌だった。飲んでいない時と酔いが回り始めた頃では雰囲気が変わる。その変化はどこか無防備で、目が離せない気分にさせられた。
そんな彼がいつしか店の常連になった頃、少しずつ彼のことがわかり始めた。
名前は砥綿将吾、アパレルショップに勤めている。歳は二十九歳、俺の八歳上だ。店には週に二度三度、休みの前日は閉店近くまでいることが多い。けれど酒は好きなのだろうが強くはない印象だ。
「将吾さん、そろそろ」
「あー、うーん」
今日は休み前なのか随分のんびりしている。いつもより飲んでいる量も多い気がした。あまり飲ませすぎるのはバーテンとしては見過ごせないので、程よい加減でとめておくのも仕事の内だ。自分の限界を知っている相手には不要な配慮だが、彼は絶対にとめたほうがいいタイプだと思った。
「啓は明日も大学か?」
「え? ああ、午後からですけど」
「バイトが終わったら一杯付き合わないか」
思わぬ申し出に少しだけ心臓が動きを早めた。けれどそれとともに警戒心も芽生える。じっとこちらを見る黒い瞳はまっすぐと俺を捉えている。なんだか喉がカラカラに乾いたみたいな錯覚に陥り、思わず唾を飲み込んでしまった。
「将吾さん飲み過ぎじゃない?」
思う気持ちとは裏腹に言葉は警戒心を選んだようだ。顔を合わせる機会も話をする機会も増えて、自分の中にある違和感には気づいていた。それがなんなのかも気づいていた。けれどそれは手を伸ばしていいものではないのだということにも、充分すぎるほど俺は気づいている。
だから彼にこれ以上近づいてはいけない、踏みとどまるしかないのだ。
「なんだ俺とは飲めないのか? 柚崎さんの話ではお酒強いらしいじゃないか」
「今度ね、今日は飲みすぎだよ」
グラスに水を注いで差し出すと、彼は一瞬むっと顔をしかめた。けれどそれは見ないふりをして、俺は小さく笑う。それ以外に出来る反応が見つからない。こんなにも自分は不器用な人間だっただろうか。
「柚崎さーん、今日は啓を持ち帰りしてもいいか」
「ちょ、ちょっとなに言ってんですか」
閉店も近いので客は数える程度しかいないが、急に声を上げた彼に視線は自然と集まる。
「砥綿さんならいいですよ」
彼の声が響いたのかキッチンのほうから顔を出した柚崎は、なんてことないような口ぶりで快諾する。そしてそんな言葉に俺は軽いめまいを覚えた。急いで柚崎のもとへ行ってその身体をキッチンに押し戻すと、俺は思いきり目の前の肩を叩いてしまった。
「おいおい、そんな泣きそうな顔で見るなよ」
「誰がそんな顔にさせてるんだよ」
うるさいくらいに心臓の音が耳元で響く。どうしたらいいのかわからなくて、肩口に押し当てた拳を握り締めて視線を落としてしまった。
「脈はあるからちょっとは気合入れていけよ」
「は? なに言ってんの、あの人どう見たってノンケだろ。脈なんてあるわけないだろ。大体」
「しっ、声」
突拍子もない言葉に、まくし立てるような勢いで喋ってしまい、思わず声が大きくなりそうになる。けれど口元で人差し指を立てた柚崎の手のひらに言葉は吸い込まれた。けれどなんだかそれが悔しくて、奥歯を噛み締めてしまう。
子供っぽい感情表現なのはわかっていても、胸の中でくすぶる感情はなかなか消えてはくれない。目の前の人は自分よりもずっと大人なのだと嫉妬に似た気持ちが湧き上がってくる。
「しょげんなよ。俺が手放した意味ないだろ」
「……悪い」
額を指先で弾かれて言葉が喉奥に詰まる。けれど俺を見つめる視線には非難するようなものは欠片もなく、少しばかり呆れたような優しい色だけが浮かんでいた。
「わかればいい。まあ、俺はお前がまともな恋愛するまでの繋ぎ役だったからな」
「そういう言い方するなよ」
あの日あの時までなにもかもが順風満帆だった。なにひとつ不自由さも不足もなく過ごしていた。それなのにいつの間にか俺の中には行き場のない気持ちがあふれて、いまでは時折息をするのも苦しいほどだ。
大きな手のひらに久しぶりに頭を撫でられて、思わず鼻をすすってしまう。
「けーい?」
けれど自分を呼ぶどこか子供みたいな甘えた声が聞こえて、俺はその声にすぐさま反応してしまった。
「ほら、しゃんとしていけよ」
頬を軽く二度三度叩かれ、身体をくるりと反転させられた。そして押し出すように背中を叩かれて、思わず喉が熱くなりそうになった。
決して愛情がなかったわけではない。あの時まではまだ背中を押すこの手をこの人を愛しいと思っていた。けれどあの人に出会ってしまい、あの人から目が離せなくなってしまってからは、いままでの自分が足下から崩れ去っていくような気がした。経験したことのない高揚感、焦燥感。もどかしさが胸に広がる。
「なに、なんの相談?」
「将吾さんのウザ絡みにつき合って来いって」
「別に、嫌ならいいんだ。俺は無理強いしてるつもりないから」
ツンとひねくれたことを言う天の邪鬼な口も、もはや可愛いとしか思えない。大体こちらが本当に手を放そうとすれば、不安げな眼差しを俺に向けてくるのだ。さらに放置したならば見る間に自己嫌悪で肩を落とすことだろう。
「俺のマンション、この近くなんだけど。うちで飲みます?」
「学生の分際で、この近所ってことはいいとこに住んでるんだろう」
「まあ、そこそこ。どうします?」
脈が本当にあるなら思いきり押してやる。そう強気なことを思いながらも、少し逡巡した表情を見せる彼に表では涼しげに笑いながら、裏では俺の心臓はおかしいくらいに早くなっていた。握り締めた手のひらには汗が滲んでいる。
「明日休みだし、泊めてくれるなら行ってやってもいいぞ」
そしてその言葉に内心ガッツポーズをしてしまった。
バイトが終わり近所のコンビニで酒を仕入れると、店から徒歩十五分程のところにあるマンションにたどり着いた。親戚が海外赴任で家を空けるから、そのあいだ自由にしていいと言われた物件。大学生の一人暮らしには充分すぎるほどに広いリビングダイニングがある間取りだ。
「贅沢だな」
「適当に座って」
部屋に入るなり彼の第一声がそれで思わず笑ってしまう。しかも酔っているからなのか遠慮があまりなく、きょろきょろと部屋の中を見て回っている。そんな様子を横目で見ながら、俺はアイスペールに氷を入れてグラスを戸棚から取り出した。
「やらしい! ダブルだ」
「ちょっと将吾さん遠慮なさすぎ」
寝室に繋がる戸を勢いよく開いた彼の行動に苦笑いが浮かんでしまった。けれどさほど物もなく散らかっているわけでもないので、特別慌てることもない。手にしたアイスペールとグラスをリビングのテーブルに置くと、俺は彼に少しだけ歩み寄った。
「従兄弟の持ち家なんだよ。だからベッドは元々ついてたの。一人でダブルとか広すぎて寂しいくらいだって」
「そんなこと言って付き合ってる人くらいいるんだろう」
「え?」
話の流れでなんとなく呟かれた言葉なのかもしれないが、俺は過剰すぎるほどに反応を示してしまった。なぜそんなことを聞くんだろうと、胸がざわめく。付き合っている人がいたのなら、彼はそれをどう思うのだろうと、そんなことが頭の中をぐるぐると駆け巡る。
「いまは、いない。別れた。……好きな人ができて」
けれど駆け引きなどいまの自分には出来そうなくて、ありのままを告げるしかできなかった。そんな俺の言葉に彼は少し顔を俯けてなにかを考えているようだった。
「将吾さん?」
訪れた沈黙に胸が苦しいくらいに締めつけられる。目の前にいる人に触れたい。あなたが好きなのだと伝えてしまいたい。この人の前に立つと自分がわからなくなる。いままでどんな恋愛をしてきたか、そんなことも頭の中から抜け出てしまってどうしたいいのかわからなくなる。
「柚崎さんと付き合ってたのか」
「は? な、んで」
思いもよらない彼の言葉に頭の中が一瞬真っ白になった。彼の口からそんな名前が出てくるとは思わない。なぜそれを知っているのだろう。
「初めて見た時から、パーソナルスペース狭いなとは思ってたんだけど、そういうことかって考えたら納得いった。やたらと啓のこと詳しかったり、店長って枠だけじゃないくらい気安かったり」
「将吾さん、なに言ってんの」
「啓は俺のことどう思ってるんだ」
この展開はどう捉えたらいいのだろうか。いまここで正直に答えることが正しいのか、それとも嫌悪を与えないためにも誤魔化したほうがいいのか。急流にもまれたみたいに頭の中もぐちゃぐちゃになって、判断がつかない。けれど振り返った彼の視線がまっすぐに俺を見つめる。
「答えろよ」
「将吾さん? ちょっ」
ふいに伸びてきた手が俺の頬を包み引き寄せる。驚いて身構える俺のことなど気にも留めずに、顔を寄せた彼は俺の唇を奪った。
触れた唇は思っていた以上に柔らかくその感触に頭が少しくらりとした。唇をなぞるように動く舌先はアルコールの味がして、それだけで酔ってしまいそうになる。身構えていた身体はいつの間にか腕を伸ばし目の前の彼を抱きしめていた。
「……んっ」
唇を割り侵入してきた舌先を吸い付くように絡めとれば甘い声が聞こえた。その声がもっと聞きたくて彼の口内を撫で上げると、しがみつくように腕を伸ばしそれを首元に絡めてくる。
ぴちゃぴちゃと唾液が音を立てるほどに舌先を撫でて擦れ合わせると、下肢がずんと重くなる。無意識にそれを彼に押しつけたら、彼のそれもまた芯を持ち硬くなっていた。
「将吾さん」
耳元で名前を囁き、こめかみに口づけたらぎゅっと強く頭を抱きしめられた。
「好きだ。好き……将吾さん」
「そういうことは、もっと早く言え」
もつれるように寝室のベッドに倒れこむと、俺を見上げる瞳が少し不服そうに細められた。その表情はどこか色気があり、思わず手を伸ばしてしまいたくもなる。手のひらで頬を撫で、首筋を撫で、胸元に滑り落としても彼はその手を払うことはなかった。
「将吾さんってゲイ?」
「違う!」
一ミリの抵抗も見せない彼に首を傾げたら、間髪を入れずに思いきり否定された。眉をひそめてこちらを見上げる視線に俺は驚いて目を瞬かせてしまう。確かに初めて出会った時に「非生産的」だと言っていたけれど、まったく抵抗をされないことに戸惑う。
「え、じゃあ、なんで」
「なんでは俺の台詞だ! 散々俺のことを見ていたくせに一向になにも言わないから、俺のほうが啓を好きみたいになってしまっただろ」
「え?」
少し頭が混乱してきた。それはどういう意味なんだろうか。これは都合のいい解釈をしていいのか。そもそもこのシチュエーションで期待をするなというほうが無理だ。じっと黒い瞳を見つめたら伸びてきた腕にゆっくりと引き寄せられた。そっと唇が触れ合った感触に胸が高鳴った。
「気づけよ。もっと頭を使って考えろよ」
「それはうぬぼれてもいいってこと? 俺、すごく将吾さんが好きだ」
「ここまでしてやったんだから、ちゃんとうぬぼれろよ」
ついばむような口づけをかわし、俺は誘われるように首筋に噛みついた。服の裾から忍ばせ触れた彼の肌はしっとりと手に馴染み、あますことなく触れたい気分になった。身体をなぞるように手のひらを滑らせれば、ぴくりと彼の肩が震える。
「俺、少しまわりが見えてなかったかも」
いつも彼は目の前にいてくれた。ふらりとやってくるようでいてそれは決められた法則のようだった。俺の休みの日にきたことは一度もなくて、俺が出勤する一時間後には目の前に現れる。「次の休みはいつ?」それが帰り際の口癖のようなものだった。けれど「君がいる日に来るよ」――そう言われているのだと、どうして気がつかなかったのだろう。
「あっ……ん、はっ」
こんな時になってから気づくなんてあまりにも自分が鈍くて馬鹿すぎて嫌になる。「砥綿さんは一言目が啓、ですよね」――そんなことを言っていたのは誰だったろうか。
「啓っ、啓、やぁ……ん」
「将吾さん、嫌っていうわりにしっかり反応してるよ」
「あ、あっ、イクもう、や、啓」
自分を戒めることばかり考えて彼の言葉が届いていなかった。もっと彼の奥深くで繋がりあえたらいいのにと、そう思っていたのに――。
「将吾さん、好きだよ」
「そればっか、り」
「ほかになにがいい?」
素肌を外気に晒すたび、頬を染め恥じらう彼に俺の気持ちは高ぶるばかりだった。初めてなのだからとうんと優しくしてやらねばとそう思っていても、快楽に従順な身体をぐずぐずに溶けるまで指先や舌先で追いつめてしまう。自身の欲望を埋める頃には彼の瞳は涙で潤み、色香が溢れんばかりに漂っていた。
「将吾さん、色っぽすぎ。俺、獣になりそう」
初めて会った時から感じていた。彼のなにげない表情や仕草から感じる色気――それが媚薬のように染み渡り意識も感覚さえも麻痺させる。肌を重ねるたびに立ちのぼるように濃くなるそれは、しびれるような快感を呼び起こしぶるりと身体が震えた。
「啓、キス」
「可愛い」
ゆるりと差し伸ばされた腕に応えるように彼の身体を抱き寄せると、俺は薄く開いた唇に口づける。柔らかなそれを堪能しながらも、腰を突き動かせば小さな喘ぎが口元からこぼれて耳に心地よく響く。
「あっ、啓……もう、イキたい」
「ん、ごめん。ちょっと調子に乗りすぎた」
快感をねだるように揺れる腰に口元を緩めながら、張りつめた彼の中心を握る。そしてゆるゆると輪にした指先で上下してあげれば、彼の口からもれる声は切羽詰ったように短くなった。
「あ、その声やばい。俺もイキそう」
「ひっ……ぅんっ」
漏れる声を塞ぐように口づけられるが、必死に快感を過ごそうとするその様があまりにも可愛くて、煽るようにぐりぐりと先端を指先でこね回してまった。するともう限界だったのか、勢いよく白濁が手の内からあふれた。
「将吾さん、大丈夫?」
くたりと力なく身体を預けてくる彼の顔を覗き見ると、まぶたは閉じられ小さな寝息が聞こえてきた。
「そういえば酔っ払ってたんだっけ」
あまりにも無防備な寝顔に思わず声を上げて笑ってしまった。起こさぬようゆっくりとベッドに身体を横たえると、頬にかかる前髪を指先ですくい上げた。
「好きだよ。これからはちゃんと見過ごさずに将吾さんを追いかけるから、覚悟してて」
囁きにも似た小さな声で言葉を紡ぐと、俺はそっと彼の額に口づけを落とした。
end
2015/8/15
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