別離
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 先ほどまでどこか突き放すような雰囲気を醸し出していたのに、急に荻野さんの距離が近くなったようなそんな気がした。しかし今回の会食は僕という人間の品定めだったのだろうと思えば、いまの態度の変化も頷ける。僕への警戒を解いてくれたと言うことなのだろう。

「あの、藤堂には会えますか?」

「それについてですが」

 少しは荻野さんと和解ができてきた気はするが、なによりも肝心なのは藤堂に会うことだ。まだその答えをもらっていない。そんな不安を抱えた僕の視線に荻野さんが口を開きかけた、それと同時かふすまの向こう側から女将の声が聞こえた。

「荻野様、お車が到着しました」

「わかりました、すぐ出ます。西岡さん行きましょう」

「え? あ、はい」

 返事と共に立ち上がった荻野さんは僕に目配せをする。その視線に僕が慌てて立ち上がると、荻野さんはゆっくりとふすまを開いた。

「いつもありがとうございます」

「また来るよ」

 ふすまの向こうでは女将がお辞儀をして待ち構えていた。そしてその場でコートと鞄を受け取ると、僕は女将と荻野さんのあとに続き店を出る。女将は店を出て裏路地を抜けた大通りまで見送ってくれた。大通りには黒い車が一台止まっていて、どうやらそれは僕たちを待っているようだった。

「優哉に会えるかどうかはこれからですよ。俺のあるじが西岡さんに会って話がしたいそうです」

「あ、藤堂を保護している人ですよね」

 車に乗り込むと荻野さんは僕のほうを見て少し意味深な笑みを浮かべた。その笑みに含まれている意味がよくわからないまま首を傾げたら、荻野さんは急に僕の顔を真剣に見つめてきた。

「えっと、気難しい人なんですか?」

 その視線に戸惑いながら問いかければ、小さく唸りながら荻野さんは目を伏せた。そして顎に手を置き、ひどく難しい顔をしている。その表情に僕は少し焦りを覚えた。

「え? そんなに?」

 これから会う人は身近にいる荻野さんが考え込むくらい気難しいのだろうか。僕は正直言って気の利く話をできるタイプではない。話し合いがうまくいかなかったらどうしようかと、心の内に不安が広がる。

「荻野さん?」

 藤堂まであと少しというところまで来たのに、こんなところでつまずきたくない。長い沈黙の分だけどんどんと焦りが湧いてくる。しかしそんな僕の心中とは裏腹に、ゆっくりと視線を持ち上げた荻野さんはふっと優しく笑った。

「いえ、気難しくはないですよ。ただ少し気まぐれな人なんですが、西岡さんなら大丈夫かな」

「え? あ、そうですか」

 悩ましげな表情を一変してにこやかに笑う荻野さん。これはまさか、からかわれたのだろうか。ほっと息をつき胸を撫で下ろした僕を、荻野さんはどこか楽しげに見ている。こんな状況で心臓に悪い冗談だ。

「西岡さんは本当に素直な人ですよね。いまちょっと怒ったでしょう?」

「お、怒ってません」

 目を細めて笑った荻野さんは僕の反応を面白がっているようだ。確かに少しばかりムッとしたけれど、なんとなくそれを認めるのが嫌で思わず視線をそらしてしまった。

「ほら、すぐ顔に出る」

「え?」

 ふいに伸びてきた手が、俯きそらした僕の視線を引き戻す。顎に添えられた指先に驚いていると、その指がそっと唇を撫でた。

「荻野、さん?」

「西岡さんは、主が好きそうなタイプですね。気をつけてくださいね」

 手のひらで頬を撫でられて少し鳥肌が立ってしまった。気をつけろとはどういうことなのだろう。少し警戒して距離を置いたら、また楽しげに目を細めて笑われた。

「からかわないでください」

「からかっているつもりではないんですけど、少し心配になったので」

 頬を撫でた手が髪に触れ、指先が髪を梳いていく。その感触に思わず肩を跳ね上げたら、荻野さんは小さく笑って優しくあやすように僕の髪を撫でた。

「し、心配していただくことはないです。荻野さん酔ってますか」

「ひどいな、酔っ払い扱いですか」

「さっきまでと態度が違い過ぎる」

 話し合いをしていた時はもっと毅然とした態度や雰囲気だったのに、なぜかいまはやたらと雰囲気が甘くてその変化に戸惑ってしまう。またなにか試されているのだろうかと身構えてしまう僕に、荻野さんは肩を揺らして笑った。

「第一段階。俺の役目は終わったので、もうあなたにきつく当たる必要もないですからね。優哉のことがなかったら、西岡さんはなかなか俺の好みですよ。俺と主は好みが似ているんです」

「そういう情報は結構です」

「そうですか、残念だな」

 失念していたけれど、藤堂と一緒にあの店などに通っていたのだから、趣味嗜好は想像が容易いではないか。紳士的な笑みを浮かべてこちらに少し近づいてきた荻野さんに対し、僕はあからさま過ぎるほど大げさに後ろへ下がってしまった。
 もしかして似ているのかなと最初に思いはしたが、荻野さんは峰岸と一緒で本気と冗談の境目がわかりにくい。本当によく似たタイプだった。

「すみませんが、本当に僕は藤堂以外こういうのは冗談でも嫌なので、やめてください」

「そうみたいですね。悪ふざけはもうやめにしましょう」

 背後のドアに張り付く勢いで後退した僕を見て、荻野さんは息をつくと距離を置いて座り直してくれた。じっと窺うように見つめたら、両手を上げて肩をすくめられる。もうなにもしないというアピールだろうか。
 かなりひやりとしたが、もしかしてこれは荻野さんなりの緊張を解く気遣いだったのか。しかし気遣いだったとしても、僕にとってはこれはあまり笑えない冗談だ。藤堂以外の男の人に言い寄られても嬉しいことは一つもない。

「一途で浮気の心配もない。真剣に将来も考えている相手だというのに、どうして一歩前へ踏み出せないのかな」

「え?」

 ふいに窓の外へ視線を流した荻野さんの横顔には、先ほどまでのいたずらめいた雰囲気はない。とても眼差しは真剣で、そこには心配の色が浮かんでいた。いま傍で面倒を見ているということは、荻野さんは誰よりも藤堂の近くにいるのだろう。藤堂はいまどんな状況でいるのか、それがとても気になる。

「あの、いま藤堂は」

「うーん、優哉はいま、殻に閉じこもってる状態、かな」

 僕の声に振り返った荻野さんは、少し困ったような表情を浮かべた。

「やっぱり両親のことや伯父のことで気を病んでいるんですか」

 入院している時から上の空になることが増えていたくらいだ。殻に閉じこもっていると言われるということは、それよりもっと状態が悪くなっているということだろう。

「それも一つですけど、主原因はまた別かな」

「ほかになにかあるんですか?」

「それはうちの主から詳しく聞くといいですよ」

 ほかに藤堂が気に病むこととはなんだろう。僕とのこと、だろうか。そういえば最後に会った時に、もしも自分がいなくなったらどうするかと藤堂に聞かれた。あれはどういう意味だったのだろう。

「そろそろ着いたようですね」

「あ、ここは」

 車がゆっくりと徐行して大きな建物の前で停車した。運転手が車を降りて後部座席に回るとドアを恭しく開いてくれる。荻野さんに続いて車を降りると僕は思わず建物を見上げてしまった。そこは至極見覚えのある場所――藤堂がバイトをしているレストランがあるシティホテルだ。

「優哉もここにいますが、その前に上にあるバーで主が待ってます」

「あ、はい」

 ここにいるのかと思えば胸がはやる。しかしまずは第二関門を突破して、藤堂と会わせてもらう許可を得なくてはいけない。荻野さんの言う主とはどんな人なのだろう。気まぐれな人だと荻野さんは称していたけれど、どの程度の気まぐれさなのか少し気になる。気分次第によっては会えなくなるかもしれない可能性があるのが怖い。

「会わせてもらえるのかな」

「うーん、あの人は優哉に関しては過保護なくらいだから、正直言えば会わせる人もかなり厳選されています」

「……そうなんですか」

 厳選される中に含めてもらえればいいのだが。なんだか会う前から気分が沈み込みそうだ。けれど藤堂が大事にされているのかと思えば、少しほっとした気持ちも心の隅に湧いてくる。

「大丈夫ですよ。会うって言ったくらいですから、西岡さんに興味があるんですよ」

「普段は人にあまり会わない人なんですか?」

「そうですね。公私ともに滅多に表には立たない人かな。それに興味がないことには完全なる無関心ですね」

 裏表のないはっきりした人なのだろうか。想像だけするとなんだかとても存在感が大きい気がしてひどく緊張してしまう。しかしここで尻込みしていても仕方がない。藤堂に会うためにも僕は前に進むしかないのだ。それに関心が少しでもあるうちは僕にチャンスはある。
 深呼吸をして気持ちを入れ替えると、僕はこちらを見ている荻野さんに頷いてみせる。僕の小さな決意を感じ取ってくれたのか、荻野さんは優しく微笑みエントランスへ向かい足を踏み出していく。僕はその背中をまっすぐに追いかけた。

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