序章
プロローグ
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 薄暗い路地裏。高いビルに挟まれて月明かりさえ届かない、陰鬱で暗い闇が広がる。普段は人が通ることも少なく、ましてや人が集まり人垣ができることなどない場所。

 だが、いまは些か雰囲気が違う。

 人のざわめきと行き交う足音。慌ただしく路地裏に滑り込むエンジン音。そして点滅する赤い光がその数を増やすたびに辺りの騒々しさが増していく。

 その片隅では虚ろに空を見上げる少女が一人、ごみ箱の隙間でマネキンのように埋もれていた。濁った瞳にはぼんやりと月の影が映り込んでいる。

 そして物言いたげに開いた彼女の口の端からは赤い血が伝う。



 暗闇に浮かぶブルーシート。KEEP OUTと書かれた黄色のビニールテープがぐるりと辺りを囲い、人垣を隔てている。
 路地裏へ続く細い道を塞いでいる野次馬たちを掻き分け、小塚隆道はテープを潜りシートの内側へ足を踏み入れる。

 その背後では彼のパートナーである宮田優二が人波に揉まれて、蹴躓くようにテープに引っかかっていた。

「あぁ、宮さん! 相変わらず鈍くさいなぁ」

「す、すいません」

 顔なじみの鑑識たちに呆れた視線を向けられながらも、宮田は慌ただしく小塚の背を追いかけてきた。

「小塚さん! 待ってくださいよ」

 真っ赤な顔をして追いついてきた宮田を見下ろして、小塚は微かに息をついた。

 二十も離れたこのパートナーはまだ年若く現場に不慣れだ。しかし決して頭は悪くないはずなのだが。
 小塚は最近良く痛む頭を軽く抑えた。

「おめぇと俺とじゃコンパスの長さが違うんだよ」

「そ、そんな、酷い」

 激しくショックを受けたようにうな垂れる宮田の頭を無言で叩き、恨めしそうな視線を受け流すと、小塚は傍にいた鑑識を捕まえた。

「おい喜田、状況はどんな感じだ」

「お疲れ様です。はい、えぇと……害者は、都立高校に通う金沢雪奈、十六歳です」

 小塚に向かい深々と頭を下げると鑑識の喜田敏明は手元の資料を捲る。

「なんだ、もうそこまで分かってんのか?」

「いえ、今回は害者が制服のままなことと学生証がありましたので早期判明しました。それとですね……」

 言葉を区切り、喜田は急に声をひそめ小塚に耳打ちする。

「実は捜索願が出されてるんですよ」

「捜索願?」

 不意に小塚の精悍な顔つきが険しいものに変わった。

「例のあれか?」

 顎を指先で撫でながら小塚が眉間に皺を寄せると、喜田は害者の遺留品と思しき物を差し出す。

「まだはっきりとしたことは分かっていませんが、もしかしたら」

「もしかしたら、じゃなくてそうじゃねぇのか? これ」

 ビニール袋に収まった小さな携帯ストラップ。
 それはストラップ部分が桃色と薄紅色の小花が散る和柄になっており、その色彩が相まって見る者に華やかな印象を与える。そしてそれと共に小さな鈴を閉じ込めた銀色の鳥篭がぶら下がっていた。

 チリリと鳴る金色の鈴。なぜか不思議とその鈴の音が物悲しげに聞こえる。

「連続殺人ですか」

 いまのいままで二人の影で右往左往していた宮田が合間から顔を出す。

「チビは黙っとけ」

 突き出た顔を押しやりながら小塚はストラップの入った袋を摘み上げた。

「ひ、酷いです。小塚さんと喜田さんが大き過ぎるだけで、俺は標準身長です!」

 大概の人が仰ぎ見る程大柄な小塚と喜田。二人並ぶその双璧に初見の人間は必ず一歩後退りする。決して低くないはずの宮田でさえ、頭一つ分の差があり、その差は見下ろし見上げる高さとしては充分だった。

「そんな小さいこと気にしてたら大きくなれないよ宮田さん」

「は? 二十六にもなってこれからどう大きくなれってんですか! どんな嫌味ですか」

 飄々とした顔でそう呟く喜田に思わず宮田の声が大きくなる。だがその剣幕も然して気にした風でもなく、喜田は何事もなかったように小塚に向き直った。

「これの出所がはっきりすればいいんですけどね」

「あぁ。しっかし妙な事件だな。誘拐でもなければ、恐らくただの家出でもない……つうか、接点が見えねぇ」

 視線を上げたまま低く唸るように呟き、小塚はため息と共にゆっくり目を細めた。

「とりあえず見てみます?」

 険しい顔のまま唸り続ける小塚に喜田は奥を指差した。

 喜田に促され、さらに奥へ進むとすえた匂いが辺りに広がっていた。恐らく飲食店のごみ捨て場なのだろう。大小のプラスチック製バケツと剥き出しになったごみ袋があちこちに転がっている。

 その中で、少女は眩しいほど白い喉をさらけ出し埋もれていた。

「死因は絞殺です。殺傷の仕方に前回や前々回との共通点は特にありません」

 少女の前でしゃがみ込んだ小塚の隣に喜田が並ぶ。

「あるのはこれだけか」

 摘んでいたストラップを視線の先まで持ち上げると、喜田はゆっくりと頷く。

「犯人は同一人物か?」

「断定はできません。ただ、今回首に細いひも状のもので締めたあとがあるのですが、その上からさらに指痕が見つかりました。見た限りですが、女性の指ではないかと」

「女、か」

「細かいことは戻ってみないと分かりませんので、明日にでも連絡します」

 喜田の言葉に頷き立ち上がると、小塚はいまだ物言いたげな表情を浮かべている宮田を振り返る。

「おい、いったん署に戻るぞ」

「今日は徹夜なんですねぇ」

「そんなこと言って、てめぇはこないだも大イビキかいて寝てただろうが」

 恨めしげな宮田の視線に小塚の口から深いため息が洩れる。

「いや、この間はついつい」

「ついじゃねぇよ」

 苦笑いを浮かべて弁解する宮田の頭を叩きながら、小塚は胸ポケットで震える携帯電話に手を伸ばした。

「誰だ……あぁ、お前か。久しぶりだな。どうした? あ?」

 険しかった小塚の顔が一瞬和らいだのを見て、宮田が訝しげに眉をひそめる。そんな視線に面倒くさそうな表情を浮かべ、小塚は犬猫でも払うように手を振った。



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